さよならの言い方なんて知らない。9巻を読んだ。感想。ネタバレ有り。 - 熱望よドアを叩け

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さよならの言い方なんて知らない。9巻を読んだ。感想。ネタバレ有り。

まだ読んでない人間はぜっっっっっっったいにこの記事を読まずにとにかく作品を読んでこい。

1から9巻まで全部合わせても7000円、ボリューム的にも土日どっちか一日あれば読み終わる。

マジで読め。

 

8巻を読んでからのおよそ一年近くの間、何度も何度も何度も何度も作品を通して読み返していた。

その前の一年は古の楽園に狂わされていたけどこの一年はこの7巻と8巻に狂わされ続けていた状態だった。

7巻の終わりを読んだ時、比喩ではなく自分の心臓が立てる鼓動を感じたし、8巻を読み終わった時はもう感情が滅茶苦茶になっていたし何度読み返してもその度に新鮮な感情を味わっていた。

 

9巻、この巻で開示された情報、あからさまに張られた伏線、それぞれ色々あるけどもまずは新人について。

この新人は本質的には作中のキャラクターであるのと同様に読者でもあるんだろうなという意図を感じるというかその意図しか感じない。

傍観者だった自分たちがいきなりその世界に放り込まれたらどんな感じになるか。

ぼんやりと作中キャラクターに情報を開示して、それまでの殆ど全てを知っていても流れの中心には入り込めないこの中途半端さはこのどのキャラクターにも感情移入なんてできなさそうなこの作品において本当に読者という存在を強く強く投影させることが可能な数少ないキャラクターになるんじゃないかと思っている。

あまりに登場シーン少ないのでもしかしたら10巻でどんでん返しあるかもしれんけど。

でもそれだったら少なくとも3人、なんて中途半端な数にせず一人だけもしくは全員が、になると思うんだよな。

ここでの残る疑問点はその後のユーリイのところにも繋がってくるけど結局のところその人の選出方法。

その気になれば同じような人間性で『25話』を見ていない候補なんていくらでも出せるはずだし、架見崎自体の意義を考えたらその方が自然なのに、わざわざそういった人間を参加させた理由は?誰の判断?8巻最後の描写を見るにカエル、ネコ、フクロウではない可能性が高いけどじゃあ現実にいる他のカエル派がそんなことをするか?それとも架見崎を破壊したいヘビ派?しかしヘビ派がやるにもわざわざそんな手選ぶか?じゃあアポリア自体?アポリアとは?

極めて恣意的に誰がどういった基準で次の参加者を選出しているのかが隠されているのかなぁというのが現時点の感想。

 

次に白猫。

元々気分屋というキャラ付けではあったけど、今回はあからさまにそうじゃない一面を見せてきた。

責任に対する重圧を嫌うも逃げ出せない彼女の描写は明らかに今までのそれとは違う一面だったと思う。

そしてそれをウォーターが認識しても本質的な理解はしていなさそうなように感じた。

あくまで強者、あくまで現時点で最強のアイコン、あくまで白猫。

白猫として戦うのは最後だろうと本人の心象を描写したことまで含め、作品としてここから先の展開にあからさまな力を使用しないということをはっきりさせておきたかったのかなと思う。ミスリードかもしれんけど。

ミケ帝国はキネマ以上にずっと特殊なチームとして描写され続けていて今回もその傾向が目立った。三権分立、コゲと黒猫の口論、それが世創部で行われていてもウォーターも他の誰もそこに嫌な目を向ける描写がない。

10巻は激動の巻になるだろうみたいなアレはあるけどどこかでじっくり腰を据えて今の白猫の心象を少しでも理解できるような部分があるといいなと思っている。

9巻の白猫はあまりに見ていて辛かった。

味方のようで中ボスのようでやっぱりちょっと気分屋なとこもあって、というあの感じが好きなんだよね。

めっちゃどうでもいいけど普段小説を読んでいてあんまり自分の中でキャラクターの台詞って声として再生されることはないんだけど、コゲだけははっきりと白鳥哲さんの声で脳内再生されている。白鳥哲さんというか境ホラアニメのフェリペ・セグンドというか。マジで何でなのかさっぱりわからんけど何故かめっちゃしっくりきている。

 

ユーリイとタリホー。

『タリホー』の理由、あんなのずるいでしょ。あの一文読んだ瞬間思わずニヤッとしてしまった。

ユーリイの超人的な部分の描写は今更だけど、1巻から読み返していて明らかに人間臭い部分があるとはっきり描写されてきたユーリイのとっっっっても人間臭い部分がとても素晴らしかった。

最後、白猫に戦いを挑む描写は明らかに月生のそれと対比するかのような簡潔さで、しかしそれでもユーリイがその戦いに真剣に向き合ったことがどれだけ、どれだけの重みがあったのかを逆に極めてはっきりと突きつけられた気分だった。

ユーリイは誰かに愛情を向けられる人間だった。本当に良かった。

それは愛情という言葉なんだろうけど多分愛ではなく情の方にアクセントが来るような感じ。

香屋歩との問答、9巻のユーリイと香屋歩の問答のうち、水上恋の死の理由を知って香屋からユーリイはそうはならないと告げられた問答、そして全てが終わったあと自身の感情を自覚しながらの問答。その両方を読んで本当に叫び出したくなった。

この9巻は裏にサクラダリセットの6巻がギチギチに敷き詰められているんじゃないかと思ったうちの半分がこの後者の問答。6巻の最後、あのエピローグのケイをこの時のユーリイに重ねてしまった。

 

秋穂とウォーター。

もうなんかこの二人の関係性本当に良いよね。

マジで好き。

名前だけが開示されていた秋穂の能力の詳細がいよいよ判明したけどとんでもねぇというかこれこの巻の最後と合わせると何を持ってウォーターの方にこっちの香屋が登場したのかがマジで気になっている。確率1/2だったのか?それとも別の理由?

