太平記を歩く。 その146 「花矢倉展望台」 奈良県吉野郡吉野町
吉野山シリーズの最後は、吉野朝廷の舞台がほぼ見渡せる花矢倉展望台からの眺望です。
桜のシーズンは観光客でにぎわう絶景スポットですが、真夏のこの日はわたしひとりでした。
標高約600mで、ここまで上がってくるのは結構たいへんですからね。

眼下に目を落とすと、吉野山の町並みが南北に馬の背のような格好で尾根伝いに浮かびます。

尾根伝いのいちばん向こうにひときわ高くそびえ立つ大建築が、「その127」で紹介した金峯山寺蔵王堂です。
こうして見ると、吉野山は蔵王堂を中心に発達した門前町だということがよくわかります。

蔵王堂にズームイン。
その左側の山中から覗いている塔のような建物が、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が開いた吉野朝廷の皇居跡に経つ南朝妙法殿です。

遠く西の方角に目を向けると、奈良県と大阪府の境にある金剛山系が望めます。
写真左のいちばん高い山が「その16」「その17」で紹介した金剛山、その右の山が葛城山、その右のラクダのふたつコブのような小さな山(小さいといっても標高517mあるのですが)が「その27」で紹介した二上山です。
金剛山系には、楠木正成が築いた千早城(その15)、上赤坂城(その14)、下赤坂城(その13)などがあります。
こうして見ると近いように思えますが、金剛山まで直線距離にして20km以上離れています。

『太平記』では、この尾根伝いの吉野山全体を、「吉野城」としています。
吉野山の尾根は東西の深い谷にはさまれ、その尾根の落ちる北側には天然の堀ともいえる吉野川が流れ、さらに吉野山の背後は、大峯から熊野へ連なる急峻な山岳地帯であることを思えば、後醍醐天皇や大塔宮護良親王が、吉野山の僧兵の力を頼りながら、守りやすく攻められにくい自然の要塞ともいえるこの地に身を寄せた理由がよくわかる気がします。
まさに、ここは南朝方の城だったんだと。
それにしても、鷲峯山、笠置山、船上山、比叡山、そしてここ吉野山と、山の上を渡り歩いた後醍醐天皇の晩年でした。
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by sakanoueno-kumo | 2017-10-20 23:17 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(2)
ロープウェイはありますが、吉野山の尾根の最北端に駅があります。
吉野山の尾根は南北に長く、南から北へ標高が高くなっていきます。
ロープウェイの駅からこの展望台までは、約1時間くらいの登山になります。
道は整備されているので、ガッツリ登山ではないですが。
わたしも、桜のシーズンには行ったことがありません。
一度行きたいと思っているのですが、かなりの観光客になるようで・・・。
同じ関西ですが、神戸からは車で2時間以上かかりますからね。