『未明の砦』 : 散歩の変人

『未明の砦』

『未明の砦』_c0051620_21205030.jpg 2023年も小説、詩集、専門書、随筆などなどいろいろな本を読みました。その中で五指に入れたい一冊が『未明の砦』(太田愛 角川書店)という小説です。以前に拙ブログで『天上の葦』という傑作を紹介しましたが、その次の作品がなかなか発表されずやきもきしておりました。一日千秋の思い待ち焦がれましたが、ようやく刊行の運びとなりました。即時購入し、残りページが少なくなるのを惜しみながら、一気呵成に読了。読書の醍醐味を心から満喫しました。抜群のストーリー・テリング、張り巡らされた伏線とそれが解きほぐされていく快感、登場人物たちの絡み合いと性格描写の面白さ、随所にちりばめられたユーモア。『天上の葦』と甲乙つけがたい傑作ですが、テーマの重要性という点で本作に軍配をあげましょう。現代日本の暗部と恥部、われわれの命と暮らしを脅かす労働問題と、財界による苛烈な搾取、そしてそれを支える政治の腐敗と警察権力の暗躍がそのテーマです。

 主人公は矢上達也、脇隼人、秋山宏典、泉原順平という四人の非正規工員。舞台は、ユシマというグローバル自動車企業とその工場。これは参考文献を見ると、明らかにトヨタをなぞっています。日々の過酷な労働と劣悪な労働条件の克明な描写も鮮烈です。疲労のために何も考えられず休日は宿舎に閉じこもってスマートフォンと戯れる彼らを、ベテラン正規工員の玄羽昭一は夏休みに千葉県の実家に誘って合宿を行ないます。現状に疑問と怒りをも四人を見込んで、彼らを立ち上がらせようとするためですね。そこにあった蔵書で労働者の闘いの歴史を学び、蒙を啓かれた四人。彼らを知的に刺激する、リリアン・ギッシュに似た崇像(むなかた)朱鷺子という地元の老女も魅力的です。

 朱鷺子の性格を考えれば、黙ってその姿を見せることで若い四人を導いたのではなく、無知は恥であると面罵したのではなかろうか。(p.242~3)

 しかしその玄羽が工場の劣悪な労働環境のせいで倒れて見殺しにされ、しかも労災に認定されません。人間を使い捨てるユシマに怒った四人は、ユニオン(個人で加入できる労働組合)の相談員・國木田莞慈や専従・岸本彰子の助けを借りながら、新しい労働組合を立ち上げ、ストライキによってユシマに闘いを挑みます。これに対してユシマはさまざまな妨害や嫌がらせを行ない、社長・柚島庸蔵は与党の政治家を通して警察を動かし、あろうことか警察は四人に共謀罪の濡れ衣を着せて指名手配にしてしまいます。さあ人間の尊厳をかけたこの闘いの結末はいかに。
 この血湧き肉踊るストーリーに、四人の思いに共感を覚える刑事・藪下哲夫と小坂剛の凸凹コンビ、ジャーナリストの溝淵久志と玉井登の「ブチタマ」コンビ、社員の日夏康章と灰田聡、派遣警備員・山崎武治と派遣清掃員・仙場南美といった多彩な脇役の動きが絡み、物語をより豊穣なものにしていきます。

