三七人参(田七)の日本で初出   その4 : 昭和薬局ブログ
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三七人参(田七)の日本で初出   その4

三七人参(田七)の日本で初出   その4

広東人参、三七人参、西洋人参 (2)

西洋人参の中国流入

南陽先生の言う、「広東人参」が「西洋人参」である可能性は、ゼロではありません。
そこで、「西洋人参」について、述べてみます。

「西洋人参(西洋参)」という名がついてはいますが、産地からすると「北アメリカ人参」といった方が正確でしょうね。

日本では、「西洋人参」については、こう伝わっていました。
“アメリカの新たに獲得した領土である、カリフォルニア州で1848年に金が発見され、ゴールドラッシュが起こった。その時に中国より多くの移民労働者が渡り、朝鮮人参に似たもの、西洋人参を見つけた。これがきっかけとなり、西洋人参が中国に入ってきた。”
私は、西洋人参に対しては、調べたことがなかったので、そんなものであろうと思っていました。
しかし、それは誤りであることが、判りました。


馬暁北先生編著の「西洋人参」によれば、もっと前から、中国に入って来ていました。

先にも、述べましたが、
康熙帝が、長白山への一般人の立ち入りを禁じたことにより、朝鮮人参の供給が不足しました。

1718年、フランスの毛皮商が、試しに西洋人参を中国に輸出しました。
ワシントン(初代、合衆国大統領)の日記には、人参を堀っている人に遭遇したことが書かれているそうです。
1776年7月4日、アメリカ合衆国の独立宣言がなされました。
1788年、フィラデルフィアの文献には、Daniel Boon(ダニエル・ブーン)という著名な探検家が、15トンもの西洋人参を売ったとの記載があるそうです。
ただし、北アメリカから直接、中国に送られたのではなく、ヨーロッパ経由です。西洋人参は、イギリスやフランスを通じて、中国に輸出されました。
それで、中国では西洋人参の原産地をフランスであると、誤解したようです。
西洋人参についての最も古い記載は、「本草綱目拾遺」(1765年)と「本草従新」(1757年)です。それには、西洋人参はフランスの原産であるとしています。
「本草従新」には、“西洋人参は、形は遼東の人参に似ているが、煎じても香りが良くない。その気は、甚だ薄い。市中の偽人参はみなこの種である。見分けるのが難しい。”とあります。
(この文章からも、「広東人参」は、西洋人参ではない可能性が高いでしょう。)
この時代には、「西洋人参」は「西洋参」という名が一般的なようです。
1784年2月、西洋人参を242箱、約30トンを積んだ「中国女皇」号という船が、ニューヨークから出帆し、8月30日に中国の広州(広東)に到着した。
これが、アメリカと中国との直接貿易の始まりでした。
その後、毎年約70トンの「西洋人参(西洋参)」が、アメリカのニューイングランドより、中国に送られました。
更にその後、アメリカの「旧金山」(サンフランシスコ市)が西洋人参の集散地となり、おもに広州(広東)に送られました。
西洋人参の別名の一つが、広東人参であるのは、このことによるのでしょう。

以上のことから、1700年代の後半には、西洋人参は中国に相当量入ってきています。
それが、日本に更に転売された可能性は、当然あります。
しかし、この時代の文献の「本草綱目拾遺」、「本草従新」には、「西洋人参(西洋参)」の別名が「広東人参」であるとは、書かれていません。

原南陽先生の「叢桂偶記(そうけいぐうき)」には、
“少し前に、長崎の人が、「朝鮮人参、広東人参、韓種人参、竹節人参」の4種を、オランダの外科医の「ヘルマニス・レツテキ」に見せて質問した。
すると、「広東人参」以外は知らないとのことであった。「広東人参」のことを、「アメリカソム」と答えた。”
この文章を、そのまま受け止めれば、「広東人参」は「西洋人参:アメリカソム」であることになります。しかし、オランダ人は、もともと朝鮮人参などは見たことがなく、「アメリカソム」しか知らなかった、と文章からは読み取れます。その「アメリカソム」ですら、西洋人は薬として使いませんので、よく知ってはいなかったでしょう。そこで、その「アメリカソム」に似た感じの「広東人参」を「アメリカソム」と答えた可能性があります。
また“寛政丙辰年(1796年)、オランダ人が、「広東人参」を「アメリカソム」という名称で若干斤、持ち込んだ。
これで、この物産(広東人参)が、アメリカ産であることがわかった。”
この文からは、「広東人参」が、「アメリカソム:西洋人参」であることが読み取れます。
人参の「参」の日本語の音は、ジンまたはサンですが、広東語ではサム、ツァム、北京語ではシェン、ツァンです、
「アメリカソム」のソムは、広東語のサムに近く、ソムと表現してもおかしくはありません。

同じ「叢桂偶記(そうけいぐうき)」の文でも、こちらの方は、「広東人参」が「西洋人参(西洋参)」である可能性が高いことを示しています。
これは、オランダ人がそう言っているのであって、原南陽先生らが、眼で確かめてはいません。
「朝鮮人参」ですら、「東洋人参(東洋参)」の別名があるのですから、「三七人参」が、どのような別名があっても、不思議ではありません。
「東洋人参(東洋参)」の「東洋」は、日本を指しますので、「東洋人参(東洋参)」は「日本人参(日本参)」ということです。

結論
『叢桂偶記(そうけいぐうき)』に云う「広東人参」は、「三七人参(田七)」である可能性もあれば、「西洋人参(西洋参)」である可能性もあります。

しかしながら、実際に使用したことのある原南陽先生らの薬効に対する解釈、使用経験からして、ここで言う「広東人参」は「三七人参(田七)」であることは、ほぼ間違いないと思います。


朝霞の漢方     昭和薬局    薬剤師 鈴木 覚
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