どうする家康 第32話「小牧長久手の激闘」 ~小牧・長久手の戦い(後編)~ : 坂の上のサインボード
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どうする家康 第32話「小牧長久手の激闘」 ~小牧・長久手の戦い(後編)~

 天正12年(1584年)3月17日に起きた羽黒の戦い徳川家康・織田信雄連合軍が大勝利を収めたあと、徳川軍は小牧山城に、羽柴秀吉軍が楽田にそれぞれ陣を布き、両者にらみ合うこととなります。『当代記』などによると、徳川・織田連合軍167に対し、羽柴軍10としています。他の史料では、家康軍3とか秀吉軍6などの説もあるようですが、いずれにせよ、秀吉軍が圧倒的に兵力では上回っていたことは間違いないでしょう。


 どうする家康 第32話「小牧長久手の激闘」 ~小牧・長久手の戦い(後編)~_e0158128_17125129.jpgしかし、このとき秀吉は小牧山城に攻撃を仕掛けませんでした。通常、城攻めの場合は、籠城軍に対して5倍以上の兵力が必要といわれ、勝ったとしても、大きな犠牲を覚悟する必要がありました。大軍とはいえ秀吉軍は寄せ集めの兵力であり、秀吉はリスクを嫌って力攻めにはせず、しばらく戦況は膠着状態に陥ります。戦況が動いたのは46日、秀吉軍は別動隊を編成し、家康の本領である三河方面に侵攻します。これは、小牧山の陣から徳川方の軍勢をおびき出したうえで、兵力差にものをいわせて一網打尽にしようという作戦でした。ドラマでも出てきましたが、これを中入り作戦といいます。「中入り」とは、別動隊を使って敵の思いもよらないところを奇襲することをいいます。敵の虚を突くことですね。


 通説では、三河を衝くこの作戦は、池田恒興、森長可らの献策によるもので、当初、秀吉は気が進まなかったものの、押し切られるかたちでこの作戦を許可したといわれてきました。特に武勇高く鬼武蔵との異名をとっていた森長可にとって、羽黒での敗戦は不名誉なことで、恒興は長可と共に羽黒戦の恥を雪ぎたいと懇願し、秀吉は乗り気でないまましぶしぶ許可した、と。これに対して、近年の研究では、この中入り作戦は家康を小牧山から引き出すための有効な作戦であり、秀吉はこの作戦を確信を持って決行していたとの見方に変わりつつあるようです。


 どうする家康 第32話「小牧長久手の激闘」 ~小牧・長久手の戦い(後編)~_e0158128_18093233.jpg秀吉はこの中入り別動隊の先陣を池田恒興、森長可の部隊とし、軍艦として堀秀政、長谷川秀一を付け、総大将を甥の三好(羽柴)秀次としました。約2万4、5千の軍勢だったと伝わります。ところが、家康方は事前にこの動きを察知していたんですね。家康は酒井忠次、石川数正、本多忠勝らを小牧山の守備隊として残し、4月8日の夜に信雄とともに小幡城に入りました。そして翌9日、榊原康政、大須賀康高らを先陣として、羽柴軍最後尾の秀次隊を急襲しました。不意をつかれた秀次隊はたちまち総崩れとなります。これを知った堀・長谷川隊は、先陣の池田・森隊に急報。ただちに引き返して、長久手で激戦となります。井伊直政隊を中心とする徳川本隊は、池田・森隊と激しい銃撃戦となり、この戦いで池田恒興・元助は討死。森長可も、眉間を撃たれて即死します。小牧の戦いに続き、長久手の戦いも家康・信雄連合軍の大勝利に終わりました。


 ドラマでは、恒興らが秀吉に中入りを献策してきた際、秀吉もひそかにその構想はあったものの、あえて乗り気でないそぶりを見せ、失敗に終わったら、恒興らに無理強いされた策だったと流言を飛ばさせるという展開でしたね。通説と新説を上手くミックスした脚本だったと思いますが、それにしても、本作の秀吉は悪どい!


