太平記を歩く。 その181 「鷲林寺」 西宮市 : 坂の上のサインボード
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太平記を歩く。 その181 「鷲林寺」 西宮市

西宮市にある鷲林寺を訪れました。

ここは、正平6年/観応2年(1351年)2月17日に起きた「観応の擾乱」における「打出浜の戦い」において、足利直義が陣を布いたとされる場所です。


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「光明寺合戦」で勝負を決することができなかった足利尊氏軍は、軍勢を兵庫に移し、摂津の赤松範資と合流して大軍を形成します。


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同年2月17日、ここ鷲林寺や越水に陣を布く直義に対し、これを攻めるべく尊氏は2万の軍勢を現在の神戸市東灘区の御影の浜に進めますが、あまりにも兵の数が多すぎて逆に統制がとれず、敗北を喫します。


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総崩れとなった尊氏は松岡城へ逃げ込み、そこで高師直を出家させるという条件で直義と和睦するのですが、師直らが京都に護送される途中、ここ鷲林寺前で養父を師直に殺された上杉能賢に襲われ、師直以下一族の多くが殺害されました。


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多宝塔です。


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ここを訪れたのは3月で、写真は裸木が目立ちますが、春は、秋には紅葉が綺麗なところです。


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敷地内にある石塔群です。

説明看板によると、これらの塔が作られたのは13世紀後半から14世紀初めと考えられているそうです。

あるいは、「打出浜の戦い」に関係してるかも・・・。


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七重塔に「信玄公墓」と書かれた木札が置かれていますが、そんな伝承があるそうです。

ただ、時代的に合わないようで、あくまで伝承の域をでません。


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この時代、大寺と城はセットだった場合が多く、かつてここにも鷲林寺(十林寺)城があったという説もあります。

そこで、寺の裏山を登ってみました。


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城跡らしき遺構は確認できませんが、登山道は大きな岩がゴロゴロと転がっていて、城の名残といえなくもない気がしましした。


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かなり急勾配な登山道で、しかも大きな岩が多いため、結構キツイ登山でした。


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15分ほど登ったところにある岩場からの眺望です。

北は宝塚方面から川西池田まで、東は広大な大阪平野、南は西宮から大阪湾を望む大パノラマです。


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正面に見下ろすのは、標高309.2mの甲山です。


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このロケーションですから、として利用しないはずがありません。


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かつて鷲林寺は寺領70町歩・塔頭76坊を誇る大寺院だったそうですが、見てのとおり、陣を布くのに絶好の場所にあったため、その後も幾度となく戦火に巻き込まれ、最後は、天正7年(1579年)の荒木村重討伐の織田軍により、鷲林寺は兵火にかかり、衰退していったそうです。




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by sakanoueno-kumo | 2018-01-14 08:32 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(2)  

Commented by heitaroh at 2018-01-15 20:26
素朴な疑問ですが、南北朝の頃に石垣はあったんですかね?
Commented by sakanoueno-kumo at 2018-01-16 16:50
> heitarohさん

いや、たぶんなかったんじゃないかと。
太平記シリーズで南北朝時代の城跡を何箇所もめぐっていますが、それらの全ては後に改築されており、現在に残る城跡の遺構は、古いものでも16世紀前半のものだとか。
その最も古いものが「その47」で紹介した観音寺城跡の石垣だそうです。

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