秋田「永楽食堂」酒場であった嘘のようなホントの話
読者の方の中で、今までに” 途方もない偶然 “と遭遇したことはないだろうか。
ことに、酒場などの多種多様な人々が集まる環境に於いては、その確率はグッと上がる。
『酒場の神様』が宿る酒場ナビでは、その様な経験が割と多くあるのだが、最近私もその” 途方もない偶然 “に出会したのだ。
──8月の中旬。
私は、故郷である秋田県の港町に一週間ほど帰郷していた。
事前に行ってみたい酒場を選んでおり、ある夜、秋田駅前の『永楽食堂』という酒場へ足を向けていたのだが、並んではいなかったこそ満席で地元の友人もいたため諦めて他の酒場へ行った。
後日、やはりその酒場が気になったため友人へ連絡をして再度『永楽食堂』へ行こうとしたのだが、生憎、都合が合わず一人でバスに乗り秋田駅前へ向かうことになったのだ。
バス停でバスを待ってみるものの、さすがは田舎のローカル線、発車時刻の5分、10分経ってもまったくバスが現れない。
(……なんか、もう今日は止めておこうかな)
と、思いかけたくらいにバスが到着、私はバスに乗り込んで秋田駅前へと向かった。
(あ!降りるところ間違った!)
秋田出身といっても、東京在住暦の方が長くなってしまった私にとって、年に一度ほどしか帰郷しない秋田はもはや”馴染み”ではない。降車するバス停を間違え、やむなく別のバス停から遠回りで『永楽食堂』へ向かった。
『永楽食堂』
(うわっ、もうこんなに席が埋まってる!)
17時開店なのだが、私が到着した17時30分頃には既に満席に近い状態となっていた。
とりあえず店へ入ってみると、小さい”二人掛けの席”のみ空いており、それ以外はカウンター席もテーブル席も埋まっていた。
” こりゃ今日も無理だな “と思っていると、店員の若い女の子が近寄って来た。
「19時まででよげれば、こづらの二人掛けさどんぞ」
っく~~ッ!!
久しぶりの若い女の子の発する秋田弁、最高だ。
私は二つ返事でその席へと座り、まずは”喉洗い“で『ハイボール』を注文。そして直ぐにお通しも届く。
『お通し(煮豆腐のとろろ昆布かけ、シラス刺し)』
おいおい、お通しでこんなにうまくてどうするんだ?煮豆腐はほんのりと温かくて濃い目の醤油味が堪らなく、シラス刺しも形、身の厚みもお通しにするのは勿体無いほどしっかりしたものだ。
(うわっ!?なんだこの日本酒の数!?)
ふと壁に目をやると、秋田をはじめとする全国の銘酒が壁一面にズラリ。日本酒だけこれだけの壁を埋めるメニュー札は初めてだ。
黒板メニューのラインナップも、お通しの質を考えるとどれもこれもうまそうでならない。
よし、だがここは定番メニューの『しめ鯖』でその実力を拝見しようではないか。
『しめ鯖』
んまいっ!!
実力を試すまでもなかった。特に身の弾力が桁外れに良く、噛む度にうまくて笑えてくるほどだ。
わかったよ秋田、秋田さんよ。
少し早いが、おたくが得意な『日本酒』を頼もうじゃないか。
しかし、これだけの数の中から選ぶとなると、いささか迷う。どれにしようかメニューを見ていると『利き酒三種 800円』というメニューが見えた。
(うーむ、”三種”ってことは三つ選べるんだろうが、どこから選んでいいのか分からないな)
どこを見ても”この中からお選びください”的なメニューがなかったので、店員の女の子に聞いてみることにしたのだが……。
「えっ!?この壁一面から選んでいいの!?」
「そです」
「えっ!?三つ全部『十四代』でも!?」
「いですよ」
都内では考えられないサービス設定に、私は思わず口をアングリとしてしまった。要するに値段に関わらず、どれでもガラス徳利三つで800円ということであった。(『新政』の一部を除く)
私は大好物の『十四代』と、店員が薦める秋田の酒『白山本』と『花邑』を選び、ワクワクしながら出てくるのを待った。
そして、
ここから” 途方もない偶然 “が始まるのだ──。
「いらっしゃいませー、何名だすが~?」
私の背後が入り口だったのだが、どうやらまた客が入ってきた。
私が入店して満席になった後も、何度も客が入ってきたが満席と言われ帰っていく。
そりゃそうだ、もうこの店で空いてる席は、こんな小さなくて狭い席の対面しかないの…、
「あんのぉ~、お客さん。ここ相席いいべが?」
突然、店の女将に声をかけられた。
「……えっ!?ここの対面!?」
「んだ、”相席でいい”って入りたがってらお客さんがいんだども」
「うーん、まぁ……いいですけど」
正直、こんな小さい席で向かいに他人が座られたらちょっと気まずい……。それにこんな席でも”相席でいい”と快諾するような飲兵衛はきっと変なオッサンだろう……。
そんな事を思いつつ、スッと目の前に座った相手を見ると、
シュッとした、若くてとても可愛らしい女性だった。
(うっ!?)
