■「オタクとリア充」みたいなことじゃない
『君の名は。』を、もう一度観てきた。
正直、ここまでヒットすると思ってなかった。興行収入ランキングは3週連続1位。累計では早くも動員481万人、興収62億円を記録している。すごいことになっている。『シン・ゴジラ』も社会現象的なヒットを巻き起こしたけれど、それを上回る成績。評判もすこぶる良い。
なので、今日は『君の名は。』について、ちゃんと書いておこう。僕も試写で観たときには絶賛モードだったけど、ここまでの現象を巻き起こすことは予期してなかった。
なんでこの映画はここまでヒットしたのか?
批評家の東浩紀さんは『君の名は。』のヒットについて、『シン・ゴジラ』とあわせて、こうツイートしている。
シン・ゴジラと君の名は。を見て思ったのは、ひとことで言えば、オタクの時代は終わったんだなということですね。第一世代のガイナックス系オタクと第二世代のセカイ系オタクの想像力が、同時に社会派になりリア充化し、オタク特有のぐずぐずしたどうしようもない部分がすっぱり消えた。
— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) 2016年9月8日
その前後のツイートで東さんが引用している批評家の渡邉大輔さんはこう書いている。
『君の名は。』をその深部で規定しているのは、新海がその出自としてもっている、ゼロ年代の美少女ゲームのジャンル的想像力だといえると思います。
今回の空前の『君の名は。』現象が興味深いのは、かつて「10~30代の男性オタク」をおもな消費者にし、しかも男性向けポルノメディアのムービー制作にもかかわっていた新海が、明確にそれらかつての物語的/ジャンル的記憶に「原点回帰」して作っているはずの作品が、セカイ系も美少女ゲームもまったく知らない「10代の女性観客」を中心に、目下、前代未聞の大ヒットを記録しているという事実でしょう。きわめてニッチなファンに向けて、マイナーなジャンルから出発した作家が、ある種の「原点回帰」した作品で、破格のメジャー性=国民性を獲得してしまった。ここには、多くの「捻れ」が潜んでいます。
でもこれ、「オタクとリア充」みたいな話じゃないと思うんだよなあ。
『君の名は。』のヒットの背景には、新海誠監督が考えた「エンタテインメント性」の徹底がちゃんとあると思う。社会論というよりも、むしろ技術論として還元できる話だと思う。
たしかに渡邉大輔さんが指摘してる通り、「ループ的な物語構造」は、ある意味、今の時代の作劇としては定番のネタだと思う。『涼宮ハルヒの憂鬱』とか『時をかける少女』とか『魔法少女まどか☆マギカ』など、先例がたくさんある。
物語構造としては「ベタ」である。でも『君の名は。』が優れていたのは、それをどう見せるかという観点だったと思う。SF的な難解さよりも「胸キュン」を優先させる演出。そして、疾走感あるストーリー展開の巧みさなのではないかと思う。
■ エンタテインメント性とは「時間軸のコントロール」
新海誠監督は、この『君の名は。』を作るにあたって、エンターテイメント性を重視したことをインタビューで語っている。
今ならば、もっと鮮明にエンターテインメントを描けるという感覚はありました
では、新海誠監督の考える「エンターテイメント性」とは何か。過去の作品と今作で大きく違うのは何か。それは「時間軸のコントロール」だ。美しい絵という「静的」な魅力はすでに自身の強力な武器として持っている。けれど今回に新海誠監督が意識したのは「動的」な魅力を映画にいかに宿すかだった。
とにかく見ている人の気持ちになって、できるだけ退屈させないように、先を予想させない展開とスピードをキープする。一方で、ときどき映画を立ち止まらせて、観客の理解が追いつく瞬間も用意する。それらを作品のどの場面で設けるか、徹底的に考えました。
