どうする家康 第21話「長篠を救え!」 ~長篠の戦いと鳥居強右衛門~
前回描かれた大岡弥四郎事件と連携するかたちで、武田勝頼は足助城、野田城などの小城を落とし、その勢いで岡崎城へ向かおうとしますが、そのタイミングで大岡弥四郎事件が発覚、失敗するところとなり、岡崎侵攻をいったん取りやめ、吉田城を攻めました。しかし、徳川家康が支援にやってきて立て籠もったため、武田軍は城下を焼き払っただけで吉田城攻略をあきらめ、2年前に徳川方に奪われた長篠城を奪還すべく、これを囲みます。『当代記』によれば、武田軍が長篠城を包囲したのは、天正3年(1575年)5月1日のことでした。
長篠城を守っていたのは、同年2月に入城したばかりの奥平信昌でした。信昌は、2年前に父の奥平定能と共に家康に降った武将でした。元々奥平は徳川の家臣だったのですが、武田信玄の西上を受けて2年前に武田に寝返っていました。ところが、信玄の死によって一時的に武田軍が機能停止していた時期、家康は信玄に奪われた領土を奪還すべく侵攻を開始しますが、その一環として、武田に寝返っていた奥平定能・信昌父子を再び寝返らすべく調略を試みます。しかし、当初、奥平父子の反応は鈍かったようで、そこで家康は織田信長に相談したところ、信長は家康の長女・亀姫と貞昌の婚姻政策を提案。これを家康が受け入れ、さらに、領地を加増するなどの破格の条件を提示し、信玄の死が事実とわかったこともあって、奥平父子の調略に成功しました。つまり、奥平は短期間の間に徳川から武田、そして再び徳川に寝返ったわけです。
これに対し、武田勝頼は奥平から人質として預かっていた信昌の妻・おふう(16歳)と信昌の弟・仙千代(13歳)などの人質3人を処刑しました。そんな奥平に、家康は武田方から奪った長篠城を守らせていたわけです。奥平父子は、過去の経緯からも、またまた武田方に降るという選択肢はありえず、包囲された長篠城に籠城して頑強に抵抗することとなります。
長篠城を包囲した武田軍は1万5000、対する奥平の籠城兵は、わずか500人ほどだったといいます。『当代記』によれば、武田軍は竹束によって鉄砲や弓矢から身を守りながら攻め寄せ、また、金堀人足を使って堀や塀を切り崩し、昼夜を問わず攻め立てたといいます。それでもよく守備していた奥平方でしたが、次第に城内の兵糧が枯渇し、窮地に陥ります。
そんななか、窮状を訴える使者となったのが鳥居強右衛門でした。信昌は強右衛門に、岡崎城に赴いて家康に援軍を要請する任務を与えます。もっとも、普通に考えて、武田の大軍に取り囲まれている状況の下、城を抜け出して岡崎城まで赴き、援軍を要請することは不可能に近いことでした。この命がけの役目を任された強右衛門は、夜陰に乗じて城の下水口から城を脱出し、川を潜り、道なき道を走り、翌日の午後に岡崎城に無事到着し、援軍を要請。このとき、岡崎にはすでに信長の援軍3万が到着しており、明日にも長篠に向けて出陣する手筈となっていました。これを知った強右衛門は、一刻も早くこの事実を味方に伝えようと、すぐに長篠城へ引き返します。そして翌日の朝、帰城する直前、武田軍の兵に見つかって捕らえられてしまいます。武田軍は強右衛門を城近くまで連行し、ドラマで描かれていたように、援軍は来ないという虚偽の情報を伝えるよう強要しますが、強右衛門はそれを無視して徳川軍の来援が近いことを告げて城内の兵を励まします。これに怒った勝頼は、その場で部下に命じて強右衛門を磔にし、処刑したと伝わります。あまりにも有名な話ですね。
ドラマでは、いきなり長篠城の籠城戦から始まったので、奥平がなぜ長篠城を守っていたのか、奥平と武田、そして徳川との関係はどういう関係なのか、知らない人にはわかり難かったんじゃないでしょうか? 亀姫の政略結婚の話で何となく伝えようとはしていたのでしょうが。その亀姫ですが、政略結婚とはいえ夫婦仲は良かったようで、4男1女を儲け、関ヶ原の戦い後に信昌が大名となったため、その正室として幸せな日々を送ることになります。ドラマの信昌も好青年のようでしたしね。ただ、上述したように、亀姫が信昌に嫁ぐことになったことで、前妻が武田によって処刑されたという事実があることを忘れてはならないでしょう。家康が仕組んだ調略によって、その犠牲になったわけです。信昌は徳川に与するために、妻の命を犠牲にしたわけですね。ドラマで詳しく描くのは難しかったでしょうけど、せめて台詞かナレーションレベルでも入れてほしかった。本編が無理なら、エンディングの紀行のコーナーでもよかったと思うんですけどね。ドラマはあまりにも美談に描かれていて、あれでは殺された前妻のおふうが浮かばれません。
それにしても、岡崎体育さんの強右衛門、太りすぎ!(笑) 長篠城から岡崎城まで片道65km、往復130㎞のトライアスロンです。あの体じゃ無理でしょう! 何年か前、肥満タレントの松村邦洋さんが東京マラソンを走って途中で倒れて死にかけましたが、岡崎強右衛門も、ああなっちゃいますよ。とまあ、無粋なツッコミを入れたところで、次回はいよいよ設楽原の戦いですね。
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by sakanoueno-kumo | 2023-06-07 21:40 | どうする家康 | Trackback | Comments(11)