こんな田舎の小さな食堂酒場に突如として現れたこの” 謎の可愛らしい女性 “に、私は酒ではなく息を飲んだ。
(酒場の神様、これは一体どういう思し召しなのでしょう……)
私は心の中で『酒場の神様』に問う。
” オイオイこの変態野郎、ただ女の子が目の前に座っただけじゃねーか “と、思う読者が大多数であると思う。
だが聞いて欲しい、とにかく”近過ぎる”のである。
近過ぎるあまり、このまま黙ってお互い他人として無言で飲み合うのには、違和感があり過ぎるほど近過ぎるのである。
話しかけたと仮定してみる。
『どうも、こんばんは』
……わざわざあいさつする必要はない。
『食堂に飲みに来るなんて渋いですね』
……それを渋いと思うのは酒場ナビの読者くらいだろう。
やはりどれも違和感があり過ぎる。
逆に変なオッサンだったら何かしら話しかけやすいものの、相手は若い女性、下手に絡んだらこの近距離の席でとんでもなく気まずい状況に陥ってしまうのだ。
だが、無言でこの距離はもっと辛いっ!!
そんな葛藤の中、先ほど頼んでいた『利き酒三種』を店員の女の子が持って来た。
『利き酒三種』
写真はない。なぜなら、緊張していて撮り忘れたからだ。
さっきまであんなに楽しみにしていた『利き酒三種』も、もはや味わえる心境ではない。いや、向かいの女性は何とも思っていないのかもしれないが、相手だってこの近距離に違和感を感じてな…、
あっ!!
写真を撮ってもらおう!!
そうだ、その手があった。いつもはイカやカリスマジュンヤがいて、自分の写った写真を撮ってもらうのだが、今日は撮ってもらう相方がいない。そして私は『酒場ナビ』のライターという、れっきとした大義名分もあるのだ。
話しかけたと仮定してみる。
『飲み屋さんの記事を書いてるんですが、飲んでる写真を撮ってもらっていいですか?』
……おお、まったく違和感がない。
早速、私は対面の女性に声をかけた。
「あ、あ、あの!」
「あ、はい」
「あ……あのその、記事を書いていて飲み屋の写真がですね……あの、写真を、記事のやつで、僕のことをあの、えっと、」
「……はぁ」
「僕が酒を飲んでいるところの写真撮ってください!!」
「あー、はい、いいですよ」
もたつきもせず、すんなり快諾了承をしてもらったのだった。
そして実際に撮ってもらった写真がこちら。
おわかり頂けただろうか? これが”緊張”している三十代後半男性の顔である。
まぁとにかく、これで近距離での”微妙な無言空間”の回避、そして自分が実際に『永楽食堂』に来た証も写真に収めることが出来た。
すると──、
「ライターさんなんですか?わたしも昔、仕事で似たようなことをしてましたよ」
「え!?そうなんですか!?」
なんと、思いもよらず女性の方から話を振ってもらい、さらに偶然にも自分と同じような事を過去に仕事としてやっていたとのこと。
「今は違う仕事ですが、昨日は仙台、今日は秋田の行きたい店を周っているんです」
「なんと!秋田のどこへ行ったんですか?」
「ある中華屋の”レバニラ”が目当てだったんですが休みで、他に行きたかった”蕎麦屋”で飲んできました」
渋過ぎるチョイスだねがっ!!
思わず心の中で秋田弁のツッコミを入れるほど店のチョイスが良く、もはやさっきまでの緊張と反し、この女性への好奇心が沸いてきた。
「レバニラ目当てに秋田へ来るなんてすごい!さらに食堂に飲みに来るなんて渋いですね!」
「ここも来たかったんですよ。お店に入れてよかったです」
「あ!食べかけの『しめ鯖』でよければ食べてください!」
「ありがとうございます(笑)」
私のサカバーとしての”カン”が冴え始める。きっとこの女性がこの『永楽食堂』に来た理由も、少し変わっているはず……!
