麒麟がくる 第4話「尾張潜入指令」 ~小豆坂の戦い~ : 坂の上のサインボード
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麒麟がくる 第4話「尾張潜入指令」 ~小豆坂の戦い~

 第4話の冒頭は戦シーンからでしたね。この戦いは、駿河国の今川義元と三河国の松平広忠の連合軍が、三河に侵攻してきた尾張国の織田信秀と激突した戦いで、後世に「小豆坂の戦い」と呼ばれます。ドラマでは少しだけしか描かれませんでしたが、今回はそれ以外は主にフィクションの回だったので、小豆坂の戦いについて解説します。


麒麟がくる 第4話「尾張潜入指令」 ~小豆坂の戦い~_e0158128_19571171.jpg 三河国を治める松平氏は、ながく西の織田氏、東の今川氏の脅威にさらされていました。松平広忠が当主だったこの当時、三河への進出を狙う織田氏と対峙するため、今川氏の後援を受けていましたが、天文13年(1544年)、刈谷城あたりを治めていた国人・水野信元が、今川氏を離反して織田氏に寝返ります。水野信元は松平広忠の正室・於大の方(弟という説も)でした。そこで広忠は於大の方を離縁し、さらに、今川との関係を密にすべく、息子の竹千代人質に出すことにします。のちの徳川家康ですね。ところが、天文16年(1547年)、護送の任にあたった田原城主・戸田康光裏切りによって織田方に渡されてしまいます。竹千代、数え6歳のときです。織田信秀は人質の竹千代を利用して織田の傘下に入るよう広忠に働きかけますが、広忠はこれに応じず、今川氏を頼って織田氏への徹底抗戦の構えを崩しませんでした。


天文17年(1548年)3月、信秀は本格的な三河侵攻を狙い、岡崎城攻めを開始します。庶長子の織田信広を先鋒とし、4000余りの兵を率いて安祥城から矢作川を渡河、上和田に着陣しました。一方、東の今川義元も、太原雪斎を大将、朝比奈泰能を副将とした約1万の兵を松平氏の援軍として出陣させ、同月19日、小豆坂で合戦となります。


 戦いは当初、織田軍の方が優勢だったといいますが、伏兵となっていた今川方の部隊が攻撃に転じ、織田本軍に横槍を入れたことで形勢は逆転。織田勢は総崩れとなります。戦いは松平・今川連合軍の勝利で終わりました。


 ドラマでは、この戦いで信秀は流れ矢に当たって重症を負っていましたが、調べてみたところ、そのような史料は確認できません(知っている人がいれば教えてください)。ドラマでの東庵の見立てでは、当たったのは毒矢で、その毒がまわって既に手遅れになっているかの報告が斎藤道三のもとにもたらされていましたが、実際には、信秀はまだあと4年生きます。見立て違い? それとも意図的なガセネタ? 東庵という人物、まだよくつかめませんね。


 織田氏の人質となった竹千代ですが、翌年、今川方の太原雪斎が安祥城を攻略し、織田信広を生け捕りにして竹千代との人質交換を果たします。その後、竹千代は今川氏の下で人質として過ごすことになるわけですね。織田氏の人質として過ごしていた期間は2年間ほどでしたが、小説やドラマなどでは、このとき9歳上の織田信長と知り合ったというエピソードがよく描かれますが、たしかな史料はありません。でも、会ってたっておかしくないですよね。6歳と15歳では意気投合はしなかったでしょうが、のちに今川氏を離反して織田氏と同盟を結ぶことになる家康。このとき、何らかのシンパシーを感じていた・・・なんてのは、ベタなドラマの観すぎですかね? まあ、少なくとも、薬売りに扮した明智光秀には会っていなかったと思いますが。



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by sakanoueno-kumo | 2020-02-10 19:59 | 麒麟がくる | Trackback | Comments(2)

 

Commented by heitaroh at 2020-02-19 08:07
小豆坂って昔は織田方の勝利って言われてましたよね?最近では、雪斎が率いていたことで、今川の勝利ってことになってるようですが。
考えてみれば、小豆坂自体、どこにあるのかも考えたことなかったですね。今度行ってみようと思います。
Commented by sakanoueno-kumo at 2020-02-19 16:44
> heitarohさん

小豆坂の戦いは2回あったと言われていて、1回目が織田方の勝利で天文11年(1542年)、2回目がドラマで描かれていた天文17年(1548年)で、こちらが今川の勝利だったと思います。
もっとも、1回目の戦いは、実はなかったとする説もあるようですね。

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