 また現状を鋭く批判する著者のメッセージが作中にちりばめられているのも、読みどころです。例えば、労働者を酷使し使い捨てて利益をあげる大企業。

 「國木田さん、俺たちの身にもなって下さいよ」と、秋山は悲しげな声をあげた。「一日中働いてくたくたになって、たまの休みの日にリアルデモする余力なんてないですよ」
 「それが使う側の思う壺なんだ。言われるままに働くから、働かせたいだけ働かせてくたくたにして、ものを考える時間など与えない…」 (p.345)
 「君は利口なんだね」
 「別にそうは思いませんけど、でも世の中って、要は自分の力でどう人を出し抜いて、せり上がっていくかってもんじゃないですか。自分の身は自分で守るしかないわけですから」
 日夏は来栖に微笑を返しながら腹の中で呟いた。君のような貧しい若者がそう思ってくれることが、雇用主にとっては一番ありがたいんだよ。貧しい若者同士のより卑劣で過酷な精神のダンピング合戦になるんだから。(p.366)
 矢上は大きな声で問いかけた。
 「今、ここにいる工員の中に、本気であんな賃金制度を望んでいる者がいるのか。本気で〈人物力〉で自分の価値を測られたい者はいるのか」
 線のある制帽もない制帽も、庇が斜め下に傾くのが矢上にはわかった。もう決まってしまったのだから、できるだけ考えないようにしてきたことなのだ。だがそれではユシマの思う壺なのだ。気がはやり、矢上は緊張で唇が乾いているのを感じた。
 「あれが始まれば、自分以外の全員が敵になる。あいつよりも、こいつよりも、もっとやる気をアピールしなければ、熱意を見せなければ評価してもらえない。すぐにどんな無茶も理不尽も先を争って引き受けるようになる。そうやって際限なく競わされるんだ。それも、体か神経か、あるいは両方が壊れるまで、ずっとだ。そこまでやっても賞与は一円も出ないかもしれないし、昇給もゼロかもしれない。俺たち非正規にいたっては、これまで通り働いても、いくら金が入るのかまったく示されていない。こんなふざけた話があるか」 (p.445)
 「俺たちは、心と感情を持った生きた人間なんだ」
 矢上はそう言うと、かつて玄羽がいた持ち場に目をやった。作業着を着て制帽を被った玄羽の姿が目に浮かぶようだった。
 「人間は仲間の死をなかったことにはしない。この工場が、玄さんの鼓動を止めた。まだ小さい子供のいた小杉圭太の鼓動も止めた。それなのに、ユシマの心臓は平然と鼓動を打ち続けている。このラインのタクトがユシマの鼓動だ。正確に、必要なだけ、秒単位で血液のように自動車を送り出すユシマの心臓の鼓動だ」
 矢上は両腕を広げて工員たちの視線をラインへと導くと、ひときわ声を張った。
 「この鼓動のために、これからも労働者の鼓動が止まるだろう。それでもユシマは労災を認めず、労働者の死を無視する。それなら俺たちがユシマの鼓動を止める」
 静まり返った工場に、誰かが驚いて息を吸い込む音が響いた。組長の市原が愕然とした様子で呟いた。
 「まさか、ストライキをするつもりか…」 (p.578)
 しかし今、矢上は自分にも大勢の工員にも聞こえる声をあげていた。
 「想像してみてくれないか。労働者はどんな理不尽にも決して抗うことなく、黙って命も惜しまずに働く。そうできない者は落伍者か犯罪者になる。今の子供たちが大人になった時、そんな世界で生きてほしいと思うか」 (p.582)

 そして労働者を容易に搾取できる体制を維持するために、与党に政治献金を提供する大企業。それを平然と受け取り、労働者の人権を無視して見殺しにする政府与党。両者の癒着と共犯関係についても鋭いメスが入ります。昨今、自民党のパーティー券に関する疑惑が大きく取り沙汰されていますが、政治献金を提供することによってこうした非人間的な体制を維持させようとする大企業の責任をもっと追究すべきだと考えます。メディアの調査報道に期待します。

