波多野秀治を祀った味間御霊神社。 : 坂の上のサインボード
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波多野秀治を祀った味間御霊神社。

前稿で紹介した波多野秀治の墓から東へ300mほど歩いたところに、波多野秀治を祀った御霊神社があります。

「御霊神社」という名称の神社は、福知山市と丹波市にもそれぞれ明智光秀を祀った神社としてあるのですが、ここはその光秀と戦って処刑された秀治を祀った神社です。

同じ名称で紛らわしいので、この地区の地名をとって味間御霊神社と呼びます。


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神社に向かう道中には、例によってNHK大河ドラマ『麒麟がくる』にあやかった観光誘致のがあります。


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参道の入口には、防獣柵があります。

ここを開けて山道を登ります。


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山道にも幟が。


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ちなみに、この幟に描かれている女性は、明智光秀の実母・お牧です。

天正7年(1579年)6月、八上城主・波多野秀治は明智光秀の兵糧攻めによって降伏しますが、その際、光秀は秀治に対して命の保証を約束して降伏を促し、そのとして光秀は実母のお牧を人質に差し出したといいます。

ところが、信じて降伏に応じた秀治を、織田信長処刑してしまいます。

激怒した秀治の家臣たちは、お牧を八上城内にあった松の木にして殺害したといい、このことで光秀は信長を恨み、のちの本能寺の変の一因となった・・・と。


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もっとも、この逸話は史料に乏しく、江戸時代に生まれた創作とされているようです。

本能寺の変の真相は「怨恨説」「天野望説」「信長の非道阻止説」「黒幕説」など、さまざまな見方がありますが、この逸話に基づく怨恨説は、近年はあまり取られないようです。

ただ、平成8年(1996年)のNHK大河ドラマ『秀吉』ではこの逸話が採用され、野際陽子さん演じる光秀の母が磔にされた上で光秀の眼前で槍で突き殺されるという壮絶なシーンが描かれました。

今年の『麒麟がくる』のお牧役は石川さゆりさんですが、どうでしょうね。

丹波篠山市としては、幟まで作ったのだから、やってほしいでしょうね。

でも、やったらやったで、「史実じゃない!」とか言って文句言う狭量な奴らが出てくるでしょうね。

江戸時代からの伝承として残っている話なんだから、私は描いてもいいと思いますけどね。


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幟に沿って進んでいくと、が見えてきました。


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味間御霊神社です。


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丹波地区に残る伝承によると、秀治の次男・甚蔵は、八上城落城ののち乳母に抱きかかえられ味間へ落ち延びたそうで、その後、波多野定吉と名乗り、篠山藩に仕えたといいます。

その定吉の三代あとの波多野源左衛門定尚が、明暦年間(1655~57年)ここに神社を建立し、先祖の秀治を祀ったそうです。


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現在の社は幕末の弘化年間(1845~38年)に再建されたものだそうです。


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定尚の建立当時は「丹波神社」という名称だったそうですが、波多野一族と付近住民が「御霊さん」と呼んでいたそうで、明治12年(1879年)の神社明細取り調べの際に「御霊神社」となったそうです。


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その説明板です。


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社の横には「御霊神社𦾔跡」と刻まれた石碑があります。


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丹波篠山市味間奥には、波多野氏の屋敷跡があります。

次稿につづきます。




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by sakanoueno-kumo | 2020-06-18 00:15 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)

 

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