私が鑑三翁のこの一文で注目するのは「知的障がい者教育の必要性は経済的な打算で説明できるものではない、なぜならば彼らは神の子だからだ」という一点である。そして鑑三翁は続けて以下のように記す。【「この弱い兄弟のためにも、キリストは死なれたのである。」(コリント人への第一の手紙8:11)これが全ての弱き人、全ての苦しむ者、全ての貧しい者を救おうとする最高で最も深い動機である。路頭に迷う家のない子ども、警官に追い立てられる乞食(こつじき)の者、経済的には社会に何の価値も見出せない知的障がいの者、歩行障がいの者、目の見えない者、耳の聴こえない者、話せない者、四肢欠損の者、これらの者は皆「キリストが代わって死なれる弱い者たち」である。しかるがゆえに貴いのである。彼らでさえもし神の御心(原文「聖旨)にかなえば信仰によっ...[Ⅵ284]安楽死/考(7)/人はみな神の宮殿
「病気ブログ」 カテゴリー一覧(参加人数順)