 

ワダコ。

いややばいでしょ激アツ過ぎた。オレの願いはお前の願い。『お前の願いはオレの願い。』こんな回収ずるいじゃん。今回読んでいて一番叫びたくなったのは間違いなくここでした。本当に本当に最高。ホミニニ一派、そしてユーリイとホミニニの関係性、やっぱり大好きだったよ。

 

世界観全体と香屋歩。

まず一つは架見崎と他アポリア世界と恐らく現実世界の時間の流れのズレの話。

8月停止して7月を結構長期間回していたのにそんなズレが少ないわけないだろってやつ。

もうこれはあからさまに伏線だろって感じではあるので何かあるんだろうなぁ。でも現時点どういう風に活用されるのかさっぱりわからん。

 

そして今まで明確に描写されてこなかった(はず)の架見崎への参加方法。プロローグ、本編それぞれで急に丁寧に説明されるじゃん。

ドアくぐった瞬間AIをカットアンドペーストするのではなく、わざわざアポリア内でコピーの手順を丁寧に踏んでいた。この描写が何を意味するのか!?つまりはそういうことだよな!?と思ってたら最後の最後でしっかり回収。

これに関してはもう絶対どっかのタイミングで、それこそ次巻で回収されるだろうと思っていたので9巻エピローグで出してきたのは意外なような意外ではないような。

このエピローグの描写もわざわざ高校生であることを明示しているのはウォーターの夢に出てきた話、時間のズレの描写の話、その辺全部巻き込んでくるんだろう。

 

この巻の香屋に関しては、まずユーリイを絶対的な味方だと認識すると覚悟を決めたところが一つ。

これは個人的には本当に意外ではあったけどとても嬉しかったところ。

リリィは仲間とはちょっと違う、月生は8巻ではっきりとリーダーとメンバーであると描写されていたし、なんならこの二人は秋穂曰く香屋が手に入れたかった手札という説明だったはずなので最初から『仲間』になるとは思ってなかったであろう存在。秋穂とトーマはそもそも別枠、そういう意味で本当に香屋歩にとっての初めての『仲間』がユーリイになったってことなんだよね、多分。

ユーリイと手を組みたい、そうはっきり香屋が思ったって描写があったことが本当に嬉しかった。

 

あとはもうどう考えても意図的にこの巻で新たに提示された問題。ユーリイが『水上恋』と同じことはしないと言ったこと、最後の最後の『香屋歩』、そして秋穂の安心毛布と昨日の正夢のコンボ、その全て繋がる話。

これは本当にきっとこれから作中でも出てくる話になるんだろうけど、架見崎の人間が架見崎で活動しているのと並行して他アポリアではそのコピー元のAIが普通に生活を続けている、という話。

コピー元、コピー先両方のアイデンティティの話。

さっき上で書いたサクラダリセットの話と似て非なる話。

あちらはあくまでスワンプマン、つまりオリジナルが死んだ上で現れたコピーの話だった。だからこそある意味スワンプマンであっても本人であるという結論に納得して前に進めたわけだけど、

こちらはオリジナルも別で存在している上でのコピー、しかも最悪なことにこのコピーは簡単に増やせることまで分かっている。

これは本当に恐ろしい話でアイデンティティもクソもあったもんじゃない。

きっと秋穂にとっての香屋歩は架見崎の香屋歩だけど、トーマにとっての香屋歩は本当に架見崎の香屋歩なのか?そうだとしたらオリジナルの香屋歩はトーマにとっては香屋歩ではなくなってしまっているのか?そうではないのだとしたら更に今の香屋歩をコピーして別のどこかに放り込んで時間経過させた香屋歩は?トーマにとってのヒーローとは誰になるのか。

安心毛布と昨日の正夢が見せた夢は最終的にこの恐怖心に辿り着くものになると思う。自分が唯一のコピーなら架見崎を過ごしたコピーとしてのアイデンティティを確立できるだろうという意味できっとまだギリギリセーフだけど、それだけじゃないとなった場合は一体どうなってしまうのか。

正直サクラダリセットのそれですらかなりギリギリのラインだったところに、完全にそのラインを超えた難問を提示してきたことに本当に驚いている。果たして作中でこの問題に答えは出るのか、ある意味生きる意味なんてものよりよっぽど恐ろしい自我の存在への回答は提示されるのか。

 

10巻は2025年の夏。

一年かけてこの物語を自分の中でゆっくり消化していくことになると思う。

本当に、本当にこの作品を読むことが自分の中で生きる理由になっている。

前日フラゲして読んで24時間ちょい自分の中で思ったことをとにかく一度全部吐き出した。ほぼ全部一発書きで推敲もしてない。

一年後に10巻を読んでこの記事を読み返す時を楽しみにしている。