 どうする家康 第32話「小牧長久手の激闘」 ~小牧・長久手の戦い(後編)~_e0158128_16585054.jpg劇中、榊原康政らが秀吉の罵詈雑言を書いた立て札をばらまき、秀吉を挑発するという作戦を行っていましたが、これは、「榊原康政の檄文」として後世に伝わるエピソードです。その檄文とは、下記のようなものでした。


それ羽柴秀吉は野人の子、もともと馬前の走卒に過ぎず。しかるに、信長公の寵遇を受けて将師にあげられると、その大恩を忘却して、子の信孝公を、その生母や娘と共に虐殺し、今また信雄公に兵を向ける。その大逆無道、目視する能わず、我が主君源家康は、信長公との旧交を思い、信義を重んじて信雄公を助けんとして蹶起せり。


 当然、秀吉はこの檄文に激怒し、康政を討ち取ったものには望みの恩賞を与えると言い放ったとも伝わります。一方で、のちに家康が秀吉の臣下となった際、秀吉は康政に対してこのときの檄文の件を持ち出し、逆に賞賛したとの逸話もあります。さすがは人たらしの秀吉といえるエピソードですね。


 劇中の秀吉がこの檄文を聞いたときの台詞が、なかなか正論でしたね。


「所詮、人の悪口書いて面白がっとるようなやつは、己の品性こそが下劣なんだと白状してるようなもんだわ」


 これ、正論過ぎて笑っちゃいました。現代のSNS社会に通ずる名言ですね。


 さて、小牧・長久手の戦いが終わりました・・・と言いたいところでしたが、その決着はまた次回に持ち越しですか。まあ、それだけ重要な戦いだったってことはわかりますが、今回で第32話。残り15話ほどでまだ30年ほどの歴史があるのですが、大丈夫かなぁ・・・。



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by sakanoueno-kumo | 2023-08-21 17:01 | どうする家康 | Trackback | Comments(6)  

Commented by sabertiger54 at 2023-08-25 12:32
こんにちは。
この小牧・長久手の戦いって三方ヶ原のリベンジですよね。機動軍の背後を突く形は同じですが今回は家康が信玄になった。富士ヶ根に現れた金扇の馬印に三河中入り軍は恐怖したでしょう。
家康の作戦指導は首尾一貫して卓越していた。服部党の戦場諜報、敵の分離に乗じての各個撃破、長久手での勝利の後の小牧城への反転機動など。
戦国百年でも屈指の名作戦であり、後世の欧州のスペイン継承戦争の機動戦の天才マールバラ公や七年戦争のフリードリッヒ大王を思わせるほど。私はこの小牧・長久手の戦いを持って信玄を越えたと思う。きっと信玄も目を細めて「岡崎のワッパ、ついに俺を超えたな」と言うと思います。
「小牧・長久手で白兎、変じて大竜となり、神君の強、ここより始まる」と私は思っています。
それとドラマの中で石川数正が「秀吉には勝てないと存じます」というセリフを聞いてさすがに伯耆守は大きいと思いましたよ。秀吉の実力を上洛して初花を献じた時に体感したのでしょう。
次回が楽しみです。
Commented by sakanoueno-kumo at 2023-08-25 20:30
> sabertiger54さん

なるほど、リベンジ!
たしかにそうですね。
信長の戦歴のなかでベスト1の勝利が桶狭間ならば、家康のそれは、やはりこの小牧・長久手の戦いだとわたしも思います。
どちらも戦術も去ることながら、その後の歴史的地位を確立した戦いといってもいいでしょう。
信長はもちろん、あの勝利がなかったら今川に滅ぼされていたかもしれませんし、家康も、この勝利がなかったら、豊臣政権での立場はまったく違ったものになっていたでしょう。
どちらも、兵力において圧倒的に不利な状況からの勝利という点でも同じですね。
やはり、天下人になろうとする人物は、一生に一度はそういう局面を切り抜けるものなのかもしれませんね。

