青天を衝け 第26話「篤太夫、再会する」 ~家族との再会、慶喜との再会~
明治元年11月3日(1868年12月16日)に帰国した渋沢栄一が故郷の血洗島村に帰ったのは、約1か月後の12月1日でした。ドラマでは一面菜の花畑でしたが、ちょっと季節が違いますね。まあ、そこはドラマチックな演出ということで。無粋なこと言ってスミマセン(笑)。「攘夷」を胸に家を出てから6年ぶりの帰郷、娘の宇多は数えで6つになっていました。宇多にしてみれば、初めて見る父親の姿。洋行帰りの変な格好をした父をどう思ったでしょうね。栄一の血洗島村滞在はわずか3日間ほどだったようですが、その間、ドラマのように親戚知友が続々と中の家を訪れ、大いに賑わったようです。
ドラマでは省かれていましたが、父の市郎右衛門とは、実は帰郷する1週間ほど前の11月23日に東京で再会を果たしていました。栄一は帰国の残務処理で東京の逗留し、父にもうすぐ帰ると手紙を送ったところ、待ちきれなかった市郎右衛門が逆に東京に訪ねてきたんですね。父の気持ち、わかります。フランスに行くと聞いたときから、もう二度と会えないかもしれないという思いがあったでしょうしね。それが無事帰国したという報せを聞いて、居ても立っても居られなかったのでしょう。また、家族の前では話しづらいことを事前に話したいという理由もあったかもしれません。栄一の自伝『雨夜譚』によると、このとき、父から尾高長七郎の話の聞いたといいます。
栄一の従兄弟で長く投獄されていた長七郎は、この年の夏に釈放されましたが、長い獄中生活が祟ってか、間もなく病死しました。一説には、発狂して死んだとも言われます。その弟の平九郎が飯能戦争で壮絶な死を遂げた話は、第25話の稿で紹介したとおり。そして、その兄の尾高惇忠は、平九郎らと共に振武軍の一員として飯能戦争に参戦するも、敗戦後は落ち武者となって各地に潜伏し、密かに単身、郷里の下手計村に帰っていました。喜作こと渋沢成一郎は、振武軍の敗戦後に函館の旧幕府軍に身を投じたといいます。長七郎、平九郎、惇忠、成一郎、栄一がフランスに行っている間に、皆、大きく人生が狂っちゃっていたんですね。栄一は自伝『雨夜譚』のなかで、「じつに見るもの聞くもの皆断腸の種ならざるはなしという有り様であった。」と語っています。
また、6年前に家を出るときに父の市郎右衛門から餞別として渡された100両を、このとき栄一が父に返すも、市郎右衛門はこれをそのまま千代に褒美として与えたという話も、実話だそうです。この話は栄一本人が語ったものではありませんが、後年、栄一の娘の穂積歌子(宇多)が、その著書『はゝその落葉』の中で語った話です。このドラマのすごいところは、これってフィクションなんだろうなぁと思いながら調べてみたら、そのほとんどが実話だというところ。脚本の大森美香さんの勉強量に脱帽です。
家族との再会を果たした栄一は、東京へ戻り、フランス滞在中の諸計算を整理して荷物その他の始末をつけ、水戸藩の分は水戸藩に引き渡し、また、駿府藩の許可を得て、フランスから持ち帰った残金のうち8千両ほどで鉄砲を買い上げ、これを民部公子(徳川昭武)が水戸へ行くときの土産にあてましたが、なおまだその残金があったので、それらの計算を明瞭に記帳して物品の取り片付けをし、駿府へ行って藩の勘定方に引き渡しました。
このとき、栄一にはもう一つの任務がありました。それは、昭武からの手紙を兄の徳川慶喜に手渡し、ヨーロッパの生活を詳しく報告したうえ、その返書を受け取って昭武の元に持ち帰り、兄の近況を伝えるというミッションでした。この当時、慶喜は宝台院という寺で謹慎中でした。朝敵となって謹慎中の身である慶喜は、洋行帰りの弟と会うこともできなかったんですね。
慶喜と栄一の会見シーンは、栄一の息子・渋沢秀雄の著書『父 渋沢栄一』の記述をほぼ忠実に再現していました。栄一が最初、部屋に入ってきた慶喜を使用人と間違えたという話も、同書のとおりです。栄一は畳に平伏し、耐え切れずに落涙しました。そして、ドラマのとおり、鳥羽伏見の戦いについて「何とかほかに手の打ちようはなかったのでしょうか?」と口に出してしまったといいます。すると慶喜は、こういいます。
「今さら過ぎ去ったことをとやかく申しても詮方ない。今日はそんな愚痴を聞くために会うたのではない。民部のフランス滞在中の話を聞かせてくれ」
我に返った栄一は、無礼を謝し、ヨーロッパ旅行の話を詳しく報告しました。慶喜も興味深げに聞き入ってくれたそうです。謹慎中の慶喜にとって、栄一の話は何よりの土産だったかもしれません。
それにしても、ほんの1年半ほど前まで全国の諸大名や旗本を一段高いところから見下ろしていた将軍が、栄一のような低い身分の者と同じ畳の上で膝を突き合わせている姿は、何とも物悲しかったですね。まさに、徳川の世が終わったことを物語っていたシーンでした。平成10年(1998年)の大河ドラマ『徳川慶喜』でも、明治以後の慶喜は描かれなかったですからね。『青天を衝け』では、こののちの慶喜も描かれるはず。たぶん、大河ドラマでは初めてのことなんじゃないでしょうか。今後が楽しみですね。
ブログ村ランキングに参加しています。
よろしければ、応援クリック頂けると励みになります。
↓↓↓
by sakanoueno-kumo | 2021-09-13 21:51 | 青天を衝け | Trackback | Comments(2)
構成も演出も素晴らしい、3月くらいまで今回の大河続けてくれないかしら?
たしかに長屋(笑)。
あと、ガラスの話もしていましたね。
このとき、板ガラスを知らなかった栄一たち一行が、汽車の窓からミカンの皮を投げ捨てたところ、ガラスに当たって跳ね返り、前の座席にいた西洋人の顔に当たったそうです。
これが原因で言い争いになり、お互い言葉が通じないため一悶着が起きたものの、やがて日本人一行が板ガラスを知らなかったということがわかり、場は収まったという有名なエピソードがあります。
この話をするかと思いましたが、しなかったですね。
おっしゃるとおり、もっともっと観たいですが、全41話と決まっちゃってますからね。
あと15話しかありません。
もっとも、ここからは経済の話になってくるでしょうから、ちょっと小難しくなるかもしれませんね。
わたしも、金本位制とかの話になると、ちょっとチンプンカンプンになっちゃうので、これまでのように解説できないと思います。
大森美香さんの手腕の見せ所ですね。