コロナ禍が収束する気配がまったく見えません。それなのに自民党の対応は…無策・無能・無気力。旧統一教会とのずぶずぶな関係を否定し、隠蔽し、忘却させることに専念しているように見えます。
以前に「
未必の故意」という記事で、自民党政権が無策なのは、高齢者や病人が亡くなれば、年金や介護・医療などにかかるお金を大幅に削減できると考え、あえて手を打たないのではないかと指摘しました。たまたま『週刊金曜日』(№1389 22.8.19)を読んでいたら、山口泉氏が「肯わぬ者からの手紙」の中で同じことを書かれていたので、意を強くしました。
真っ当な疫学的対策の欠如と医療崩壊の座視に、かねて私は未必の故意を疑っている (p.29)
なおかなり前の同誌(№1327 21.4.30/5.7)では、「未必の故意」どころではなく「老人削減計画」ではないのかという指摘を、佐藤明吉がされていました。
政府によるコロナ対策をどう見たらいいのか。世上では「無策」「後手後手」という批判も多い。しかし私は、そんな生やさしいものとは、思えない。
いま進められている施策は意識的な「老人削減計画」であり、「中小企業つぶし計画」ではないかと思う。
PCR検査やスクリーニング検査など「やるやる」と言いながら一向に進む気配はいまだない。
第4波の危機が叫ばれながら、ほとんどまともな対策もせず、3密回避や宴会の回避ばかりを何度も叫び、まともな補償もせず、飲食店を悪者に仕立て上げることに終始してきた。
まして、今度の予算では病床削減しようとする病院には、消費税を財源として後押しすることが計画されている。コロナによる医療崩壊がうんぬんされ、実際に大阪あたりではそれが現実になっている。病床数を増やし、医療従事者を増やし、その待遇改善をしなければならないことが明らかになっている、この時にだ。
そして後期高齢者の医療費窓口負担を1割から2割に引き上げようとしている。高齢者の1人当たり年収に対する患者負担の比率は85歳以上では5・7%にもなり、50歳以下の3~6倍にもなっている。その根本的な原因は、高齢者の医療費に占める国庫負担金の割合が、1983年の45%から33%にまで削減されたことによるのは明らかだ。
こうした政治のやり方を見れば生やさしい評価などできない。高齢者が減れば医療費に割く予算も、年金の財源も減らすことができるのだ。
命を軽視し、必死で生きようとする者をコケにする政府を、軽く見ていたらとんでもないことになるだろう。
いくらなんでも、それはないだろうとは思いたいのですが、可能性は否定できないですね。怠りなく注視しましょう。
なお「犠牲者が出てもやむを得ない」として遂行する行為を、アメリカ軍は副次的被害(コラテラル・ダメージ collateral damage)と言うそうです。『帝国アメリカと日本 武力依存の構造』(チャルマーズ・ジョンソン 集英社新書)から引用します。
9・11テロの翌日、ジョージア州選出の民主党上院議員ゼル・ミラーは「やつらを吹き飛ばしてしまえ。目的のために犠牲が出るなら、それもいたし方ない」と公言した。「目的のための犠牲(コラテラル・ダメージ)」とは、これもまた、防御するすべを持たない者たちの殺戮を隠蔽する、ペンタゴンお得意の婉曲語法だ。イラクやセルビアで、サダム・フセインやスロボダン・ミロシェヴィッチを追い込むために行われたはるか高みからの空爆で、命を落としたり手足を失ったりした市民について言うときに、米軍広報官が使った用語なのである。報復のための大規模な軍事行動には「コラテラル・ダメージ」が付きもので、当然ながら、子どもを失い自暴自棄になる親、親を失い激昂する子どもを量産してテロリストの大義に共鳴する人々を増やしていく。そのうえ、中東の危機は世界の原油価格高騰に直結するので、テロリストにとってみれば、先進国の経済を脅かすのに願ってもない効果があるのだ。(p.24)
「国家」という怪物には共通点があるようですね。桑原桑原。