ここへきて少し大河らしくなってきましたね。
諸説ある石川数正の出奔理由。
どのように描かれるか楽しみです。
Commented by BEATLES II at 2023-08-26 17:35 x
確かに今回は今までになく大河ドラマらしかったですね〜。
徳川四天王が家康にお仕えする動機をはっきりと述べてました、が私はしっくりきてませんが…。
最初の頃から脚本家さんは何で松潤を選んだのだろう?と思ってました、それは脚本家さんの“家康のイメージ”が松潤に近かったからだと思います、以前から思ってましたが最近それが確信に変わりました。
あまり松潤を詳しく知りませんが、バラエティ番組とか見た時の印象は、前のめりに企画に乗るわけではないけどやる気が無いわけでもないし本気でやる、でも言われてるからやってるって感じでした(勝手なイメージ)だからこの脚本には松潤なんだ〜って腑に落ちました(笑)
私のイメージでは、幼い頃から人質人生で普通ではない生き方をしてきて、普通の人以上に感覚が研ぎ澄まされ、人間の怖さや信じる事の難しさ大切さなどを経験して、ある意味普通ではない感覚を持つ人になり、一歩引いて物事を見たり、失敗を経たりして、家臣を見抜き登用し、人心を掴んできたってイメージでした。なので一見信長や秀吉のように派手ではないですが、静かな内に秘めた目立たないものや忍耐力などを見抜いて忠義を感じて仕えるようになっていったっていう筋書きの方が私は好きですししっくりきます。
結論!この脚本に松潤、展開はなるべくしてなっている、ある意味矛盾はないww
Commented by sakanoueno-kumo at 2023-08-28 21:06
> BEATLES IIさん

貴殿のイメージ、まさにそのとおりだと思いますよ。
ただ、戦国時代でのし上がった人ですから、決して心優しい人物ではなかったはず。
信長、秀吉に負けないぐらいの残虐性、冷酷性も持っていたはずだといわたしは思います。
これは本作に限らずですが、近年の大河ドラマの主人公は、良い人に描かれ過ぎだとわたしは毎年ここで発言しています。
もちろん、信長とて秀吉とて家康とて、龍馬とて西郷とて、悩んだり苦しんだり助けられたりしながら成長したのはそのとおりだとい思いますが、一方で、歴史に名を残そうとする人は、いい意味で悪人でなければ英雄にはなりえません。
ところが、近年の大河の主人公はいずれも聖人君子ばかり。
英雄の英雄たりうるアクの強さは描かれず、英雄たるもの万人から尊敬されるような心優しい聖人君子でなければならないといった描き方が、かえってその英雄の魅力を削いでいるということを、制作陣ははやく気づいてほしいです。
今年の松潤家康はその最たるもので、普通以下、弱虫な少年が、戦のない世を作るために成長していくって、どんだけきれいごとやねん!って思います。
戦のない世を作るための戦なんて、詭弁ですよ。
戦はただのヘゲモニー争いの殺し合いに過ぎません。
ここへ来て大河ドラマらしくはなってきましたが、でもやっぱり、昨日の第33話の石川数正との会話のシーンで、戦のない世を作るって言っていましたよね。
あれ聞くと、シラケるんですよね~。
Commented by BEATLES II at 2023-08-28 23:42 x
戦の無い世を作る…勘弁してほしいです、ほんと。懇願。当時の人はそういう発想は無いんじゃないかな?未来の自分達しか言えない台詞だから違和感があるのでしょう。恐らく最近の脚本家さんは、現代の会社やグループの人間関係と変わらないと思ってるんじゃないかな?って思ってしまう程。当時は生きるか死ぬかですからね!やらなければやられる、サバゲーではないんだから。また、確かに清濁合わせもって然るべきですよね。むしろそれが普通。
個人的にはムロ秀吉はもうちょっと上手く“人たらし感”を描いて欲しかったかな
Commented by sakanoueno-kumo at 2023-08-29 20:57
> BEATLES IIさん

おっしゃるとおりですね。
ムロ秀吉はちょっと変なやつ過ぎます。
秀吉のサイコパス感を出したいのでしょうが、あれじゃただのアブナイ奴で、誰も人はついてきませんね。
少なくとも、若き日の秀吉はもっと人から好かれる魅力的な人物だったはず。
それが、のし上がって権力を手に入れていく過程で、だんだん狂ってくる。
それが秀吉という人だっただろうと思います。
初めから狂っている奴が、あそこまで出世できるはずがありませんね。

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