にほんブログ村今日は、最果タヒさんの詩を紹介しましょう。
秋空はずれていく記憶、はずれていく背骨、
雲にひっかかって、トンボのように飛んでいく。
光は満ちているのに見えなくて、
宇宙は満ちているのに見えなくて、
SF寄りの猫と犬がぼくのともだち。
髪の毛を触っていると
森の中をかき分けて歩いているように錯覚する、
右と左に焼け焦げた緑のような黒があって、
その向こう側から足音がする、
ぼくは、そして自分の足から、
なんの音も鳴っていないことに気付くんだ。
誰かが手を合わせている、ぼくの過去と未来が、手のように重なり合っている、
時々ここに何かがあると思う、今に、何かがあると思う、
でもいつか全てが引きはがされて、
そこにはなんにもなかったと知る。
ただ、祈っていた。あなたが、あのひとが、
ぼくを通じて、祈っていたのだ。
その証拠の、飛行機雲。
この詩は、今日の新聞に掲載されていたものである。
最果タヒさんの詩は、理解するのが難しくて、あまりよいと思わないのだけれど、この詩は良いと思う。
それでも、最果さんが何を表現しようとしているのかは、私にはわからない。
私は、この詩を読んで、お彼岸に読む詩としていいのではないかと感じた。
けれども、若い最果さんの美意識と私の感覚には大きな隔たりがあるということだろうか。
This poem was carried in today's newspaper.
Tahi Saihate's poem is difficult to understand, and I think her poem is not good much, but this is good.
Though I am not able to understand what she expresses.
I felt that it's good to read as the poem of equinoctial week.
I wonder if there is a considerable gap between her sense of beauty and me.
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