京都錦秋編(3):東山(16.11) : 散歩の変人

京都錦秋編(3):東山(16.11)

 ふたたびバスに乗って京都駅へ、烏丸口で乗り換えて東山にある智積院をめざします。なお些細なことですが、「七条」のことをバス車内表示では「Nanajo」、道路標識では「Shichijo」と表記していました。どちらが正しいのでしょう?
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 そして東山七条で下車して智積院へ。収蔵庫にある長谷川等伯一派によって描かれた襖絵、中でも等伯描く「楓図」と、彼の息子・久蔵描く「桜図」を見るために何度も訪れましたが、数年前にやたらと楓を植えたのでその成長を見るのも楽しみです。うん、だいぶ大きくなりましたね。美しく色づく紅葉を満喫。
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 そして今熊野商店街を歩いて、われわれ御用達のパン屋「ゲベッケン」へ。パンを購入し珈琲を注文して、二階でいただきました。まるで瓢亭卵のような半熟卵カレーパンがとても美味、クリスプなサクサク感に魅了されました。
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ここまできたら我々定番のお散歩コースです。新熊野(いまくまの)神社は紅葉というよりも、天空を圧するような見事な大楠がお目当て。
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 解説板を転記します。

 熊野信仰が盛んであった平安後期の永暦元年(1160)、後白河上皇が紀州(現在の和歌山県)熊野の神をこの地にあった仙洞御所法住寺殿の内に勧請して、当社を創建した。上皇の命を受けた平清盛は、熊野の土砂や材木を用いて社域や社殿を築き、那智の浜の青白の小石を敷いて霊地熊野を再現したとされる。
 皇室の尊崇が厚く、社域は広壮、社殿は荘厳を極めたが、応仁の乱で荒廃し、現本殿(市指定有形文化財)は寛文十三年(1673)に聖護院の道寛親王により再建されたものである。
 境内の樟の木は、熊野から移植した後白河上皇お手植えの神木といわれ、健康長寿、特に腹を守護する神、また、安産の守り神として信仰されている。
 足利義満が初めて観阿弥・世阿弥父子の能を見た場所としても知られている。

 境内には「世阿弥 義満 機縁の地」「今熊野猿楽図」という石碑がありました。
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 そしてこれまた定番養源院を訪れました。きれいに色づいたモミジのトンネルを堪能。でも以前よりも訪れる方が増えたようです、嬉しいような寂しいような。
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by sabasaba13 | 2022-09-18 08:05 | 京都 | Comments(0)
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