【蔵書No. 21】音楽が無ければ... | 音楽は自由にする - Me at the book

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【蔵書No. 21】音楽が無ければ... | 音楽は自由にする

今年の春に本人の訃報を知った時は正直信じることができなかった。振り返ってみると、物心ついた時から教授の音楽がそばにあるのが当たり前になっていた。だが、楽曲だけでなく本人の生き様について興味を持ち始めたのは、楽曲自体を知ってからかなり後のことである。ドキュメンタリー番組等で本人の生い立ちを軽く知ることはあっても、自身によって当時の出来事が細かく語られているコンテンツというのはあまりなかったような気がするのだ。本人の訃報の衝撃も相まって、書店で本書を見かけた時は反射的に手にしてしまった。

読んだ本

・タイトル:音楽は自由にする
・著者:坂本龍一

感想云々

 大げさでは無く、自分は音楽が無いと壊れていたかも知れないと感じることが多々ある。そもそも音楽は人間が生きるためには、本来いらない要素のはずである。しかし今まで生きてきた中で音楽を聞き続けていると、音楽が持つ力に徐々に気付かされるようになっていた。今や世の中にはスポーツやエンタメが数多く存在している。だが、音楽ほど人の感情を瞬く間に変えてしまうような瞬間風速を持っているものは、ほぼ存在していないんじゃないかと思う。パワースポットに行って絶景を見たり、厳かな美術館で名画を目の当たりにしても、音楽を聞いた時のように突然泣き叫びたい気分になったり、全身が雷にうたれたような衝撃を受けることなんてあまりないと思うのだ。人間が生存するための機能には本来関係ないが、人間が豊かであるためには必要不可欠と言ってしまっていいのかも知れない。そう思って振り返ってみると、自分の中で感情が負に大きく揺れ動いた時は、いつも音楽に依存していた気がする。十代の頃に鬱状態になって心をほぼ閉ざしてしまった時も、絶対に失敗できないことを翌日に控えて緊張で震えた時も、すべてを壊して回りたいほどの怒りを覚えた時もそうだ。いつでも変わらないテンポが、まるでペースメーカーの役割を果たすように、鼓動のリズムを一定に抑えてくれた。自分の生活において半ば精神安定剤のようなものになってしまったが、知れば知るほど、音楽という存在に特別なものを感じるのだ。
 音楽の中には、いつまでも自分の心を掴んで離さないような刺さる曲が自分にもいくつかある。だがそもそも「刺さる音楽」とはどういうものなのだろうか、と思う。この世にクラシックやロックやポップのように、音楽のジャンルなんていくらでもあるし、心地いいと感じるメロディも沢山ある。だがそれらに多少感動することはあっても、感情を突き動かすレベルのものは一握りである。そんな感情を動かす音楽の定義は、結構曖昧な気がするのだ。しかし本書を読んでほんの少しだけはっきりしたのだが、自分にとって刺さる音楽に対して、自分は無意識に共感を覚えていたんじゃないかと思う。坂本龍一氏の作り出す音楽は「いい曲を作ってやろう」という能動的な気概で作られたものではなく(それも少しあったのかも知れないが)、どちらかというと社会に対する反動・反発の精神で作られたものが多いように感じる。他の人がスピーチや文章に形を変えて主張をするように、坂本龍一氏は音楽を言葉のようにして世の中に訴えかけていたのだ。「それと同じ感覚」なんて大層なことは決して言えないのだが、坂本龍一氏の音楽が自分に刺さっているのは、自分にもある種社会や決まりきった制度に対して、反発したり反抗してみたいという思いが少なからず刻まれていたのかも知れない。単に良いメロディに感動するだけでなく、聞くことで自分の潜在的な感情が浮き彫りになる...自分はそこにも音楽のパワーを感じずにはいられないのである。

終わりに

文字の無い文化は存在しても、音楽が無い文化というものは無い気がする。
坂本龍一氏のように凄い音楽を作り出す能力などないのだが、音楽をより必要として掘り下げつつ、微力ながら後世に伝えて行くのは、ある種人間の根源的な行動であるとさえ思える。教授の音楽は、一生聞き続けるだろう。


それでは。