酒鬼薔薇聖斗の手記出版について思う。
「酒鬼薔薇聖斗事件」といったほうがわかりやすいでしょうか。
あの事件は、わたしたち神戸市民にとっては忘れることのできない暗い記憶です。
事件が起きた1997年とは、「阪神・淡路大震災」が起きた2年後のことで、表面的には復興が進んでいたものの、その復興の波に乗れた人と乗りそこねた人の格差が生じ始め、震災による経済的な二次災害がボディーブローのように効き始めた頃でもあり、神戸全体が震災直後とはまた違った意味での、殺伐とした空気に包まれていた時期でした。
そんな折り、またも日本中の人が神戸に注目することになった出来事が、あの「酒鬼薔薇聖斗事件」でした。
当時、神戸はもはや人の住める街ではないんじゃないか?・・・なんて、他の地域に住む知人からいわれたものです。
あれから18年も経ったんですね。
それだけ長い年月が過ぎたというのに、未だに少年犯罪の象徴のような事件として記憶に新しく、加害者は「少年A」の代名詞的存在であり続けていることを思えば、あの事件が、のちの社会に与えた影響は計り知れないものだったといえるでしょう。
そんな元少年Aが本を出す・・・正直、興味が沸かないはずがありません。
で、購入して読もうかどうか迷ったのですが、やっぱ、やめにします。
理由はいろいろありますが、いちばんは、被害者の遺族はこの出版を許諾しておらず、出版停止を要求しているということ。
わたしが買うのをやめたところで、きっと本は売れるのでしょうが、まあ、小さな抵抗です。
あと、ネットで検索してみると、すでに読んだ人の感想や、中には「あとがき」を全文転載しているブログなどもあり、それを読めば、概ね内容が想像できるから、という理由でもあります。
「あとがき」では、ひたすら犯した罪への反省の意を綴っていますが、でも、結局は随所に自己保身の言葉が見られ、気分のいいものではありませんでした。
まあ、人間であれば、だれでもきっとそうなりますよね。
以前、少年Aの両親が書いた手記『「少年A」この子を生んで・・・』が出版されましたが、それは購読しました。
たしかこの本は、印税をすべて被害者遺族への賠償に充てるとの話でしたし、何より当時、新米の親だったわたしとしては、どう間違えたらこのような凶悪犯が育つのか、これから子供を育てていく上での資料として、たいへん興味深かったからでもありました。
でも、結局は読んだあと後味が悪く、読まなきゃよかったと思ったのを憶えています。
その本も、結局は保身の内容でしたからね。
人は忘れる生き物です。
どれだけ深く反省しても、その思いを一生薄れることなく持ち続けるのは不可能だと思います。
人は忘れるから、苦しみや悲しみから立ち直ることができるといえるでしょう。
また、人は自己を否定し続けて生きてはいけません。
自己を否定し続けたら、いきつくところは自殺しかなくなるでしょう。
人は皆、否定したい過去をどこかで恣意的に捻じ曲げて都合よく解釈し、言い訳を繕い、正当化するなどして受け入れて生きていくものだと思います。
それが生きていく力で、これはたぶん仕方がないことなんですね。
だから、こういう手記は、必ず自己保身の文章になってしまうのでしょう。
もし、本当に心からの懺悔文が書けるとしたら、それは、いまから死ぬというときだけなんじゃないでしょうか。
でも、被害者はもちろん世論も、少年Aが過去を忘れること、身を守ろうとすることを不愉快にしか思いません。
彼は、一生罪を背負いながら生きていくべきだと、誰もが思っています。
だから、やはりこういう本を出すべきじゃないんですよね。
彼に出来る最大の懺悔は、生涯、社会に対して声を発することなく、ひっそりと生きていくことだったんじゃないでしょうか。
また、それが結果的に自分の身を守ることにもなったと思います。
心のなかでは、どんな言い訳を持っていてもかまいません。
人間ですから。
でも、声に出して言うべきじゃなかった。
また、生き方を間違えましたね。
たぶん、話題性からいってこの本は売れるでしょうね。
出版社のコメントは「批判は覚悟の上だが、社会的意義はある」とのことだったそうですが、ならばせめて、この本で得た収益を、今後の少年犯罪の減少に繋がる何かに寄付してください。
自社の利益のためではなく、あくまで社会のためだというならば・・・。
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by sakanoueno-kumo | 2015-06-11 19:39 | 時事問題 | Trackback(1) | Comments(2)

◆酒鬼薔薇聖斗 いまだ自己愛障害 遺族感情を逆撫でしてまで手記出版◆ 出版社の担当者によると、Aが仲介者を通じて数年かけてまとめた草稿を今年3月に同社に持ち込み、実際に面会して出版が決まったという。 初版は10万部。著者名は「元少年A」で、タイトルページの裏面にはAが1枚だけ持っていた祖母に抱きかかえられた3歳のころの写真が掲載されている。同書で少年は「死ぬまで誰にも話さないつもりだった」という最初の性衝動の話をしており、非常に衝撃的だ。 Aは巻末で「被害者のご家族の皆様へ」として「皆...... more
ただ、永山則夫死刑囚の場合は時代背景も違うのでしょうが、ちょっと情状酌量の余地はあるように思いました。私でも彼のような環境に生まれたならばと。そういう現実があるということを世の中に啓蒙したという意味では自己保身に走る出版物自体が悪いというわけではないのかなと。決して貴兄の言われていることを否定するつもりはないのですが、読んでてふとこの事件との対比が頭に浮かびました。私はしろ、山口県光市での少年による母子殺人事件のほうがうちも子供が生まれたばかりでしたので強烈に印象に残っております。
永山則夫という人のことはわたしも詳しく知らなかったのですが、「永山基準」という言葉でよく耳にしていました。
貴兄のおっしゃることはわからなくはないのですが、永山則夫と今回の元少年Aの事件では時代背景や性質の違いもありますが、いちばんの違いは、永山は死刑囚だったのに対し、元少年Aはすでに釈放されていて、今も、そしてこれからも、この世の何処かで生きているということではないでしょうか?
永山が声を発したのは獄中からですが、今回の元少年Aは、この国の何処かで仮面をかぶって暮らしているなかでの発声で、やはり、意味合いはぜんぜん違うように思います。
わたしの住まいは、事件の起きた小学校から車で10分ほどの距離にありますから、彼が釈放されたという報道を聞いたとき、「もしかして神戸に住んでいるかも・・・」なんて、少し気味悪く思ったものです。
どこかで暮らしているであろうことは分かっていても、こうして自ら声を発することで、あらためてそれを実感させられたわけで、そしてその声が自己保身の声だと聞けば、やはり気分のいいものではありません。
彼は釈放されたけど、日本にいるのか外国にいるのか、あるいは生きてるのか死んでるのかもわからない・・・そういう存在であり続けるべきだったんじゃないかと。