ただただ氣の向くままに神社仏閣を巡ってきました。そこにある背景を気にかけるようになり小生の世界は少し変わりました。何よりもこの間(2022年冬)に廻った日本五大辨財天社は感覚と感性を揺らすのに必要だったようです。
何か思い立って88か所参りをする人や33か所巡りをする人もいます。何に背を押されたのか、何かに惹かれたのかは定かではありませんが、何かの心の変化がきっとあったのだろうと、いまにして感じるようになりました。
ここ丹生川上神社上社はそういう意味では小生のスタート地点かもしれません。その分、感じることや考えることが多いのかもしれません。
共に旅連れをしてくれた兄貴分夫婦に、寄り添い続けてくれるパートナーに感謝です。
※例によって写真整理が間に合っていません。写真UPでこの一行消えます。
心流紀行
村役場の前を過ぎるとすぐにホテルがあります。ホテルの前の道路を左に、そのまま山道を登っていくとお寺があって、その先に上社があります。道幅的に不安を覚えますが上社の駐車場に入るあたりは広くとられているので入りやすいです。
駐車場は3か所あり、一番上まで行くのがおすすめですが、正直なところ鳥居に戻ることを考えるなら第2駐車場がおすすめです。階段はちょっと…という方は一番上へ。
駐車場から本殿までは、階段で3分くらいです。結構な坂道です。もちろん小生が運動不足というのもあります。まっすぐに階段を駆け上がれば、きっと1~2分で…ただ小生には無理です(泣)
それはさておき、駐車場から眺める景色も素敵です。少し角度が変わるだけですが本殿前からの眺めとはまた違った印象があります。その意味では、2つの駐車場を含む3つの景色を楽しむことができます。違いは印象だけで見ている景色は同じはずですが…
小生は二段目からの眺めが好きです。
階段を上がると正面に本殿があります。その荘厳な存在感は神々しさとも威圧感ともいうことができるかもしれません。とはいえ、来るものを拒絶しているというものではなくしっかりと見守り包み込むような温かさもあります。
階段左手に手水舎、社務所があります。手水舎で清めをして、社務所で朱印帳を預けてから本殿(拝殿)へと向かいます。タイミングが良ければ拝殿の中に入ることもできます。
社務所から拝殿へと玉砂利を踏みしめていくと心なしか体が軽くなっていくような感覚が生まれます。肌寒さを感じる季節にあって心地良い温もりを与えてくれる陽の光に感謝をしながら、拝殿正面数メートル手前で足を止めます。
何故そこで足を止めたのか判らないままに一礼をするのは癖ですね。拝殿の階段を上がる前に、外観が一望できる場所で足が止まります。少しの違和感を覚えながら、拝殿の前で再び足が止まります。
少し上を見ると「ん?」と思うことがあります。
掲額には神社の名前ではなく「神雨霑灑」と書かれています。
何度も来ているのに今回に限り気が付いたのは、神社の名前が当たり前に書かれていると勝手に思い込んでいたからです。最近はやりの言葉では「認知の歪み」です。確認を怠るのは勝手な思い込みですよ…という程度に。
話がそれたので戻しますが…
神の雨…ぬらし潤わせる…流れてたゆまないさま…
Google先生は便利です。カメラで捉えるだけで意味を教えてくれます。
単純に考察して…いつの時代からこの言葉が使われたのかは判りませんが、農業の国として、必要な水を神の恵みに頼んでいた時代に生まれた気がします。意味までは分かりませんが、書かれている文字面から勝手に意味を想像します。
小生たちは車でサクッとここまで上がってきましたが…元の上社のあった場所であっても麓からすればそれなりの距離があります。人が自分たちの足で移動していた時代、村落の時代に雨が降らずに干ばつになったら…雨乞いをしたのだろうと思います。
雨予想ができない時代、不意に訪れる干ばつに対応する術を持たない時代…突然起きる理不尽な仕打ちに、嘆くだけではなく自分たちのできることを、思いつくことをやってきたことは、儀式となり、神事となり、神社での豊作を祈願するものへと変わっていったのでしょう。
生きていくために…
農作物が、水が、命を育んできたのでしょう。
命は紡がれ、もしかしたら、小生の過去の何処かに繋がっているのかもしれません。
そう思うと感謝の気持ちが湧き上がってくるものです。
石段を上がり、二礼二拍手をして、少し止まります。幾つかの言葉を交わしてから最後の礼をします。ふわっと拝殿の方から風が抜けるように吹きます。風の吹いた先には、「厳」という石。神木胎内から出てきた木の御霊と石の御霊とを合わせもつ霊石と言われています。
何を語りかけてくれたのかは判りませんが…この石もまた不思議なものです。神木の中から取り出された石。ダムに沈むからこそ、小生たちは見ることが叶ったものです。
通行止めになっているので、その場で一例だけをして、右斜め前へ(拝殿正面から見て)と。元境内地の神木の切り株がおかれています。
樹齢にして600年になるその切り株は味のある形をしています。正直なところ、ガラス板を上においてテーブルにして、この年齢を眺めながら思いに耽てみたいです。
切り株のテーブル、地の酒を傾けながら、過ぎ去りし日を語り合うのも…
この日は不思議な体感の繰り返しです。
今宵は、兄貴分夫妻が吉野和紙を使った三社めぐりという朱印巡りをしています。間違いなく巻き込みましたが(笑)
水の神を大切にするのは飲食関係の仕事をする人にとっては縁起物です。特に、農に携わる祈りを捧げられてきた場所だからこそのご利益があると信じています。というわけでしてもらったわけですが…その結果は…まぁ先の未来の発表です。
三社巡りは色々としています。その時の気分で選択をするのもありです。
朱印、龍玉、破魔矢としています。小生は、順々にしました。
拝殿から左に回っていくと小さな社が並んでいます。一つずつ丁寧に参拝していきます。分御霊が収められているので、本来の神社で拝するのと同じ効果があるといわれています。が、できれば、繋がりのある神社には足を延ばしてほしいです。
上社からみて吉野川の左前方当たりが前の上社があった場所になります。
その場所に龍のオブジェが沈んでいます。
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