![]() 主人公は矢上達也、脇隼人、秋山宏典、泉原順平という四人の非正規工員。舞台は、ユシマというグローバル自動車企業とその工場。これは参考文献を見ると、明らかにトヨタをなぞっています。日々の過酷な労働と劣悪な労働条件の克明な描写も鮮烈です。疲労のために何も考えられず休日は宿舎に閉じこもってスマートフォンと戯れる彼らを、ベテラン正規工員の玄羽昭一は夏休みに千葉県の実家に誘って合宿を行ないます。現状に疑問と怒りをも四人を見込んで、彼らを立ち上がらせようとするためですね。そこにあった蔵書で労働者の闘いの歴史を学び、蒙を啓かれた四人。彼らを知的に刺激する、リリアン・ギッシュに似た崇像(むなかた)朱鷺子という地元の老女も魅力的です。 朱鷺子の性格を考えれば、黙ってその姿を見せることで若い四人を導いたのではなく、無知は恥であると面罵したのではなかろうか。(p.242~3) しかしその玄羽が工場の劣悪な労働環境のせいで倒れて見殺しにされ、しかも労災に認定されません。人間を使い捨てるユシマに怒った四人は、ユニオン(個人で加入できる労働組合)の相談員・國木田莞慈や専従・岸本彰子の助けを借りながら、新しい労働組合を立ち上げ、ストライキによってユシマに闘いを挑みます。これに対してユシマはさまざまな妨害や嫌がらせを行ない、社長・柚島庸蔵は与党の政治家を通して警察を動かし、あろうことか警察は四人に共謀罪の濡れ衣を着せて指名手配にしてしまいます。さあ人間の尊厳をかけたこの闘いの結末はいかに。 この血湧き肉踊るストーリーに、四人の思いに共感を覚える刑事・藪下哲夫と小坂剛の凸凹コンビ、ジャーナリストの溝淵久志と玉井登の「ブチタマ」コンビ、社員の日夏康章と灰田聡、派遣警備員・山崎武治と派遣清掃員・仙場南美といった多彩な脇役の動きが絡み、物語をより豊穣なものにしていきます。 また現状を鋭く批判する著者のメッセージが作中にちりばめられているのも、読みどころです。例えば、労働者を酷使し使い捨てて利益をあげる大企業。 「國木田さん、俺たちの身にもなって下さいよ」と、秋山は悲しげな声をあげた。「一日中働いてくたくたになって、たまの休みの日にリアルデモする余力なんてないですよ」 「君は利口なんだね」 矢上は大きな声で問いかけた。 「俺たちは、心と感情を持った生きた人間なんだ」 しかし今、矢上は自分にも大勢の工員にも聞こえる声をあげていた。 そして労働者を容易に搾取できる体制を維持するために、与党に政治献金を提供する大企業。それを平然と受け取り、労働者の人権を無視して見殺しにする政府与党。両者の癒着と共犯関係についても鋭いメスが入ります。昨今、自民党のパーティー券に関する疑惑が大きく取り沙汰されていますが、政治献金を提供することによってこうした非人間的な体制を維持させようとする大企業の責任をもっと追究すべきだと考えます。メディアの調査報道に期待します。 「さっきの話では、その法改正は、企業が非正規を使い倒すのを規制しようって趣旨があったはずですよね。それなのにどうしてですか」 この数十年、いやそれ以上のあいだ、中津川(※政権与党の幹事長)のような選挙しか頭にない高齢政治家がいかがわしい団体と平然と手を組み、利権に群がり、法と人事を弄び、これでもかというほど国を破壊し尽くしてきた。おかげで、今さら政治で国を立て直せるような悠長な時間は、この国には残されていないのだ。(p.333) 萩原は中津川に似た高齢政治家を大勢知っていた。共通しているのは、自分に尾を振らぬ犬とわかれば、官僚人事に横槍を入れて思い知らさねば済まない幼稚さだ。それこそ志半ばでそのような事態に見舞われることは避けねばならない。萩原は中津川の思い込みを利用することにした。 安倍政治に対する皮肉には快哉を叫びたくなりました。ブラーバ! 「五十畑は、自分の工場で起こったことは、自分でなんとかできると思っているようです。つまりは、習慣から抜け出せない。都合の悪いことはもみ消す。そうすればなかったことにできる。幼稚な為政者が範を垂れたおかげで、近年この国のいたるところで乱用されるようになった手法です。…」 (p.459) 財界と政治家の癒着と共犯関係がつくりだした日本社会の忌わしい状況にも、著者はきっちりと言及します。 自分のオフィスに戻り、パソコンのディスプレイに向かっても田所の言葉が耳に残っていた。 「おまえは矢上たち四人の行動を逐一、会社の誰かに報告してたんだろ。そこそこ上の方にいる人間で、鶴の一声でおまえを正社員にできるんだよな。そいつは誰だか教えてもらおうか」 「小坂」と、薮下は小坂の肩を掴んででタイル張りの壁に押しつけた。「矢上たちは俺たちのことを知らない。じゃあ代わりに何を知ってる? 彼らが知ってるのは、力のある奴らが初めから法律に抜け穴を作って、あいつらみたいなのを食い物にしてもなんら咎められない現実だ。政府の偉い人間は不正を働いても嘘をついても、周りがみんな口裏を合わせてくれて罪には問われない、黒を白に変えられる、そういう世の中を子供の頃から見てきたんだ。そんな世の中では、力のない自分たちは、たとえ無実でも、力のある者たちが望めば罪に問われる。そう考えるのが現実的だと思わないか。そう考えた時、おまえならどうする」(p.565~6) そしてこうした非人間的な日本社会の現状を、私たちにリアルに伝えないメディアにたいする舌鋒鋭い批判も見逃せません。 溝渕はどこかで読んだ格言を思い出した。