『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』重版記念/「ボーカロイド文化のその後の10年」 - 日々の音色とことば

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『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』重版記念/「ボーカロイド文化のその後の10年」

 

『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』が増刷しました。

 

初音ミクはなぜ世界を変えたのか?

 

2014年4月の刊行から9年目。これで3刷目となります。こういうたぐいの本が発売から時間が経ってから重版となるのは本当に嬉しい限り。僕にとっては初の単著でもあり、思い入れの大きな本でもあります。

 

新版には「ボーカロイド文化のその後の10年」と題した文章を綴ったペーパーを挟み込んでおります。

 

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2023年8月31日、初音ミクの16歳の誕生日にあわせてこちらのペーパーに記した内容もブログ上に公開しようと思います。

00年代のネットカルチャーの泡沫が過ぎゆく時の波に洗われて消えていく中、初音ミクの登場のときにあった熱気を、20世紀のロックやポップ・ミュージックの歴史とつなぐ形できちんと単行本の形で残す仕事をすることができたのは、自分にとってもすごく大きなことだったと思っています。

 

ボーカロイド文化のその後の10年


 ブームは去っても、カルチャーは死なない。


 それがこの本の主題の一つだ。本書のモチーフの原点になった「僕らは『サード・サマー・オブ・ラブ』の時代を生きていた」というブログ記事を公開したのは2013年1月。そこにはこう書いた。

 

歴史は繰り返す。ムーブメントそれ自体は、数年で下火になる。それは宿命のようなものだ。沢山の商売人が飛びついてきて、そして舌を鳴らしながら去っていく。したり顔で、得意げに「もう終わった」とささやく人が、沢山あらわれる。

 しかし、そのことを悲観することもないと、僕は思っている。二つの「サマー・オブ・ラブ」と「2007年」をつなぐことで、僕たちは歴史に学ぶことができる。

 サマー・オブ・ラブの季節が終わりを迎えても、ロックやクラブミュージックは、今も形を変えながら若者たちのものであり続ける。それと同じように、2007年のインターネットが宿していた熱も、この先長く生き続け、刺激的なカルチャーを生み出し続けるだろうと僕は思っている。ひょっとしたらこの先、ボーカロイドのブームは下火になるかもしれない。しかしそこで生まれた「n次創作的に共有するポップアイコン」というイメージは、これからのポップカルチャーのあり方を規定する価値観の一つになっていくはずだと思っている。

 

 そして2023年7月。そこから10年が経ち、願いと祈りを込めて書いた言葉が、ちゃんと予言となったことを実感している。

 ボーカロイド文化は、決して消えることはなかった。一時的な退潮こそあれ、しっかりとユースカルチャーとして根を下ろし、拡大し、そして、いまや日本の音楽シーンのメインストリームとシームレスに繋がるようになった。

 その象徴が「小説を音楽にするユニット」YOASOBIだろう。2019年、「夜に駆ける」でデビューした彼らは、瞬く間にブレイクを果たし、時代を代表する存在になった。2023年もその勢いはとどまるところを知らない。アニメ『【推しの子】』オープニング主題歌に書き下ろした「アイドル」は国内のヒットチャートを席巻、米ビルボードのグローバルチャート「Billboard The Global Excl. U.S. top 10」にて日本語で歌唱された楽曲として初の首位を獲得するなどワールドワイドに広まった。そんな中、コンポーザーのAyaseは初音ミク「マジカルミライ 2023」テーマソング「HERO」をボカロPとして書き下ろしている。それだけにとどまらず、即売会イベント「クリエイターズマーケット」にはサークル「DREAMERS」(Ayase・syudou・すりぃ・ツミキ)として出店が決定。ヒットチャートと同人文化とがここまで直結している時代が2023年だ。

 Adoの存在も大きい。2020年10月に「うっせぇわ」でメジャーデビューした彼女は、この曲の社会現象的なヒットで日本中から注目を集める存在になった後も、あくまでも「ボーカロイド・シーンの一員」という姿勢を崩さなかった。小学生のときに動画投稿サイトでボカロを知り、14歳で自ら「歌ってみた」動画を初投稿したというボカロネイティブ世代。2022年1月にリリースされたメジャー1stアルバム『狂言』は、「うっせぇわ」を作曲したsyudouを筆頭に、すりぃ、DECO*27、Giga、Neru、みきとP、くじら、Kanaria、Jon-YAKITORY、柊キライ、てにをは、煮ル果実、biz、伊根など、彼女が敬愛するボカロPたちが作り手として参加した。ブレイク後もボーカロイド、歌い手の文化をリスペクトし広めるスタンスを持ち続けている。


