お、気づいた?
え、どちら様?
そう言ったそうだ。僕はその飲み会を楽しみにしていた。新しい社会で新たに作った人間関係。お酒を飲みたいと思う相手が居るとする。そしてそんな時が来る。そんな飲み会は酒は進む。齢六十を過ぎているのだから酒との付き合い方など心得ているはずだ。
余程楽しかったのだろう。さんざん笑い空いたジョッキと杯は増えていく。トイレに行くときの立ち眩みが飲み過ぎかなと思わせる。あれ、会計はしたっけ? 払ってもらい返したかな?そうなってくると途端に怪しい。
気づけば自分は白く明るい部屋で横たわっていた。頭が痛い。枕に血痕がある。この無機質な部屋はよく分かる。病院か。友と彼の奥様の顔、そして家内がそこに立っていた。どうやら酔って転倒して頭を痛打したらしい。脳震盪で一時的な記憶は消えたのか。その時の会話だったと友は言う。数分間意識が無かったらしい。救急車に乗ったようだが記憶にない。三年前に脳腫瘍で倒れて乗った救急車の中での救命士さんとの会話はよく覚えているのだが今度は救急車の記憶そのものがバッサリと欠落していた。
CTも撮ったらしい。外傷に加え頭蓋骨の中に出血があったという。一体どんな倒れ方をしたのだろう。これから約一週間入院して頂き経過観察をします、という説明があった。
こんな話を思い出した。エヴェレストの登頂も果たした彼はその世界では有名人だった。有名な山岳スキーヤーであり産婦人科の医師だった。山の街の総合病院で地域医療に尽くしていた。スキーヤーとしてはテレマークスキーを使い北アルプスの峰に登りルンゼを滑る、そんなアドベンチャースキーとも言える滑りをする方だった。僕は彼の書くブログ記事を楽しみにしていた。医療とスキーの二本立てだった。しかしもうそのブログは閉鎖されてしまった。同行者が残した詳細な記録を読んだ。槍ヶ岳だったと記憶する。飛騨沢を詰めていたら稜線からの落石にあたった。ヘルメットは無力だったのかいったん立ち上がり数歩歩いたが足元から崩れ落ちてしまいそのまま世を去った。頭に拳大の落石を受けたという。またスリリングでアグレッシブそして正確無比で冷静なドライビングで1990年代にF1トップレーサーに登りつめたミヒャエル・シューマッハーは、引退後にスキー場で転倒し頭を強打し意識不明が続いている。
頭には何が起こるのかわからない。幸いに自分の鶏卵大の脳腫瘍は無事に切除された。その三年後に外傷性くも膜下出血か。腫瘍摘出以降から頭に残る違和感とようやく友達に慣れたころにまた新たな火種がついてしまった。
その原因が如何にも情けない。楽しい一時がこんな結末だった。勤務予定、いくつもの約束、すべて取り消してしまった。ただの一度の深酒が、確かにそれは度を過ぎたのだが、こんな結果を生んでしまった。
パンとブドー酒はキリスト教儀式には欠かせないという。パンはイエスの肉体、ブドー種は彼の血。そう、意外なことにキリスト教では酒が禁止されていないと知った。しかし酒は飲んでも酩酊するな、と説かれているらしい。全くそのとおりだろう。仏教は飲酒を戒めているが般若湯という隠語がある。僧侶は隠れて飲んでいたのだろうか。
すっかり酩酊してしまった。新しい生活は始まったばかりなのに、なんという馬鹿なことを、と思うのだった。もうお酒は禁止、そう家内は言う。今日ばかりはしおらしく言うことを聞く。しかし夏の暑い日に枝豆とフライドポテトが前にある。アヒージョにパエリア、ピッツァにパスタ、新鮮な近海光り物が並んでいる。それを前にしてビールとワイン、日本酒をやめられるだろうか?彼らがいないと料理の味は半減するだろう。
新しい場所に引っ越し生活を立ち上げた。今から楽しもうというときにつまらない事をした。何事にも適量がある。一線を越えてはいけなかった。しかし弱さがある。少なくとも退院するまでは禁酒、その後も酒はまれに嗜む、そんな関係にしよう。いやそれでは甘いかもしれない。食事と自分、相手と自分を取り持ってくれる潤滑剤。罪もあれば功もある。そのつきあいは難しい。