大槌町の中心部、御社地(おしゃち)という場所に文学碑とも呼べる明治の津波記念碑が建っています。町をのみ込んだ津波は目を背けたくなるほど悲惨で「例えて表すことさえもできない」と記され、建立当時の町長が詠んだ「一声は千々(ちぢ)の谺(こだま)や吐血鳥(ほととぎす)」という句が添えられています。人が助けを求める声や泣き声があちこちでこだまする様子を、血を吐くように真っ赤な口を開けて鳴くホトトギスの姿になぞらえたものと云われています。
2011(平成23)年の津波で流出しましたが、一部損壊したものの発見され、元の場所から数十メートル離れた現在の場所に再建されました。