 振り返ってみれば、本書を上梓した2014年から2015年にかけては、ボカロシーンに〝停滞論〟が囁かれるようになった時期でもあった。ニコニコ動画で投稿年に100万回再生を達成したボカロ楽曲は、2012年の11曲、2013年の11曲から1曲に減少。2015年もこの傾向は続き、ブームの沈静化が生じつつあった。


 2015年7月に「アンドロメダアンドロメダ」を投稿し活動を開始したナユタン星人は、後に「僕がはじめた2015年は、過去に例がないくらいボカロシーンが落ち込んでいた時期でした。それこそ“焼け野原”とか“ボカロ衰退期”とか言われてました」――と語っている。(https://kai-you.net/article/80818

 ただ、その一方で、この時期には新しい世代のクリエイターが頭角を現してきた時期でもあった。そのナユタン星人に加え、後にヨルシカを結成するn-bunaは2014年2月投稿の「ウミユリ海底譚」で、Orangestarは2014年8月投稿の「アスノヨゾラ哨戒班」で脚光を浴びている。

 こうした動きがさらに加速したのが2016年だった。この年10月には後にシンガーソングライター・須田景凪としての活動を開始するバルーンが「シャルル」を発表。YouTubeに投稿されたセルフカバーをきっかけに様々な歌い手による「歌ってみた」ブームを巻き起こし、結果、2017年から2019年のJOYSOUNDカラオケランキングで10代部門において三年連続一位となるなど着実に支持を広げた。


 2017年には初音ミクは10周年を迎えた。記念コンピの発売や特設サイト開設など様々な企画が展開されたが、最も反響を集めたのは「マジカルミライ2017」のテーマソングとして4年ぶりに発表されたハチ(=米津玄師)の「砂の惑星」だろう。ボカロシーンへの問題提起を孕んだ歌詞の内容は賛否両論の論争を巻き起こしたが、今振り返ると、あの曲に込められていた「新しい才能がどんどん出てきてほしい」というメッセージは、まさに現実のものになったように思う。


 実際、2019年頃からボカロシーンは〝新たな黄金期〟とも言うべき盛り上がりを示し始めていた。syudou、煮ル果実、くじらなど、思春期にボカロに出会いボカロPにあこがれて育った世代の作り手が頭角を表し、クリエイターの裾野はさらに広がっていった。

 そして2020年はボカロシーンにとって大きなターニングポイントになった一年だった。前述した通り、YOASOBIがブレイク、「うっせぇわ」や、くじらが作詞作曲したyama「春を告げる」など、ボカロPが楽曲を書き下ろした歌い手のオリジナル曲がヒット。ネット発のカルチャーがJ-POPのメインストリームと直結するようになった。TikTokでの「踊ってみた」を起点に流行が生まれるタイプのボカロ曲が現れたのもこの頃だ。その代表がChinozo「グッバイ宣言」。当時10代で「King」をヒットさせたKanariaなど、さらなる次世代の才能も頭角を現しつつあった。

 2020年12月にドワンゴがニコニコ動画上でスタートさせたボカロの祭典「The VOCALOID Collection」(ボカコレ)をスタートさせたことも大きかった。回を重ねるごとにランキングが注目を集めるようになり、若い作り手たちが切磋琢磨する場が活性化した。

 2020年9月にローンチしたスマホゲーム「プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク」も、サービス開始から約10ヶ月でユーザー数500万人を突破するスマッシュヒットとなった。このゲームをきっかけにボーカロイドカルチャーを知った若い世代のファンも多いはずだ。

 2023年現在、ボカロシーンの現況は「全盛期を更新し続けている」と言える。

 さらに言えば、00年代のニコニコ動画で萌芽が生まれたn次創作のカルチャー、一つの曲が「歌ってみた」や「踊ってみた」などを介して広がっていく現象は、いまやグローバルなポップ・ミュージックにおける基本的なあり方になっている。世界中で日々TikTok発のバズが巻き起こり、UGC(ユーザー・ジェネレーテッド・コンテンツ)が起点になった数々のヒット曲が生まれている。

 そして何より重要なポイントは、まだまだ今は変化の渦中であるということだ。

 本書の最後にあるクリプトン・フューチャー・メディア伊藤社長のインタビューで言っていた「情報革命がライフススタイルにもたらすインパクトは、全然こんなもんじゃない」「もっとドラスティックな変化が数十年先に起こるはず」という言葉の重みも、10年が経ち、さらに増しているように思える。「情報革命の行きつく先は、価値のパラダイムシフトだと思っています」という予言も。

 初音ミクは「未来から来た初めての音」の象徴だ。相変わらずそう思う。