渡良瀬渓谷編(3):下間藤(17.11) : 散歩の変人

渡良瀬渓谷編(3):下間藤(17.11)

 ブロンプトンを組み立てていざ行動開始。とりあえず渡良瀬川に沿ってさかのぼり精錬所の廃墟を見てから、一気に下ることにしましょう。間藤駅のあたりは下間藤と言い、足尾銅山の玄関口だったそうです。解説板を転記します。

北部の玄関口 下間藤 往時の賑い
 この地は、わずかに農業が営まれていただけであったが、明治10年に古河市兵衛が足尾銅山の再開発に着手し、飛躍的な発展を遂げるに至り、上間藤・赤倉と共に一大商業地になっていったが、同20年にはまだ辺りは畑で、町並みを形成する道路ができたのはその後である。同33年に「工作課」が、大正6年(1917)頃には「分析係」がこの地に移り開設されて工業地となった。
 大正3年(1914)年には足尾鉄道足尾~本山間が開通し、旅客の発着駅である「間藤駅」の開設などにより200戸余の集落となった。その頃すでに、上の平(18棟、浴場)、下の平(6棟、浴場)、浄水(2棟)の社宅が図示されている。同9年に現在地にあった建具屋から出火し。工場と駅を残して全焼した。昭和30年(1955)は、まだ一般107戸462人、下の平22戸86人、浄水11戸52人であったが、今は(平成12年9月)、44戸100人となり、貨物線路は雑草が茂り鉄路は赤く錆びているばかりである。

 現在の閑散とした街並みと、赤く錆びた鉄路を撮影。往時の殷賑はもはや忘却の彼方です。
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 すこし走ると地面から突き出た巨大な水道管を発見。解説板を読むと、間藤水力発電所跡だそうです。後学のために転記します。

間藤水力発電所跡
 明治10年(1877)より足尾銅山を経営した古河市兵衛は、今までの銅山の動力源でる、薪、木炭に代わるべきものとして、ドイルのジーメンス電気機械製造会社のヘルマン・ケスラー技師の勧めにより、はじめて水力発電にふみきり、明治23年(1890)12月、この地(上間藤)に原動所(水力発電所)を完成した。この水力発電は日本最初のもので松木川上流(現在の足尾ダム下)と深沢川から用水の取入れを行なった。2・9kmの水樋はこの地の山頂の大鉄管に接続し、落水318mの水力によってトルビン式横水車を回転させた。400馬力の電力は、直ちに揚水機(坑内排水)捲揚機(立坑ケージ用)坑内電車、電灯などに利用、銅山近代化を強力におしすすめる力となった。名残りをとどめる直径1mの鉄管の一部が上の平がけ下にあり、原動所はこの下の渡良瀬川原にあった。

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by sabasaba13 | 2024-04-02 06:44 | 関東 | Comments(0)
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