『君の名は。』の上映時間である107分間をいかにコントロールするかは、僕にとっての大きな仕事でした。
前述のKAI-YOUのインタビューで新海誠監督はこうも語っている。
■「音楽×映画」の相乗効果
そしてやっぱり、その上で大きな役割を果たしたのがRADWIMPSの音楽だったと思う。
以前にもリアルサウンドの原稿で書いたけれど、『君の名は。』では、これまでのアニメーション映画の文法からは逸脱するような演出がなされている。
主題歌は「前前前世」含めて全部で4曲。よく思い浮かべる「エンドロールに流れる歌」だけじゃない。歌モノの楽曲がストーリーの中に不可欠なパーツとして位置している。
RADWIMPSのアルバム『君の名は。』の初回限定盤DVDに収録された新海誠監督とバンドとの対談では、新海誠監督はこんな風に語っている。
RADWIMPSって、アニメーション映画の中にどうハマるんだろう、本当に可能なのかなって。下手をすると、その強度みたいなものに飲み込まれて、「ラッドの映画だったね」ってことになっちゃいかねない。
だから、劇伴とかBGMとか主題歌みたいな考え方じゃなくて、神木隆之介さんや上白石萌音さんみたいな登場人物の一つとしてRADWIMPSの楽曲がある。そういう設計の仕方をしないと上手くいかないだろうなと思いました。
RADWIMPSの楽曲があったことが、新海誠監督の意識した「107分間をいかにコントロールするか」という狙いの照準を定める助けになったはず。実際、ビデオコンテを作ったこと、その時に音楽が重要な役割を果たしたことも以下のインタビューで語っている。
『君の名は。』のビデオコンテでは効果音も全部入れているんです。仮の効果音なんですけど足音とかも入れていて、どちらかというと絵を書くというよりは、音のトラック、音のリズムでどうやって107分間聴かせるかということをやっていきました
RADWIMPSとのコラボレーションの中で彼らが作ってくれた音楽というものが、物語の形を少しずつ変えていったというのはあります。今回音楽はすごく大きな要素だったので、彼らの疾走感というものが物語に出ています。例えば主人公の2人がお互いにスマホでやりとりをするだけではなくて、体に何かを書くというコミュニケーションは最初の脚本では無かったんです。RADWIMPSからあがってきた曲を聴いていたら、勢い的にスマホだけじゃおさまらずもっと外側に刻み付けるような行為をやらないとこの絵に音楽が乗らないという気持ちにさせられて、シナリオが変わっていきました。
初回限定盤DVDの対談でも、物語と音楽が一体だったことを語っている。
最初にあげていただいた「前前前世」や「スパークル」があったから、それを聴きながらコンテを書いていったので。だからもう、初めから一体だった感覚はありますね。「この言葉なんだ、この作品で言おうとしているのは」というのが歌詞の中に沢山あった。
■プロデューサー・川村元気の天才性
ということは、つまり。
これはもう、制作の初期段階で新海誠とRADWIMPSを結びつけ、この座組みを作ったプロデューサー・川村元気の勝利だと思う。『君の名は。』のヒットの「仕掛け人」はやっぱり彼だと思う。プロダクションノートや対談でも最初の出会いが語られている。
「新海から好きなロックミュージシャンとして名前が出てきたのが、RADWIMPS。奇しくも川村がボーカル・ギターの野田洋次郎と交流があったことから、一気に話は進んでいった」
新海「川村元気プロデューサーと音楽の話をしていて『そもそも誰が好きなの?』って訊かれて『好きなのは、RADWIMPSです』って答えて。その時はラッドの音楽がアニメーションの画面に合うかどうかも考えず、単に好きなものを答えただけでした。でも川村さんが『俺、洋次郎くん、知ってるよ』と、その場でLINEをして」
――その時のこと、覚えてます?