 「さっきの話では、その法改正は、企業が非正規を使い倒すのを規制しようって趣旨があったはずですよね。それなのにどうしてですか」
 「おまえたちが学校で習ったとおり、法律を審議して制定するのは国会の役割で、法改正も同じだ。だが改正案が国会に提出される以前に所管庁、この場合は厚生労働省だが、そこに招集された分科会等で具体的な内容までほぼ固められていることも少なくない。労働法の改正の場合、その種の中枢メンバーには必ず、財界の意向を反映すべく大企業の役員クラスが名を連ねている。そして、そいつらと結びついた政治家が肝心なところで常に財界に有利になるように立ち働く」
 「もちろん政治家には見返りがあるわけですね」
 矢上は語尾を上げずに玄羽の目を見た。
 「ああ、それも大手を振って受け取れる見返りがな。大企業を中心に構成された利益団体は長いあいだ、政党別に政策を評価してそれを発表してきた。そして、その評価をもとに団体に加盟している企業に堂々と献金を呼びかけてきた。おかげで、財界に都合の良い政策をやる党や政治家にどっさりと金が舞い込むようになった。これが批判を浴びて政治資金規正法が改正されたのが1994年。ようやっと企業や団体から政治家個人への献金が禁止された。だが、それでどうなったかといえば、政党支部を利用した迂回献金やパーティー券の購入を通じて相変わらず政治家に金が流れ続けているわけだ」 (p.117~8)
 この数十年、いやそれ以上のあいだ、中津川(※政権与党の幹事長)のような選挙しか頭にない高齢政治家がいかがわしい団体と平然と手を組み、利権に群がり、法と人事を弄び、これでもかというほど国を破壊し尽くしてきた。おかげで、今さら政治で国を立て直せるような悠長な時間は、この国には残されていないのだ。(p.333)
 萩原は中津川に似た高齢政治家を大勢知っていた。共通しているのは、自分に尾を振らぬ犬とわかれば、官僚人事に横槍を入れて思い知らさねば済まない幼稚さだ。それこそ志半ばでそのような事態に見舞われることは避けねばならない。萩原は中津川の思い込みを利用することにした。
 「先生の政治理念は存じ上げているつもりですよ」
 おやっというふうに眉を上げた中津川に、萩原はあえてゆっくりと言った。
 「〈あるべき我が国への回帰〉」
 尾を振る子犬たちに囲まれた高齢政治家たちのあいだで、ある種の符牒のようにもてはやされている言葉を萩原が知らぬわけがなかった。
 変化を忌み、どこまでも退嬰的になったあげく、戦前まで巻き戻ったかのような世界観、実際にはかつて一度も存在したことのない家父長制時代への過激なノスタルジーだ。そこでは子たるものは常に親を尊敬し、礼節を守り、偉い人の言うことをよく聞いて、女は女らしく、男は男らしく事があれば進んで戦場にも赴く。(p.334~5)

 安倍政治に対する皮肉には快哉を叫びたくなりました。ブラーバ!

 「五十畑は、自分の工場で起こったことは、自分でなんとかできると思っているようです。つまりは、習慣から抜け出せない。都合の悪いことはもみ消す。そうすればなかったことにできる。幼稚な為政者が範を垂れたおかげで、近年この国のいたるところで乱用されるようになった手法です。…」 (p.459)

