どうする家康 第9話「守るべきもの」 ~三河一向一揆の戦後処理~ : 坂の上のサインボード
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どうする家康 第9話「守るべきもの」 ~三河一向一揆の戦後処理~

 三河一向一揆の実際の戦闘の経緯については、史料によって情報が錯綜していて、月日などは明確ではありませんが、通説では、永禄6年(1563年)秋にはじまり、激戦となったのは年が明けた永禄7年(1564年)正月からでした。前話で描かれていた上和田砦の戦いでは、松平家康(のちの徳川家康)自身が銃弾を2発受けるも、固い具足に守られて命拾いしたという一幕もありましたが、全体としては、やはり家康方が優位に推移した戦いだったようです。


どうする家康 第9話「守るべきもの」 ~三河一向一揆の戦後処理~_e0158128_20450078.jpg その後も一進一退の戦いが繰り広げられますが、2月中旬になると、一揆方から和議の話が出てきました。その理由は、『松平記』によると、この頃になると一揆方ではたびたびの合戦に討ち負けた厭戦気分が広がりはじめていたからだったようで、大久保忠俊らの仲立ちにより、針崎勝鬘寺蜂屋半之丞が和議を申し入れることになったといいます。一方の家康方も、ドラマで描かれていたように家康の叔父である水野信元から和睦勧告があったといわれ、家康としては当初は乗り気ではなかったようですが、三河の平定を急ぐ必要もあり、忠俊らの諫言もあって和睦に応ずることとなりました。


 そして、2月末ごろ、上和田の浄珠院において和議の起請文が取り交わされました。そこで交わされた約束は、一揆参加者の赦免と、寺内の不入特権を保証するというものでしたが、しかし、一揆の解体後、家康はこの和議の条件を守ることはなく、反故にします。一揆に参加した武将で赦免されたのは、桜井の松平家次渡辺守綱、直綱、そしてドラマで描かれていた夏目広次(吉信)ら少数にとどまり、本多正信、正重兄弟、鳥居忠広、渡辺綱秀、真綱らは追放され、大草の七郎、荒川義広、吉良義昭らは三河を去りました。和議を結んだあとも抵抗を続けていた酒井忠尚も、9月には力尽きて逃亡しています。


どうする家康 第9話「守るべきもの」 ~三河一向一揆の戦後処理~_e0158128_19272303.jpg また、寺内の不入特権については、保証されるどころか、上宮寺、本證寺、勝鬘寺三河三ヶ寺の坊主たちは一向宗からの離脱という改宗を迫られ、これを拒否すると寺は破却され、坊主たちは追放されてしまいました。ドラマでは、その理由付けとして、「寺のあった場所は元の元は野っ原なり。元の野っ原に戻す!」という言い訳ではいかがかと本多正信が提案していましたが、正信が入れ知恵したというのはドラマのフィクションですが、この詭弁については『三河物語』に記されています。それによると、「前々のごとくに成て可被下と、御起請の有りよしを申ければ、前々は野原なれば、前々のごとく野原にせよと有仰て」とあり、これを聞いた坊主たちはあちこちに逃げていったとあります。まあ、言ってみれば屁理屈ですね。『三河物語』の作者である大久保彦左衛門忠教はまだこのとき幼少であり、この詭弁エピソードは作り話だとする意見も多いようですが、基本的に家康を悪く書かない『三河物語』があえて書いているところを見ると、事実に近い話だったとみていいのではないでしょうか。


ちなみに、家康の屁理屈でいえば、後年の方広寺鐘銘事件における「国家安康」「君臣豊楽」の言いがかりや、大坂冬の陣後の堀の埋め立てなどが思い出されますが、家康の詭弁はこのときから始まっていたんですね。もっとも、『三河物語』が悪びれる様子もなく堂々と書いているところを見ると、当時の人たちにとっては、これは詭弁とは感じていなかったのかもしれません。


 「殿は阿弥陀仏にすがる者たちの心をご存知ない。毎日たらふく飯を食い、己の妻と子を助けるために戦をするようなお方には、日々の米一粒のために殺し合い、奪い合う者たちの気持ちは、おわかりにならんのでしょう。仏にすがるのは、現世が苦しいからじゃ。生きているのが辛いからじゃ。殿が、お前が、民を楽にしてやれるのなら、誰も仏にすがらずに済むんじゃ。そのために民はお前にたらふく米を食わせているんじゃ。己はそれをなさずして、民から救いの場を奪うとは何事じゃ、この大たわけが!!」


 捕らえられた本多正信が家康に言い放った台詞ですが、ある意味、真理をついていますね。神仏とは、人々の苦しみ悲しみ怒り恐怖といった心が作り出した虚像といえるかもしれません。その苦しむ人々の心などまったくわかっていない権力者たちが、宗教を政治利用した結末が、先の某元首相銃撃事件といえるでしょう。一方で、宗教団体も、そんな苦しむ人々の心を食い物にして権力を得ようとする集団です。今も昔も、正信がいうような民の救いの場にはなっていないですね。その意味では、詭弁を使ってでもつぶす必要があったのかもしれません。そもそも、宗教の教え自体が詭弁ですから。


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by sakanoueno-kumo | 2023-03-06 19:15 | どうする家康 | Trackback | Comments(0)

 

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