野田「LINEが来た瞬間は覚えてないんですけど(笑)、でもお話してもらった時は覚えてます。面白い組み合わせだなあと思いましたし、新海さんの作品はもともと知ってたんです。お会いした時に本作のストーリーを持ってきてくださって」
新海「脚本の初稿でしたね」
野田「それが面白かったし、ちょっと今までの新海さんのテイストとは違うなと。一段と複雑にいろんな要素が入り組んでいたし、一読して理解できないぐらいの奥行きがあって。すごい世界が広がっているなと思いました」
新海「最初がホテルのラウンジで、次がお蕎麦屋さんでしたね」
野田「お蕎麦屋さんで会いましたね(笑)」
新海「で、その2ヵ月後ぐらいに曲が上がってきたんです」
野田「『まず読んでみて、まっさらなところで曲を書いていただけませんか』と言われて。だからどのシーンに使うとかじゃなく、まずストーリーを目にして、思ったものを曲にしてみますと。監督もラッドの曲を聴き込んでくださっていて、だからこそ『君の名は。』という世界を拝借して新曲を作ることが真っ当にやるべきことなんだろうなと思いました」
こういう風にお互いに共通する世界観、作家性を持つクリエイターを結びつけるのが、まさに「プロデューサーの仕事」なんだなと思う。
そして、「音楽×映画」という観点で見ると、川村元気という人はいろんな実績がある。
『おおかみこどもの雨と雪』『バケモノの子』では、細田守監督と高木正勝を結びつけた。
『バクマン』では大根仁とサカナクション・山口一郎を結びつけた。
山口一郎は映画の劇伴音楽を全て手掛け、主題歌として「新宝島」を作った。
10月15日公開の『何者』では中田ヤスタカが劇伴音楽を手掛けている。主題歌の「NANIMONO」は米津玄師を作詞・ボーカルに迎え、中田ヤスタカ feat.米津玄師という名義でリリースされる。
『何者』も試写で観たんだけど、これも、すごく面白かった。中田ヤスタカが劇中音楽でこれまでのイメージを覆すようなサウンドに挑んでいて、主題歌も、米津玄師とのコラボレーションによって両者にとって新境地になるような一曲に仕上がっていた。
高木正勝や山口一郎や野田洋次郎や中田ヤスタカのような作家性の強いアーティストに「映画のための音楽」を作らせる手腕。さらに主題歌と劇伴を同じアーティストが手掛けることによって、映画と音楽が密接に関わりあう作品に仕上げる手腕。そのあたりは、『バクマン』や『君の名は。』や『何者』に共通する、川村元気のプロデューサーとしての天才性だと思う。
ちなみに。
「新海誠監督の『君の名は。』を観て、ピクサーのジョン・ラセター方式をすべて捨てようと決意した」と言っている人がいるんだけど、
新海誠監督の『君の名は。』を観て、ピクサーのジョン・ラセター方式をすべて捨てようと決意した。《天狼院通信》 - 天狼院書店
それは大きな間違いだと思うんです。
ピクサーにジョン・ラセターがいるのと同じように、東宝に川村元気という人がいる、というのが僕の認識。
■もう一つの主題歌「蝶々結び」
(ここからは映画の核心部分にまつわるネタバレを含むので未見の方は注意)
RADWIMPS『君の名は。』初回限定盤の対談は他にもとても面白い内容がたくさんあった。
新海誠監督はどうやら『君の名は。』を作るにあたって「ふたりごと」の歌詞に影響を受けていたらしい。
「一生に一回のワープをここで使うよ」って、作劇上のピークみたいな言葉がそこに来てるわけですよ。「一生に一回のワープ、これだ!」みたいな。「ここで口噛み酒を飲むんだ!」って。ヒントだらけでした。ずいぶん導いてもらった感覚がある。
そう考えると、たしかに「ふたりごと」の歌詞と、口噛み酒を飲むところのシーケンスはとても共通しあうところある。
俺は地球人だよ
いや、 でも仮に木星人でもたかが隣の星だろ?
