太平記を歩く。 その112 「金崎宮」 福井県敦賀市
前稿、前々稿で紹介した金ヶ崎城の麓には、恒良親王と尊良親王を祭神とする金崎宮があります。
ここは全国にある「建武中興十五社」のなかの一社で、旧社格は官幣中社です。

神社の歴史はそれほど古くなく、明治23年(1890年)に始まります。

ホームページにあるその由緒によると、敦賀の人々の熱烈なる請願により創立されたとありますが、他の「建武中興十五社」がそうであるように、南朝正統論を国民に浸透させようという当時の国策が背景に見える、多分に政治的意図が含まれた神社といえるでしょう。

境内にある由緒書きです。

こちらが案内図。
金ヶ崎城跡と一体化した神社ということがわかります。

鳥居の向こうに社殿が見えます。

まず手前にあるのが、舞殿。

そしてこちらが拝殿です。

当然のことながら、紋章はすべて菊の御紋です。

創立した明治23年(1890年)9月当初、祭神はこの地で命を落とした尊良親王だけでしたが、2年後の明治25年(1892年)11月、弟の恒良親王も祭神に合祀されたそうです。
恒良親王は金ヶ崎城が落城した際に脱出しましたが、足利軍に捕らえられて京都に拘禁され、翌年に毒殺されたと伝わります。

こちらは境内・拝殿横にある摂社・絹掛神社です。

絹掛神社は、尊良親王に殉じて自刃した新田義顕以下321名を祭神とします。

ここ金崎宮の境内も、かつては金ヶ崎城の一部だったのでしょうね。
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by sakanoueno-kumo | 2017-08-29 23:46 | 太平記を歩く | Trackback | Comments(0)