したがって、奥平としては最初徳川に寝返るのを躊躇ったはずです。
そこをどう徳川の使者が説得したのか全く描けていませんし、描こうとする意気込みを見受けられません。
次に、鳥居強右衛門が長篠城を脱出して救援を呼びに行った際、武田勝頼は「捨て置け。」と言っていますが、これは常識的にあり得ないことです。
前記の通り、この時期は浅井、朝倉が滅亡し、足利義昭も京を追われ、信長包囲網の構成勢力の大半が滅んでいる状況です。そのような状況下で援軍要請の使者を通すというのはあまりにも楽観的過ぎます。勝頼はそんなボンクラでしょうか。信長がもしかしたら石山本願寺と一時休戦して長篠に援軍を差し向けるかもしれない。その可能性がある以上、私が勝頼なら何が何でも鳥居を捕えるよう命じます。城攻めに敵増援は最悪の状況ですので。
この点も大河ドラマとして不可解であり、物語として成立していません。

織田、徳川の動員兵力、そして「大軍勢」というこ言葉から3万人くらいはいると考えられるだろうし、武田の軍勢では勝ち目がない訳だから一時撤退するのが常識なのにそれをしなかったのは何故かというのを描いてほしいです。
次に、予告編で所謂三弾撃ちしていましたが、長篠の戦はっ梅雨に行われたんですよね。連日の雨でぬかるんだ地面を火縄銃を担いで行ったり来たりできるものですかね。それに、火縄銃に使う火薬は雨や湿気で効力が半減しますよね。信長ほどの武将がそんなことも考えず梅雨に鉄砲に依存した左様な作戦を考えますかね。
ここは「数を活かし、また、強固な野戦築城をして武田軍を迎え撃った。武田は援軍来着と同時に撤退すれば良いのにどういう訳か織田、徳川に攻撃を仕掛け、大損害を出して撤退した。」というのが長篠の戦の真相ではないですかね。
おっしゃられることは至極もっともなことですが、申し訳ありませんが、批判はここまでにしようと思います。
もともと当ブログでは、毎年、最終回を観終えた総評の稿までは、いっさい批判をしないというスタンスでした。
ところが、今年、家臣をほったらかして家康が逃げ出したり、突然まったく歴史に無関係のLGBTをぶっこんできたり、小豆と阿月といったくだらないダジャレで脈略のないストーリーを描いてみたり、あまりにもひどい回があったため黙っていられず、つい批判をしてしまいました。
そうすると、このように、例年になく毎回多くのコメントをいただくようになりました。
つくづくネットの世界は批判が喜ばれるところなんだなぁと実感しています。
ただ、それはわたしの本意ではありませんので、いまでは批判に走ったことを少し後悔しています。
わたしが批判したのは、上述したような歴史とは関係のない部分です。
わたしは、史実、通説をかさに批判するのは好きではありません。
これも、毎年言っています。
ドラマである以上、必ずしも史実、通説、新説に則って描く必要はなく、旧説でも俗説でも邪説でも、まったくの創作でもいいと思っています。
面白ければ。
もちろん、実は本能寺のあとも信長は生きていたとか、実は家康は大坂の陣で死んでいて、その後の家康は影武者だったとか、とんでもな設定はどうかと思いますが。
そこは作り手のセンスでしょう。
「三弾撃ち」のエピソードは、今では多くの学者さんが否定的な見解ですが、わたしは、別にそれはそれで物語として成立するならいいと思っています。
過去、名作と言われる作品でも、三弾撃ちは採用されてきていますしね。
貴兄がおっしゃられるような歴史を描くには、主人公をおかず、「大戦国史」とでも題して客観的に歴史を描くしかありません。
主人公を作ると、どうしても片側からの主観的な描き方になるのは仕方がないことです。
徳川、織田、武田、それぞれの立場からその行動や戦法の理由まてつぶさに描くなんて不可能ですし、さらには石山本願寺などの背後の情勢などまで伝えようとしたら、100話あっても足りませんよ。
わたしは、そこは鷹揚に観ようと思っています。
目下、気に入らないのは、あの不気味な秀吉だけです。

