前回の続き、祖父の遺願を叶おうと、合計9日間の旅をしましたが、前回は4日目まで、今回分は残りの8/24からの5日間です。
そして、前半は山西省大同市、後半は内モンゴル自治区です。元々山西省のみの帰省ですが、祖父のふるさとは山西省ですから。祖父だけと言ったら、不公平なので、祖母のふるさとも行こうかと思いました。祖母の祖籍は山西省ですが、飢饉を逃れるために内モンゴルに行ってました。計画上、内モンゴルの祖母の実家へ日帰りじゃないと間に合わないので、調べたらフフホト市からもウランチャブ市からも車で片道3.5時間かかるし、私が免許を取ったばかりの実習期間で親に乗せるのが不安だし、行くのがやめて、単純な内モンゴル旅行になりました。というわけで、8/24からのスケジュールは以下の通りです。
8/24 祖父の実家(大同市天鎮県○○村)→慈雲寺
8/25 大同古城内遊覧(九龍壁→四牌楼→清真大寺(大同)→純陽宮→華厳寺→関帝廟)
夕方から列車で内モンゴル自治区フフホト市へ移動
8/26 響沙湾
8/27 観音寺→大召無量寺→塞上老街→清真大寺(フフホト市)→敕勒川高山草原
8/28 内モンゴル自治区博物院→将軍衙署→公主府→青城公園
22:00-0:10フフホト白塔国際空港発、成都天府空港着
大同駅から高速鉄道で30分ほど、天鎮駅に到着。
タクシーで村へ、電話をしたら遠い親戚が村の入り口に来てくれました。祖父の旧宅がすでに祖父の長男の嫁(私の叔母)の弟(60代、一応叔父と呼ぶ)に譲れていて、ご一家が暮らしています。
天鎮県はようやく三年前「脱貧困」を完了し、生活が豊かになっています。この村の男性は大半トラックドライバーになって、良い月なら月収二万元以上のときもあるそうです。
ランチ(自家栽培の野菜を使った料理を含め、スイカなど魚から肉、果物など10品以上も用意してくれて、ありがとう)の後、お墓参りに行こうと思ったところ、急に雨。この地域があんまり雨が降らないので、少しびっくりしました。最悪なのは、雨が降ったので、お墓が探せなくなったことです。なぜならば、お墓はトウモロコシの畑にあるからです。私も初めて知ったことですが、中国北側の農民の墓は基本自家の畑にあるんです。
雨が止み、叔父が畑に連れてもらったら、啞然でした。そもそもなぜ叔父がこの畑にお墓にあるのが感心です。私から見たらどこでも同じトウモロコシの畑です。この季節、トウモロコシの木は人より高く、しかも雨の後だから畑の中に入ると、足首までなくなるぐらい泥に突っ込むことになります。仕方なく、紙銭を畑のそばで焚いて、お墓参りが完了し、村を後にしました。
事前予約した高速鉄道の時間はまだですので、県中心地を回ることにしました。そもそも観光地ではありませんので、観光スポットと言えるのは、車でしか行けない明代の万里の長城(未修繕)、と慈雲寺です。慈雲寺は唐代より修築され、国重要文化財にも指定されています。ネットにも書いてありますが、国が定めた休日しか開かないというのですが、行く場所がないので行ったら、やはり扉が閉まっていますが、よく見たら、管理室に人が出入りしていますので、声を掛けたら、入っていいって言われました。聞いてみるもんだ!ラッキー!