 財界と政治家の癒着と共犯関係がつくりだした日本社会の忌わしい状況にも、著者はきっちりと言及します。


 自分のオフィスに戻り、パソコンのディスプレイに向かっても田所の言葉が耳に残っていた。
 -お前も常々言ってたじゃないか。日本には民主主義は根づかなかったとな。
 確かに、と萩原は思った。それは、この国の民主主義が国民の手で勝ち取られたものではなかったからだ。民主主義は人間の長い歴史の中で、民衆が王や宗主国などの巨大な権力と闘い、革命や戦争による犠牲も厭わずもぎ取ってきたものだ。しかし、この国はそうではない。広島、長崎と原爆と投下され、ようやく敗戦を迎えた後に、民主主義もまた投下されたのだ。
 突如として、想像もしなかった景色が開けた。臣民が国民となって国家の主権を持ち、大人も子供も老人も国のために死ねと命じられることがなくなった。ひとりひとりの人権が保障され、女性に参政権が与えられ、労働組合法が作られ、国民は健康で文化的な生活を営む権利を有するまでになった。しかし、投下された民主主義が根づくことはついになかったのだ。
 すでに選挙制度すらまともに機能していない。主権者の責任を果たしている者は半数そこそこで、結果として国の行き先を決めているのは無関心な者らなのだ。政治家という名の利権分配屋は何をしても処罰されることなく、もはや法治国家でさえなくなりつつある。
 この国の人間には社会という概念がないのだ。あるのは帰属先だけ。自分のいる会社、自分のいる学校、自分のいる家族。顔の見える相手がいて息苦しい人間関係に縛られた帰属先しかない。そもそも社会という概念がないのだから、社会にどれほど醜悪な不正義や不公正が蔓延しようと、自分に実害がないかぎり無関係な事象でしかないのだ。
 社会とは空気のようなものだ。生きるためには呼吸せねばならず、体のどこかは常に空気に触れている。だがこの国の人間は、その空気が不正義や不公正に汚染されて次第に臭気を放ち始めても、世の中はそんなものだと呟きながらどこまでも慣れていく。コロナ禍でいわれたようにこまめに手洗いするなど身体的な衛生観念は高いのだろうが、自分たちの社会に対する不潔耐性も極めて高いのだ。
 時折、萩原はこの国にある規範は二つだけではないのかと思う。〈自己責任〉と〈迷惑〉だ。別に今に始まったことではない。江戸の昔から共助社会だったといわれているが、共同体からの助けは、ある種の辱めや罰と引き換えにしか与えられなかった。年貢を払えず村に助けてもらった農民が、米を提供してくれた人の家に入る時には門の手前で履き物を脱いで這うようして入れと命じられた例さえあった。おかげで、助けを求める屈辱よりも夜逃げを選ぶ家もあったという。
 現在、衰退途上にあるこの国では、これから先、いつ助けを必要とする境遇に陥るかわからない人々が急速に増えていく。ところが、実際に自分がそうなるまでは、どのような人生を歩んできた人が、どのような事情で助けを必要とするようになったのか、考えようとすらしない。自分の仕事と食べ物と住み家があるのは、自分が努力したからだと信じて疑わない。だから、年貢のように取り立てられた税金を地位の高い人やそのお仲間が湯水のように使うのは気にしないが、自分より〈努力の足りない〉貧しい人間のためにそれが使われるのはどうにも我慢ならないのだ。
 臆面もなく共有されるそのような意識が、この社会に夥しい数の静かな死を広げていく。誰にも助けを求めることなく、電気やガスがとめられた部屋でひっそりと死んでいく老いた姉妹。見捨てられ置き去りにされた子供。街の片隅で冷たくなって発見される老人、あるいは黙ってビルの屋上や駅のホームから飛び降りる男や女。
この社会の意識では、命は救えない。このままでは犠牲が出るのをとめられない。(p.514~6)
 「おまえは矢上たち四人の行動を逐一、会社の誰かに報告してたんだろ。そこそこ上の方にいる人間で、鶴の一声でおまえを正社員にできるんだよな。そいつは誰だか教えてもらおうか」
 来栖が目を潤ませ、小さく口を開けて喘ぎながら、必死に沈黙を守っていた。
 「おまえも共謀罪の仲間の一人に加えようか。四人と一緒に活動してたんだからな。ホットドッグ屋の店主って証人もいるわけだし。それくらいは下っ端にだってできるんだぜ。警察はな、あったことをなかったことにできるし、なかったこともあったことにできる。もうわかっているよな?」
 「そんな…戦時中じゃないんだから」
 「ほう、利いた口をきくじゃないか」
 薮下は来栖の肩に軽く手を置いて教え諭すように言った。
 「だがな、おまえみたいに自分の目先の利益しか考えない人間が、上から下までわんさか増えたおかげで、今はな」
最期は怒声でしめくくられた。
 「ほとんどもう戦時中なんだよ!」
 薮下は本気で腹を立てていた。涙より先に、来栖の鼻腔から洟が垂れた。(p.542~3)
 「小坂」と、薮下は小坂の肩を掴んででタイル張りの壁に押しつけた。「矢上たちは俺たちのことを知らない。じゃあ代わりに何を知ってる? 彼らが知ってるのは、力のある奴らが初めから法律に抜け穴を作って、あいつらみたいなのを食い物にしてもなんら咎められない現実だ。政府の偉い人間は不正を働いても嘘をついても、周りがみんな口裏を合わせてくれて罪には問われない、黒を白に変えられる、そういう世の中を子供の頃から見てきたんだ。そんな世の中では、力のない自分たちは、たとえ無実でも、力のある者たちが望めば罪に問われる。そう考えるのが現実的だと思わないか。そう考えた時、おまえならどうする」(p.565~6)

 そしてこうした非人間的な日本社会の現状を、私たちにリアルに伝えないメディアにたいする舌鋒鋭い批判も見逃せません。

 溝渕はどこかで読んだ格言を思い出した。曰く、専制主義的国家のメディアは、平時においては不都合な事実を隠蔽して消極的な虚偽情報を行う。だが戦時においては、事実を捏造して積極的に虚偽報道を行う。歴史の教訓である。(p.539)
 萩原は、記者席でノートパソコンから目を上げることなくひたすらキーボードを打ち続ける報道陣を、まるで自動人形のようだと思いながら淡々と会見を行っていた。記者クラブに所属するこれら大手メディアの人間たちは為政者や官僚の口から出た文言をそのまま垂れ流すのに忙しく、その内容の真偽を検証することはまずないらしい。単なる拡声器のような役割を報道の職務と考えているのなら、いずれ淘汰される職業のひとつになるだろうが、今日はその拡声器の役目を存分に果たしてもらおうと萩原は考えていた。(p.586)