家康が化けていくのを描くのに長篠も避けて通れませんが、長篠には奥平への調略も避けて通れません。
「三流武将家康が如何に天下人になったか描く」という本作のテーマは相応の手腕がないと不可能なのかもしれませんね。
>三流武将家康が如何に天下人になったか描く
そもそも、ドラマ作りにおいて三流武将の定義が間違っているとわたしは思いますね。
たしかに、三河の岡崎という小さな領国を治めていたという点でいえば、三流武将だったかもしれませんが、決して人物まで三流だったわけではなかったはず。
後に天下人になる人物ですから、幼いときから良くも悪くも普通の人物ではなかったはずです。
ところが、本作の家康は、弱虫泣き虫鼻たれ少年からのスタートですからね。
そこに無理があるんですよ。
これは本作に限らず、近年の作品はほとんどがそう。
どこにでもいる平凡な人物が、いろんな人に助けられながら次第に成長していくという設定ばかりです。
その方が視聴者の共感を得られると思っているのでしょうか?
でも、歴史上の英雄の魅力って、そんなところじゃないですよね。
普通じゃないから魅力的なんだと思います。
そこが製作サイドの大きな勘違いかと。

じゃあ、才覚はあるけれども、経験値が足りず未熟で、三方ヶ原では百戦錬磨の武田信玄に翻弄される等するが、それらの失敗や苦難を糧に家康が大きくなっていき、その才覚を開花させる話にすれば、無理はなかったということでしょうかね。
まあ、簡単に言えばそうですね。
人間誰だって未熟な時代はありますし、悩んだり苦しんだりしながら成長していく、そこに異論はありません。
ただ、だからと言って、まったく秀でるところのいない平凡な人物だったという設定は、いくら何でも無理があると思いませんか?
少なくとも、家臣をほったらかして戦場から逃げ出す家康なんて、やりすぎです。

作家の方々の人物を描く技量が落ちてきているということでしょうか。
作家の人なのか制作プロデューサーの意向なのか、素人のわたしにはわかりません。
たぶん、偉人を普通の平凡な人物に描くことで、凡人の視聴者の共感を得ようと考えているのでしょう。
そこが的外れだとわたしは常々思っています。
共感なんて求めていません。
英雄の英雄たるべきアクの強さは描かれず、英雄たるもの万人から好かれるお人よしの聖人君子でなければならないといった描き方が、かえってその英雄の魅力を削いでいるということに、早く制作サイドは気づいてほしいです。
観てみたかったです。
いいなぁ。
>今年の大河を家康さんは見ながら何回駄目だししてるでしょうね
ちょっとダメ出しし過ぎたかなあと反省しています。
もう少し鷹揚に見なきゃと。