1900年、八国連合軍隊が北京を侵入したとき、西太后と光緒帝が逃げて、このお寺で宿泊したことがあって、北京に戻ったあと、このお寺に扁額を送りました。
慈雲寺をあとにして、特に行く場所がなくても、道でぶらぶらしてようやく帰りの高速鉄道の時間になりました。ランチはあんまりにも食べたので、夕食の時間になってもお腹がいっぱいで、ホテルに戻って出前を取りました。
いよいよ大同市にいる最終日です。
朝食後、大同古城内の観光スポットを巡りました。最初に着いたのは、法華寺ですが、まだ営業時間外なので、中に入れず次のスポット「九龍壁」に向かいました。
「九龍壁」は9匹の龍のレリーフが描かれた壁です。明・清代の中国で盛んに製作され、王宮や庭園の門の前に目隠し用の塀として建てられました。北京にも見たことがありますが、こちらの「九龍壁」は明代の14世紀で作られ、中国に現存する最大かつ最古の九龍壁です。明の初代皇帝朱元璋の十三男の代王朱桂の邸宅前に建てたものです。
代王府(九龍壁に最初に建てた代王朱桂の邸宅)、再建築のもの、パフォーマンスは売りですが、ゆっくり見る時間がなかったし、チケット代も高いので、中に入っていません。
古城内は本当に観光スポットが結構近い距離であっちこっちあります。
純陽宮、元々行く計画がなかったのですが、時間がたっぷりがあったんので、ついでに巡りました。道教のもので、古い建物のはずですが、最近修繕したばかりなので、ペンキの匂いが強いです。
華厳寺は中国に現存する遼・金代の寺院建築の中で比較的古く、かつ建造物がほぼ完全に保存されている有名な寺院です。先の純陽宮で人影がまばらと対照的にここは入り口でも列が長かったです。1062年に建て始め、焼失があって、主殿二つ以外は清代に再建されました。主殿の大雄宝殿に清代の壁画も薄伽教藏殿に31点の遼代の像も国宝です。
色々見学して、ランチの前に華厳寺というルートをしたのは、華厳寺の隣に有名なシュウマイ店があるからです。そこのシュウマイは西太后も絶賛するうまさです。早めに華厳寺遊覧を切り上げ、たばこを吸いたいと思っている父に、店で並んで欲しいと願いしたら、なんと11時ちょっとなのに、すでにお昼の整理券の配布が終了だと。よく聞いたら朝10時に整理券配布開始だそうです。人気ってわかっていますが、そこまでと思いませんでした。残念ながらそのシュウマイと縁がなかったことですね。代わりに、別のシュウマイ名店で食べました。おいしかったです。
食事後の散歩で、ぶらぶらしてたら関帝廟に着きました。
三国時代の関羽が祀られていいるこの関帝廟は大同古城内で珍しく元代の建築物があります。敷地内で見物したら、雨が降り始めて、元々は朝が見逃した法華寺に行く予定でしたが、やめました。雨が小粒になったら、タクシーでホテルに戻って、荷物を拾って、駅へ向かいました。これで山西省の旅が終了ですが、次は内モンゴル自治区へ向かいました。
フフホト(呼和浩特)市は内モンゴル自治区の省都で、都市の名は、モンゴル語で「青い城」の意味です。内モンゴルとはいえ、市内はほぼ漢民族です。
フフホト市の隣にあるオルドス市ダラト旗のクブチ砂漠東端の響沙湾は砂漠の砂が鳴くことで、奇観とされています。フフホト市内から車で2.5時間で到着できます。この日は移動距離があるので、現地の1日ツアーにしました。
見渡す限りどこまでも砂丘が広がる美しく雄大な風景だと思っていましたが、砂丘は砂丘で、実際に行ったら、響沙湾は砂漠の中のリゾート地のようなものでした。砂漠アドベンチャーをメインにする仙沙島、砂漠の中のプールの悦沙島などがあって、ガイドさんがけっこう押していましたが、私たちは全く動じず。そういう別料金で○○島に行かなくても、ロープウェイに乗って、砂漠体験も十分できます。実は私と母はあんまりノリノリじゃないのは、すでに砂漠体験済なので、父が初でしたので、スケジュールに入れました。
珍しく前日砂漠でも大雨がありました。午前中の砂はそこまでサラサラではなかったが、午後になると、やはりポケットの中も、靴の中も、鼻の孔も、スマホの充電穴にも砂が入っていました。ここの沙はとりわけ軽くて、隙間があればすぐに入ります。大変!
ちなみに、砂漠って熱いイメージでしょう。でもなぜか、ここは日陰に入れば、むしろ少し寒いぐらいです。父は初砂漠でラクダに乗る、砂滑りもすると言いながら、結局なんのアトラクションもやっていませんでした。並ぶのが嫌だって。なので大半の時間は日陰があるビーチチェアー(?)に座って、砂漠の風景をただ見るだけでした。まあ、ゆっくりした日になりました。
夕食はフフホト市内に戻ったあとの串焼き。牛や羊が多い内モンゴルだから、牛肉とマトンの串焼きはマスト。
最後の2日間、やはりフフホト市内がメインです。主なルートは観音寺→大召無量寺→塞上老街→清真大寺(フフホト市)→敕勒川高山草原です。