 さらに太田氏は、この国の近未来を予見します。このまま過酷な労働条件が続き、格差社会が耐えられないものになると、労働運動や反貧困の民衆運動が激化する可能性・危険性が高い。それを恐怖する財界・政府の意を呈した警察権力は、労働運動への峻烈な弾圧を行なうに違いない、と。いやこれは近未来の話ではありません。関生支部への弾圧など、警察による労働運動への弾圧はもうすでに始まっています。心してかからねば。

 この国ではこれから先、貧富の差が急激に拡大する。そして一握りの超富裕層と若干の富裕層、その他大勢の貧困層と極貧層へと分化する。この流れは加速し、想像を絶する格差が生まれる。社会は不安定になり、犯罪が増加する。共謀罪を始動させるのなら、そのタイミングだ。社会不安に乗じて大衆を扇動する者たちを一挙に叩くのだ。(p.480~2)
 「だが新型コロナ禍以降、不当解雇や雇い止め、休業補償の未払い等が頻発し、助けを求める労働者を取り込んでユニオンや合同労組の労働運動が活発化している。労働争議の件数が増えれば社会問題として表面化する。そのあたりは非正規が労働人口の四割近くになれば、存在を無視できなくなったのと同じだ。しかし、このまま非正規が半数を超えれば、事は雪崩を打って大きく逆に傾く。貧者の方が多数派になるんだ。過激な労働運動が相次ぐ局面に我々は備えておかなければならない」
 萩原は瞬時に理解し、愕然となった。
 この機に労働運動全体に危険分子というレッテルを貼り、反社会的で暴力的なイメージを世間に刻印する。それが将来的にこの国の秩序と安寧を守るために肝要なことだと田所は考えているのだ。(p.512~3)
 団体交渉を恐喝罪や強要罪、ストを威力業務妨害罪としてとりあえず逮捕するのは、労働運動を抑え込みたい時の警察の常套手段だ。その証拠に、逮捕されてもほとんど起訴には至らない。労働者の団結権、団体交渉権、争議権は憲法で保障されているので、法廷で有罪判決に持ち込むのは難しいからだ。逮捕イコール有罪ではない。つまり國木田に前科はない。以前、國木田自身が、自分たちの若い頃に前線に立っていた奴らは、誰でも何度か逮捕されていると笑いながら当時のことを話してくれた。
 だが、警察が顔写真を出して逮捕歴を列挙すれば、世間はその人物が犯罪者であるという印象を抱く。矢上たち自身、何も知らない頃ならそう思ったに違いない。
 警察は、矢上たち四人に反社会的で暴力的な集団であるというレッテルを貼るために、國木田の逮捕歴を利用したのだ。(p.531~2)

 漆黒の闇に鎖された暗黒の日本。しかしそれを仄かに照らすいくつかの炬火を、著者は掲げてくれます。不条理で不公正な体制に対して怒ること。企業のために生きているのではないと自覚すること。闘う場所に立つこと。声をあげること。敵を見極めること。そして仲間と助け合うこと。

