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ケイシー・ラスキン
2023/8/8 6:50
インテリジェントデザインに対するいくつかの誤解を取り上げる時が再び来ました。まず、生物学におけるデザインの推論は、人間による他の形態のデザインとの単なるアナロジーに基づいているのでしょうか?
この疑問について考慮してみましょう。最初に次のことを問いましょう。そもそもなぜこのような推論ができるのでしょうか?それは、私たちの経験上、知性からのみ来るタイプの情報と複雑さが自然のシステムに含まれているからです。これは単なる「アナロジー」ではなく、むしろ生体系 (例えばDNA) に見られる配列に基づく特定された複雑性から導出されるものであり、数学的なレベルでは、文字言語に見られるものとまったく同じです。ヒューバート・ヨッキーはこのことを明確にしています。
我々がアナロジーによって推論しているのではないことを理解するのは重要である。(記号の正確な順序が情報を記録するという) 配列仮説は、タンパク質や遺伝子の文章にも、文字言語にもそのまま当てはまり、したがって扱いは数学的に同一なのだ。
― Yockey, H. P. (1981) Self organization origin of life scenarios and information theory. Journal of Theoretical Biology. 91 (1), 13-31.
つまり、私たちが生体系で目にするものは、文字言語と同一の数学的・情報的特性を持っています。
主流科学との調和
生体系にも機械を見ることができます。細胞や生体系全体が「機械」であるとは言いませんが、そこには機械が確かに含まれています。このようなものを機械と呼ぶのはアナロジーではなく、機械と同一であると言っても過言ではありません。細胞内の分子機械には、人間がデザインした機械と同じデザインロジックが見られるからです。
古典的な例はATP合成酵素で、固定子、回転子、エネルギー源があり、ある形態のエネルギーを別の形態に変換しています (ATP合成酵素では、プロトンフローの電位を力学的エネルギーに変換し、その力学的エネルギーをATPの化学エネルギーに変換しています)。このようなものを機械と呼ばないのは困難でしょうし、この考えは主流科学と調和していないわけではありません。米国科学アカデミーのブルース・アルバーツ前会長は次のように述べています。
細胞全体は、連動する組立ラインの精巧なネットワークを含む工場と見なすことができ、その各々は一組の大きなタンパク質機械で構成されている・・・。細胞機能の根底にある大きなタンパク質集合体を、なぜタンパク質機械と呼ぶのだろうか?それはまさに、巨視的な世界に効率的に対処するために人間が発明した機械のように、これらのタンパク質集合体には高度に調整された可動部が含まれているからである。
― Alberts, B. (1998) The Cell as a Collection of Protein Machines: Preparing the Next Generation of Molecular Biologists. Cell. 92 (3), 291-294.。
同様に2000年、マルコ・ピッコリーノは『Nature Reviews Molecular Cell Biology』に、「驚異的な生物学的機械は、17世紀の科学者が夢想した・・・『機械はやがて、我々にとって未知であるのみならず、我々の精神では想像できないようなものが発見されるであろう』という言葉を現実化している」と書きました。彼は、現代の生物学的機械は「初期の生命科学者の期待を凌駕している」と記しています。(Piccolino, M. (2000) Biological machines: from mills to molecules. Nature Reviews Molecular Cell Biology. 1 (2), 149-152.)
では、それは単なるアナロジーなのでしょうか、それとも同一性なのでしょうか?あるいはその両方でしょうか?何が起こっているのか、その背後にある数学と物理学に目を向けると、生物学的機械と生物学的情報、文字言語と人間がデザインした機械との類似性は、単なるアナロジーを超えて同一性を帯びてきます。もしそれが同一性であるならば、単なるアナロジー以上のものです。
ものがそれ自身になる方法
他には、インテリジェントデザインの論議に「神学」や 「形而上学」というラベルを貼る人もいます (同じ人だったりします)。彼らは正しいのでしょうか?
今の科学は、物事がどのような起源を持ち、形成されたかを説明することに従事しています。これは歴史科学を通して行われます。歴史科学は、身の回りの世界で働いている原因を観察することから始まります。その原因には次のようなものが含まれます。
- 突然変異
- 自然選択
- 知的行為者
私たちはこれらの原因をそれぞれ観察し、それらにどのような種類の情報や複雑さを生成する能力があるのかを理解することができます。私たちはこれらの原因について、観察に基づいた経験を持っているので、それらにできることとできないことを知っています。私たちはこれらの原因の原因となる力をリアルタイムで観察し、研究し、理解することができるので、それらは科学的研究の適切な対象、かつ自然界の物事を説明するために訴える可能性のある原因となります。以上です。
そして、こうした観察から明らかになったことを簡単に言うと、下記のようになります。
- ランダムな突然変異や自然選択は、高レベルの複雑で特定された情報を生成しない。
- 知的行為者は、高レベルの複雑で特定された情報を生成する。
- ランダムな突然変異や自然淘汰は、機械を生成しない。
- 知的行為者は、機械を生成する。
私たちのあらゆる経験において、高レベルの複雑で特定された情報と機械の既知の源はただ一つしかありません。知性です。私たちは、周りの世界における知的行為者の経験に基づく観察によって、知性がこれらのものを産生できることを知っています。したがって、知的な原因が働いたと推論する経験的根拠があるのです。
それで、これらの論議に形而上学や神学というラベルを貼ったり、この種の推論を科学だと言うのを「歪曲」と呼んだりする人がいるのは事実です。しかしそうではなく、上記のすべては科学の手法に基づいています。それだけのことです。