丹波安口城攻城記。
丹波籾井城から旧街道沿いに1.5kmほど東に、かつて安口城と安口西砦がありました。
安口城(はだかすじょう)と読みます。
難読ですね。

写真右の山の山頂が安口城、左の山が安口西砦です。

安口城は元亀年間(1570年~1573年)に籾井城主の籾井綱重が隠居して移った城と伝わります。
綱重は丹波八上城主・波多野秀治の妹を娶った人物で、長男の籾井教業(あるいは綱利?)に籾井城を任せ、次男の籾井正綱を引き連れて安口城に入ったそうです。
天正3年(1575年)から天正7年(1579年)にかけての明智光秀の丹波攻めの際、籾井城とともに落城しました。

西には籾井城跡のある白尾山が見えます。

この日は、時間の都合で安口西砦はパスし、安口城だけ登ることにしました。

登山口は籾井川に架かる橋を渡ってまっすぐ進んだところにあります。

防獣ネットを開けて入山。

入山するとすぐに竹林に入り、どこが登山道か分かりづらかったのですが、なんとなくネットに沿って登っていくと、登山道らしき道が見えてきます。

こんな感じの道。

5分ほど登ると、山道らしくなって来ました。

虎口っぽい形状の場所に出ました。

登り始めて約10分。
主郭と見られる山頂に到着しました。

スマホのアプリで計測した主郭の標高は323m。
比高90mほどなので、10分ほどで登れます。

主郭は南北に長く、50~60mほどあろうかと思います。
詳しい面積はわかりませんが、結構広いです。

主郭北側は立派な土塁で囲われています。

写真は主郭東側の切岸です。
この切岸の斜面に一部石垣が残っているとのこと。
降りてみましょう。

切岸斜面下です。

たしかに、石垣跡と見られる石が点在しています。


明らかに石垣跡ですね。

これなんか、完璧に石垣としての姿を残しています。


こっちにも。
往時はこの切岸全体に石垣が積まれていたのでしょう。

主郭上に戻って、主郭南側には、1段下に第2郭と見られる空間あります。
ということは、私が登ってきたルートは城跡西側の斜面からいきなり主郭横を突いたってことですね。
じゃあ、さっきの虎口跡のような場所は、虎口ではないのかも。

第2郭は主郭よりは狭いですが、こちらも結構な広さです。
この下にもまだ郭群はあるようでしたが、ひとまず主郭に戻って、今度は主郭北側に。

主郭北側には、どデカイ堀切があります。

その向こうに、また郭があるようです。
降りてみましょう。

巨大堀切の下に降りてきました。

今でもこの深さですから、往時はもっと深くて斜面も急だったのでしょう。
完全に主郭と北側郭の尾根を分断しています。

北郭(たぶん副郭)に登ります。

北郭の上です。

木々が茂っていて広さがつかみにくいですが、主郭に比べると小ぶりな郭です。

北郭の北側にはまた堀切があり、その向こうにまた郭があるようですが、これ以上は進みませんでした。

このあと、隣の安口西砦に登ろうかどうか迷いましたが、安口城を下山した時点で午後3時半頃だったこと、この日は午前中にも籾井城に登っていて、結構膝にきていたこともあり、断念しました。
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by sakanoueno-kumo | 2020-06-03 22:57 | 兵庫の史跡・観光 | Trackback | Comments(0)