曰く、専制主義的国家のメディアは、平時においては不都合な事実を隠蔽して消極的な虚偽情報を行う。だが戦時においては、事実を捏造して積極的に虚偽報道を行う。歴史の教訓である。(p.539) 萩原は、記者席でノートパソコンから目を上げることなくひたすらキーボードを打ち続ける報道陣を、まるで自動人形のようだと思いながら淡々と会見を行っていた。記者クラブに所属するこれら大手メディアの人間たちは為政者や官僚の口から出た文言をそのまま垂れ流すのに忙しく、その内容の真偽を検証することはまずないらしい。単なる拡声器のような役割を報道の職務と考えているのなら、いずれ淘汰される職業のひとつになるだろうが、今日はその拡声器の役目を存分に果たしてもらおうと萩原は考えていた。(p.586) さらに太田氏は、この国の近未来を予見します。このまま過酷な労働条件が続き、格差社会が耐えられないものになると、労働運動や反貧困の民衆運動が激化する可能性・危険性が高い。それを恐怖する財界・政府の意を呈した警察権力は、労働運動への峻烈な弾圧を行なうに違いない、と。いやこれは近未来の話ではありません。関生支部への弾圧など、警察による労働運動への弾圧はもうすでに始まっています。心してかからねば。 この国ではこれから先、貧富の差が急激に拡大する。そして一握りの超富裕層と若干の富裕層、その他大勢の貧困層と極貧層へと分化する。この流れは加速し、想像を絶する格差が生まれる。社会は不安定になり、犯罪が増加する。共謀罪を始動させるのなら、そのタイミングだ。社会不安に乗じて大衆を扇動する者たちを一挙に叩くのだ。(p.480~2) 「だが新型コロナ禍以降、不当解雇や雇い止め、休業補償の未払い等が頻発し、助けを求める労働者を取り込んでユニオンや合同労組の労働運動が活発化している。労働争議の件数が増えれば社会問題として表面化する。そのあたりは非正規が労働人口の四割近くになれば、存在を無視できなくなったのと同じだ。しかし、このまま非正規が半数を超えれば、事は雪崩を打って大きく逆に傾く。貧者の方が多数派になるんだ。過激な労働運動が相次ぐ局面に我々は備えておかなければならない」 団体交渉を恐喝罪や強要罪、ストを威力業務妨害罪としてとりあえず逮捕するのは、労働運動を抑え込みたい時の警察の常套手段だ。その証拠に、逮捕されてもほとんど起訴には至らない。労働者の団結権、団体交渉権、争議権は憲法で保障されているので、法廷で有罪判決に持ち込むのは難しいからだ。逮捕イコール有罪ではない。つまり國木田に前科はない。以前、國木田自身が、自分たちの若い頃に前線に立っていた奴らは、誰でも何度か逮捕されていると笑いながら当時のことを話してくれた。 漆黒の闇に鎖された暗黒の日本。しかしそれを仄かに照らすいくつかの炬火を、著者は掲げてくれます。不条理で不公正な体制に対して怒ること。企業のために生きているのではないと自覚すること。闘う場所に立つこと。声をあげること。敵を見極めること。そして仲間と助け合うこと。 「より良い方向がある時、そちらに舵を切らなければ、おのずと悪い方向に進む。そう信じているだけだよ。現状維持は幻想だとね」 矢上は自分の生の声が食堂の奥の天井に跳ね返るのを聞いた。気がつくとハンドマイクを使わずに工員に話しかけていた。矢上はマイクを足元に置き、深く息を吸って続けた。 長身の派遣工は口の中で何かもごもご言っていたが、上から脇の声が降ってきた。 「…私たちは事の善し悪しよりも、波風を立てずに和を守ることが大切だとしつけられてきた。今ある状況をまず受け入れる。それが不当な状況であっても、とにかく我慢して辛抱して頑張ることが大事だと教えられてきました。同時に、抵抗しても何ひとつ変わりはしないと叩き込まれてきた。 「薮下さん、どうしてあの四人がストライキをしに工場に戻るとわかったんです?」 矢上は、そもそもあの時に尋ねるべきだったことを尋ねた。 ちなみに四人がつくった労働組合の名称は「共に闘う人間の砦(ともとり)労働組合」と言います。本書のタイトルはここに由来するのですね。果てしれぬ暗闇とそこを照らす明かりを、魅力的な登場人物と物語とともに伝えてくれる傑作小説。心よりお薦めします。 付言です。NHKニュースによると、労働組合の組織率は16.3%と前の年を下回り、過去最低となったことが厚生労働省の調査でわかったそうです。 そういえば、元日のニュースで、初詣に来た若者が「何をお願いしたか」と訊かれて「給料アップ」と答えていました。…賃上げをしてくれるのは神なのか。私は、労働者が労働組合に結集して労働争議によって勝ち取るものだと思っていました。労働者が賃上げを願掛けするほど、労働組合の組織率が落ちて弱体化していることなのでしょう。先進国の中で唯一、賃上げがほとんどなされていないのが日本であるということの原因はここあると考えます。労働組合が弱体化したのは何故なのだろう、そしてどうすればいいのだろう。自分なりに調べて考えたいと思います。
by sabasaba13
| 2024-03-15 06:09
| 本
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自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
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