 「より良い方向がある時、そちらに舵を切らなければ、おのずと悪い方向に進む。そう信じているだけだよ。現状維持は幻想だとね」
 理不尽や不合理は、放置すれば惰性のまま時を歩み、その轍を深くし、いつしか伝統やしきたりなどと呼ばれるまでになる。
 遠くの空を渡っていくセスナ機の音が微かに聞こえていた。
 「彼らの闘いに希望はあると思いますか」
 岸本が尋ねた。
 「少なくとも、彼らの中には怒りがある。私は、怒りは希望だと思っている」 (p.378)
 矢上は自分の生の声が食堂の奥の天井に跳ね返るのを聞いた。気がつくとハンドマイクを使わずに工員に話しかけていた。矢上はマイクを足元に置き、深く息を吸って続けた。
 「俺たちはユシマ仕様の消耗品じゃない。労働者は、企業の利益のために生きているんじゃない」 (p.447)
 長身の派遣工は口の中で何かもごもご言っていたが、上から脇の声が降ってきた。
 「おい、紙コップ。おまえは『勝たなきゃ意味がない』、それが現実だと思ってんだろ。だから自分より強いものと闘うのは、無意味で馬鹿らしいことだと思ってる。勝つと決まってないのなら、やるだけ無駄だってわけだ。だがな、あいにく俺らみたいなのには、勝つと決まってる勝負なんて巡ってこないんだ。おまえが本当に勝ちたいのなら、まず闘う場所に立つことだ。これまで通り不戦敗を続けて一生使い倒されたいのなら好きにしろ」
矢上は工場の中央で宣言した。
 「俺たち労働者が求めるものをユシマが何ひとつ与えないのであれば、俺たちもユシマが求めるものを与えない。それは、労働者の労働力だ。ユシマが労働者は人間だということを思い出すまで、俺たちは労働力を与えない」 (p.580~1)
 「…私たちは事の善し悪しよりも、波風を立てずに和を守ることが大切だとしつけられてきた。今ある状況をまず受け入れる。それが不当な状況であっても、とにかく我慢して辛抱して頑張ることが大事だと教えられてきました。同時に、抵抗しても何ひとつ変わりはしないと叩き込まれてきた。
 しかし、おかしいことに対してそれはおかしいと声をあげるのは、間違ったことでも恥ずかしいことでもない。声をあげることで私たちを不当に扱う側を押し返すこともできる。少なくとも、もうこうは言わせない。『誰も何も言わないのだから、今のままで何の問題もないんだ』とは。声をあげる人が増えれば、こうも言えなくなる。『みんなが黙って我慢しているのだからあなたも我慢しろ』とは。
 力のある人とその近くにいる人たちだけがより豊かになるのではなく、大勢の普通の人たちが生きやすい世界へ変えていくためには、力を持たない私たちが声をあげるところから始めるほかない。どうか、〈ともとり労組〉に共感する人たちは声をあげて下さい」 (p.592)
 「薮下さん、どうしてあの四人がストライキをしに工場に戻るとわかったんです?」
 「わかってたわけじゃあない。ただ、あいつらはこの夏、笛ヶ浜の文庫で、まぁ大袈裟にいえば、闘ってきた人間たちの歴史と、自分たちがどういう社会に生きているかを知ったんだ。この国の当たり前が、世界の当たり前としばしば一致しないこともな。で、俺は、あいつらは最後まで闘うだろうと思ったわけだ。闘うってのは、自分たちの手で今ある状況を変えようとすることだ。柚島庸蔵をヤッたところで、ユシマ的なものは何も変わりゃしないだろ」
 なるほど、と小坂は思った。彼らの敵は、労働者をコストとしか思わず、あたまから人間扱いしないユシマ的な考え方そのものなのだ。(p.593~4)
 矢上は、そもそもあの時に尋ねるべきだったことを尋ねた。
 「おまえ、なんで労働組合なんて思いついたんだ?」
 脇は指についた、米粒を食べながら、二つ目のおにぎりに手を伸ばした。
 「初めから組合を考えていたわけじゃなくてな。俺がこのさき頑張ってなれるもんがあるとしたら、これしかないと思ったんだ。それでまず決めたわけだ。いい労働者になろうって」
 「いい労働者…」
 思いがけない言葉を聞いて、矢上は我知らず繰り返していた。
 「いい労働者ってのは、ただ一生懸命働くだけじゃないんだ。隣に困っている労働者がいたら、その労働者のために闘う。つまり自分たちのために闘うのが、いい労働者なんだ」 (p.601~2)

 ちなみに四人がつくった労働組合の名称は「共に闘う人間の砦(ともとり)労働組合」と言います。本書のタイトルはここに由来するのですね。果てしれぬ暗闇とそこを照らす明かりを、魅力的な登場人物と物語とともに伝えてくれる傑作小説。心よりお薦めします。

 付言です。NHKニュースによると、労働組合の組織率は16.3%と前の年を下回り、過去最低となったことが厚生労働省の調査でわかったそうです。
 そういえば、元日のニュースで、初詣に来た若者が「何をお願いしたか」と訊かれて「給料アップ」と答えていました。…賃上げをしてくれるのは神なのか。私は、労働者が労働組合に結集して労働争議によって勝ち取るものだと思っていました。労働者が賃上げを願掛けするほど、労働組合の組織率が落ちて弱体化していることなのでしょう。先進国の中で唯一、賃上げがほとんどなされていないのが日本であるということの原因はここあると考えます。労働組合が弱体化したのは何故なのだろう、そしてどうすればいいのだろう。自分なりに調べて考えたいと思います。

by sabasaba13 | 2024-03-15 06:09 | | Comments(0)
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