三木合戦ゆかりの地めぐり その25 ~安楽寺・円照寺~
説明看板によると、元は弘法大師の弟子、真紹上人によって中道子山の山頂に築かれていたそうですが、赤松氏が中道子山城を築城する際に、山麓に移されたといいます。
赤松氏の没落後は、志方城主の櫛橋氏によって再建されたそうです。

三木合戦とのゆかりの逸話は残っていませんが、中道子山城の山の麓にあり、志方城主の櫛橋氏とゆかりが深いこの寺院が、合戦に関係していないはずはないと思い、あえてシリーズに加えます。

この看板つながりでもありますしね(笑)。

白い塀が長く続いているのが印象的で、まるで近世の城跡を思わせます。

資料などには残っていませんが、あるいは、落城後に落ち延びた武士たちを、収容したかもしれません。
ここを訪れたのは4月18日でしたが、もう2週間ほど前に来れば、桜が綺麗だったでしょうね。


山門の外には、これも三木合戦とは無関係ですが、なにかの供養塔が目につきます。
説明看板によると、南北朝時代の武士の供養塔と考えられているそうです。
歴史の深さを感じますね。

もう1か所、このすぐ近くに円照寺というお寺があり、そこに羽柴秀吉が奉納した陣鐘があると聞いたので、訪れてみました。

ここにもこの看板が・・・。

そして鐘つき堂の周りにも、てるひめちゃん幟が立てられています。
昨年の大河ドラマ『軍師官兵衛』以降、加古川市はとにかく光姫推しなんですね。

で、目的の陣鐘ですが、説明板を読んでみると、秀吉がこの陣鐘を奉納したのは、天正15年(1587年)のことで、三木合戦のときではなかったんですね。
元は周防国(現・山口県)の上野八幡宮にあった銅鐘を、島津攻めの際に秀吉が陣鐘として使用し、帰京の際、志方八幡神社に納めたそうですが、鳴りが悪かったため、ここ円照寺に譲られたそうです。
秀吉にしてみれば置き土産だったのかもしれませんが、軽く見られたものですね。
試しに鳴らしてみましたが、いい音してましたけどね(笑)。
それにしても、こんな重いものを山口県から九州、そして播磨まで持参していたんですね。
役目の者はたいへんだったでしょう。

銅鐘には明応7年(1498年)と刻まれており、室町時代の鋳造技術の高さを伝える逸品として、市の指定文化財となっています。

以上、今回は三木合戦とはあまり関係のない、番外編でした。
まだシリーズは続きます。
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by sakanoueno-kumo | 2015-06-19 18:00 | 三木合戦ゆかりの地 | Trackback | Comments(0)