森山大道展に行ってきましたヨ

LX / CZJ Flektogon 35mmf2.4 / Kodak UC400
写真撮るのが好きなんだから、たまには写真展にも行ってみたいですよね。
という軽い出来心で、東京都写真美術館、通称「シャービー」で絶賛開催中の森山大道展に出かけてみました。
……どうでもいいんですが、「動く歩道」を、どうしてかいつも間違えて「歩く歩道」って言ってしまうんですよね。
まあ、確かにみんな上を歩いてるけど。注意しないと、降りるとき、危険があぶない!
(つづきあります)

別段どうというつもりもなく眺めに行くくせに、例えば前に行ったグレゴリー・コルベール展のように、気に入らないものはしっかりコキおろすという、よくわからない性格の僕です。
なんというかですね、写真展なんだから、ちゃんと写真が見たいわけですよ。写真以外のものばっかり目に入ると、なんだか蕎麦喰いに来たのにイタリアンのコースを喰えと言われてるようで、なめんな、と言いたくなるわけなんですね。
その点、今回は良かったです。森山センセイのハードな写真が300枚くらい見られて、かなり満足。
「ハワイ」はハワイでのスナップで(ハワイ以外だったらおかしいって)、「レトロスペクティヴ」は集大成的な展覧。ううむ、良いです。ビリビリきます。
森山センセイの写真は、高コントラストすぎてシャドーとかが潰れてるのも多いですが、そこからこそ異様な濃度のリアルが感じられます。細かく写ってるのがリアルというわけじゃないというところ、現実とは何か、どういうもんなんだ、というのを考えさせられます。
現実というのは、いわば圧倒的なエネルギーとか磁場みたいなもんで、ディテールなんかじゃない。それを写真に撮ろうとすると、そりゃもう潰れるし、荒れる。現実をマトモに捉えたことによる傷跡が画面に残っているというような感じがしました。
我々は、そういう現実の前で毎日、何とか生きてるわけです。なんかこう、生きるってことは何ですか、というとき、そういう「現実」をまっすぐ見てしっかり立ってるってことなんじゃないかな、と思うんですね。
違うといわれるかもしれないけど、僕はモリヤマ先生の写真を見てそう思ったし、「写るもの」としての写真にはそういうものを求めたいと思いました。
で、写真以外に、彼がどうやって撮ってるのかを追跡したムービーが上映されてました。
やっぱり、スナッパーたるもの、傍から見たら結局挙動不審でしかないんだってことがよくわかって安心しました(笑)。
単焦点は自分で動くしかないから、もう、うろうろうろうろ、ですものね。うろうろして、世間との間合いを計って。呼吸と脈動で撮る。いいなあ。
おかげさまで、僕もまたうろうろしたくなりました。見てる途中でうろうろしに行きたくなってました。
うろうろさせろ! うろうろさせたまえ!
誰か、僕に、存分うろうろしてきていいよ、と言ってください。