一生で一度のワープをここで使うよ
君と僕とが出会えた 奇跡を信じてみたいんだ
君と僕が出会えたことが奇跡だろうとなんだろうと
ただありがとう 君は言う
奇跡だから 美しいんだね 素敵なんだね.「ふたりごと」RADWIMPS
一方、野田洋次郎の方も、『君の名は。』の音楽を担当することで、自分の音楽性に大きな影響を受けたことを語っている。
恋愛の歌って、僕の中では減ってきたというか。同じことは歌えないので、その感覚の中で僕の人生の割合の中で減ってきちゃって。この感覚を呼び覚ましてくれたのは間違いなくこの映画でした。途中まで書いてたような曲でも、それを仕上げるために歌詞がどうしても書けなかった曲もあって。そういうものも、全部新海誠さんんが作ったストーリーの登場人物が影響を与えてくれて。「こんな歌詞が書けるんだな」って、嬉しかったです。映画に引っ張られて、あのストーリーを観たからできた。
これ、僕は「蝶々結び」のことを言っているのではないかと思う。野田洋次郎がプロデュースしたAimerの新曲。これ、本当に大好きな曲で。そして、僕は勝手に『君の名は。』の「もう一つの主題歌」だと思っているのだ。
Aimer 『蝶々結び』 ※野田洋次郎(RADWIMPS)楽曲提供・プロデュース
映画を観た人ならきっと納得してくれると思う。
『君の名は。』の主題のモチーフに「結び」というものがある。主人公の三葉が住むのは「糸守」だし、そこで三葉が自分で結った組紐が、瀧と三葉を結びつける大事なアイテムになる。
物語の終盤、三葉は、一人東京に出かけて瀧に会いにいく。でもそこに居たのは「3年前の中学生だった瀧」で。向こうはこっちを知らないわけで、そっけない対応をされてしまう。で、その時にハッと思いついて、自分が髪を結んでいた組紐をわたす。
そして「現在の瀧」が彗星によって崩壊した糸守にやってくる。瀧はその組紐をミサンガのように腕に巻いている。誰から貰ったかを忘れてしまっても「お守り代わりに」身に付けるのが習慣になっている。
そして「誰そ彼時」のマジックタイムに、二人が出会う。ほんの一瞬の逢瀬の時間。その時に、瀧が腕に巻いた組紐を三葉に手渡す。
そこでハッとするのは、三葉がその組紐を髪に「蝶々結び」で結んだこと。
鈴木謙介はこんな風に書いている。
瀧と三葉の二人が出会えた理由は「ふたりがともに同じだけの力で出会おうとしたから」という風には言えないだろうか。瀧が三葉に会いに行ったように、三葉もまた瀧に合うために東京に出ていた。二人はクレーターの縁で、異なる時間軸の中で互いを探していた。ラストシーンにおいても二人は、互いの姿を認めるまではもやもやした気持ちを抱えていたものの、その気持の出処を求めて一方だけが誰かを探しに行くということはなかった。二人が同じ気持で同じだけの力を込めて相手を求めた時に、ようやく二人は出会うことができるのである。
ここはまさに同意。
映画のオープニングを飾る「夢灯籠」では
消えることない約束を 二人で「せーの」で言おう
と歌う。
そして「蝶々結び」では
この蒼くて広い世界に 無数に散らばった中から
別々に二人選んだ糸を お互いたぐり寄せ合ったんだ
結ばれたんじゃなく結んだんだ
二人で 「せーの」 で引っ張ったんだ
と歌う。
ちゃんと呼応している。
だから僕は『君の名は。』に、一つだけ不満があって。
それは「なぜこの曲を使わなかったのか」ということ。もちろん事情はいろいろあるのかもしれないけれど、この曲がエンドロールの「向こう側」で鳴っていたら、観客の感動にさらにトドメのようなものをさせたんじゃないかと思うのだ。
「なんでもないや」もとてもいい曲だけど、「蝶々結び」は野田洋次郎という音楽家にとっても、代表作の一つになっていいような曲だと思う。一つのメルクマールを示すような曲になっている気がする。
ともかく。
『君の名は。』は、すごくいい映画だったと思うし、それがちゃんとヒットしているということは、率直に、とても嬉しいです。