「この店には何を目的に来たんですか?」
「ここには”カレー掛けごはん”というのがあるみたいで、それを食べに来ました」
“カレー掛けごはん”て……
ただの”カレーライス”だねがっ!!
思わず心の中で秋田弁のツッコミを入れるほど目的のセンスが良い。しかし、どこのメニューを見渡しても”カレー掛けごはん”が見当たらない。
女性が、店員の女の子に聞いた。
「あの、”カレー掛けごはん”ってありますか?」
「”カレー掛けごはん”? カレーライスだばあるけど」
「え?カレーライスですか!?」
「んだ、ただこのカレーライスにはライスは入ってないんだす」
訳わがんねっ!!
要するに”カレー掛けごはん”は存在せず、”カレールー”ならあるとのこと。さすがに女性もただのカレールーだと味気がないので、『手羽元カレー』と『特大岩牡蠣』を注文していた。
『手羽元カレー』
すかさず女性に「写真だけ撮らして下さい!」とお願いすると、「よかったらどうぞ」とおすそ分けを頂く。東北らしい独特の濃い味が、懐かしさと共にうまさを引き立てる。
『特大岩牡蠣』
「デカすぎる!!」と思わず声に出るほどの大きい牡蠣。今まで見た牡蠣の中でダントツ一番の大きさである。
牡蠣がめちゃめちゃ好きと言っていたこの女性も、これは納得の食い応えであろう。
色々とこの可愛らしい女性と話をしていて、ひとつ気になることがあった。
” 秋田弁じゃない “
周りの客や店員も含め、店内にはドギツイ秋田弁が飛び交う中、この対面の女性は”標準語”だったのである。
いや……まさか偶然こんなところに『東京人』が現れるはずはない、と軽い気持ちで聞いてみた。
「あのー、秋田の方ですか?」
「いえ、東京から初めて秋田に来ました」
「えっ!?僕も秋田出身ですが東京から来たんですよ!?」
そのまさか、東京から来ていたのだ。しかも秋田に初めて来てこんな偶然なんてのはあるのかと驚く。
話を続けていると、さらに気になることがあった。
” 東京での生活圏が自分と似ている “
……もしかして、住んでいる地域までも近いのか?
いやいやいや、東京は小さいといっても人口は秋田の10倍以上ある大都市。いくらなんでもそんな偶然が重なるわけが…、
「初対面なのに失礼承知で聞きますけど、東京のどちらですか……?」
「○○に住んでますよ」
○○……。
もちろん明かすことは出来ないが、
私の住んでる最寄り駅から、たったの” 二駅隣 “であったことだけお伝えしておこう。
今起こった” 途方もない偶然 “までをおさらいしてみる。
帰郷して一週間ある休日のうち、何となく『永楽食堂』に行こうと思いつく、
一緒に行ってくれる友人と都合が合わず、ひとりでバスで目的地へ向かう、
降りるバス停を間違えて、開店から遅く『永楽食堂』に着く、
唯一、空いていた小さい二人掛けの席に運よく座れる、
間もなく、若い女性と相席することになる、
話しかけると、酒場ナビと同様に各地の店を巡る趣向を持っていた、
秋田に来るのは初めてだった、
偶然、東京人だった、
偶然、二駅隣に住んでいた……。
嘘だべっ!?
偶然が過ぎるべや!?
東京から直線距離にして約450km。
秋田という土地で起こったこの” 途方もない偶然 “は、女性の東京行き秋田新幹線の発車時刻をもって終わったのだ。
” 今夜もありがとうございました!! “
凄い酒場体験を呼んでくれた『酒場の神様』に感謝しつつ、女性を改札まで送り、駅を出た時に「あっ」と気づいた。
こんな嘘の様な出会いだったのに、
名前を聞くのを忘れた……。
私という人間は、度重なる『偶然』を呼ぶ以前に、『天然』なのだ。
そんな、秋田の酒場で出会った嘘のようなホントの話。
永楽食堂(えいらくしょくどう)
住所: | 秋田県秋田市中通4-11-10 |
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TEL: | 予約・ お問い合わせ |
営業時間: | 17:00~24:00 |
定休日: | 日曜・祝日 |