最初に来たのはフフホト市の新しいシンボルです。宝爾汗佛塔は2008年完成した仏教塔で、観音寺の一部になっている。高さ80M以上があって、世界一だと称するが、何か世界一なのか、よくわかりません。塔の建設はすべて個人の寄付によって賄われ、活仏が塔の建設に多大な援助を与え、貴重な釈迦牟尼仏の舎利や経典、仏像をその塔に寄贈した。こんなに新しいものが参拝者がこんなに集まったことが不思議でした。
観音寺は200年の歴史があり、地域で一番大きい、一番よく保存されている中国本土経由伝来した仏教のお寺です。
大召無量寺はフフホト市の名刺のようなもの、1580年に落成されたチベット仏教の寺院です。四川省にはチベット仏教の寺院がたくさんありますので、有料ですし、中には入っていません。お寺の前に、白い塔が並んで、写真を撮る人がいっぱい。
塞上老街は大召無量寺のすぐ隣にある、どの都市でもある古風な商店街ですが、乳製品のお土産が安かったです(成都に帰ってからまたWechatで追加して買ったぐらい、私にとっては珍しいこと、お土産を買うとき、店主のWechatのQRコード写真を撮っておいておかった)。そもそも内モンゴルは草原のイメージで、乳製品が有名で、中国一番と二番の牛乳ブランドは全部ここにあります。
この清真大寺は清代から建築されたもので、市内一番古いモスクです。中で少し見物したら、お寺の人が関係者?がなくなって、これから大事な法事があって、一時閉館するということで、追い出されました。まあ、大体回りました。
ランチはモンゴル色の強い氷で煮るマトン鍋です。一回氷で締めた新鮮なマトンが鍋で急速に温度が上がって、肉がよりおいしくなるらしいです。まあ、そもそもこちらの羊の味が四川のと全然違くて、たぶん氷じゃなくても普通の肉でもおいしいと思います。
午後はいよいよ待ちに待った草原です。市外に有名な草原が何個もありますが、マイカーじゃないと、また一日ツアーになって逆に時間の無駄になりそうなので、郊外の「敕勒川高山草原」にしました。ここに決めたもう一つの理由は、小学校の国語教科書にあった「勅勒歌」という民謡です。
勅勒川 陰山下 天似穹廬 籠蓋四野 天蒼蒼 野茫茫 風吹草低見牛羊
勅勒の草原は陰山山脈のふもとに横たわり、大空はパオのように四方の平野におおいかぶさっている。空はどこまでも青く、野原は果てしなく広がり、風が吹いて草が低くなびくと、平原のあちこちには放牧された牛や羊の姿が現れる。という意味の歌で、ずっと憧れでした。
ランチ後、SNSを参考して、公共交通で行こうと、最後の乗り換え地点に来ました。何と手書きの「道路工事につき通行不可になったため、バスが運休」というお知らせがバス停に貼ってあります!なにこれ!!!バスタミナールはすぐそこですので、スタッフに聞くと、なんと本当ですって!急な道路工事!あり得ない!バス停の隣に止まってる白タクの運転手が声をかけてくれて、行く方法があるって。仕方なく、もうここまで来たんだから、多少高くても行くしかないと。白タクの運転手が私たちを後ろに乗せ、工事止めになってるところに行って、地元の方言でそっちの道の住宅団地の名前を言って帰宅するとアピールして、少し待ってたらバリケードをどいてくれました!なんだよ!工事は全く動いていないのに、通行止めになっているし、簡単に通行できるんじゃん!
いろいろ大変なことで「敕勒川高山草原」の麓に着きました。通行止めのおかげで、観光客の姿がまだらでした(もう1本道があって、50kmぐらい遠くなるというらしい)。
シャトル電動車に乗って、草原の奥へ。おー草原だーと思いつつ、ちょっと違うと思いました。もっと広くて、平らのところで牛や羊もたくさんだと思っていましたが、ここは高原で丘の連続になってるし、草木保護の関係で基本放牧が禁止されているという。また8月下旬なので、草が少し黄色っぽいになって、全然緑じゃないじゃん!ちょっとガッカリしましたが、内モンゴルで草原を見ないわけにはいかないし、人が少なかったし、まあよしとしましょう。
晩御飯はモンゴル料理です。
いよいよ最終日。朝は定番の内モンゴル自治区博物院です。やはり少数民族の特有の柄がたくさん。
ランチはシュウマイ、しかもシュウマイ専門店のシュウマイ。このお店は毎日6時から14時まで営業、シュウマイ以外何も売っていません。
綏遠城將軍衙署は清代の綏遠城(旧フフホト市)の満、モンゴル、漢の八旗軍隊駐在と西北軍事、政治などの強固する最高権力機構です。無料で見学できる施設です。
和硕恪靖公主府は清康熙帝の娘がモンゴルのリーダーに嫁いだ時の屋敷で、今は無料な博物館です。
大分疲れましたので、親を青城公園において、私がシェア自転車で市内の風景印のある郵便局へ。2箇所で4つもゲットしました!
青城公園はフフホト市の代表的な公園です。ボーとするにはうってつけです。
晩御飯は地元のB級グルメ的な焖麺です。鉄鍋に麺を炒めてから、蓋をして出来上がりです。近くの焖麺店が少なくて、適当に選んだらはずれでした。そういう日もありますね。
ホテルに戻って荷物をピックアップして、地下鉄に乗って空港へ向かいました。
今回は長い、そして久々の家族3人の旅行です。これで山西省と内モンゴル自治区をクリアしました。中国全国制覇はあと5つの省/直轄市/自治区です。来年まで全部行けるのかな~