『私たちの青春、台湾』 : 散歩の変人

『私たちの青春、台湾』

『私たちの青春、台湾』_c0051620_21562794.jpg 最近、台湾に注目しています。アジア初の同性婚法制化、女性議員がアジアトップ水準の4割を占める議会、蔡英文総統の歴史的再選と見事な新型コロナ・ウイルス対策などなど、志の高さと際立った実務能力には頭を垂れましょう。そのバックボーンにあるのが、国民党による一党独裁政治を跳ね返し、戒厳令を撤廃させ、民主化を実現させた市民の力量にあると思います。それを象徴する「ひまわり運動」を取り上げた映画『私たちの青春、台湾』がポレポレ東中野で上映されるそうです。これは見に行かねば、さっそく山ノ神を誘って鑑賞することにしました。映画館の公式サイトを見ると、インターネット予約ができるようになっていたので、前売り券を購入。ただQRコードとやらの使い方がわからないので印刷して持参することにしましょう。

 好月好日、ああ久しぶりの東中野だ。地下二階にある映画館へ階段を下りていくと、途中にたくさんの映画のチラシを入れたラックと棚があり、これを物色するのがルーティンです。ああ何気ない日常的な行為ができるのっていいものですね。しみじみ。おっ『戦車闘争』という映画のチラシがありました。公式サイトから、あらすじを引用します。

 ベトナム戦争終盤を迎えていた1972年、アメリカ軍は破損した戦車を神奈川県相模原市の相模総合補給廠で修理し、再び戦地に送るべく横浜ノースドックへ輸送していた。それを知って憤った市民がノースドック手前で座り込みを敢行、戦車の輸送は断念された。この事件をきっかけに相模総合補給廠の前にはテントが立ち並び、およそ100日間におよぶ抗議活動がはじまる。映画『戦車闘争』は、座り込みに参加していた者から彼らを排除する側までのあらゆる当事者や専門家など総勢54人の証言によって、日本現代史上希に見る政治闘争の顛末を明らかにする白熱のドキュメンタリー映画である。

 いわゆる相模原闘争、佐倉にある国立歴史民俗博物館の企画展示「1968年」で知りました。たしか飛鳥田一雄氏が横浜市長の時でしたね。在日米軍を相手に真っ向から闘いを挑んだ市民運動、その意気を受け継ぐためにも是非見にいきましょう。公開は12月とのことです。

 プリントアウトをしたQRコードを見せて入場すると、市松模様に間隔をあけた座席ではなく、平常の形態でした。ただ客の入りは半数以下だったので、感染の恐れは少ないでしょう、たぶん。まずは公式サイトから、あらすじを引用します。

 世界中どこにでも体制に反抗することを夢見る若者たちがいる。不安定な台中関係下の台湾で、三人の若者の夢は実現したかに見えたが、結局は叶わなかった。しかし、彼らは成長した。純粋で世間知らずの私たちが、若さあふれる台湾の目撃者なのだ。
 2011年、私は魅力的な二人の大学生と出会った。台湾学生運動の中心人物・陳為廷(チェン・ウェイティン)、台湾の社会運動に参加する人気ブロガーの中国人留学生・蔡博芸(ツァイ・ボーイー)。私、傅楡(フー・ユー)は台湾のドキュメンタリー制作者だ。彼らが最前線に突き進むのを見ながらカメラをまわし、「社会運動が世界を変えるかもしれない」という期待が、私の胸いっぱいに広がっていた。
 陳為廷は台湾の苗栗出身、いつも歌をうたい、ぬいぐるみを抱き眠る人懐っこい青年だ。14年、彼は立法院に突入した。いつだって先陣を切って闘志を剥き出しにしていた彼は、林飛帆(リン・フェイファン)と共にひまわり運動のリーダーになった。
 蔡博芸は中国の湖州出身、高校時代に民主や自由について漠然としたイメージを持ち、政治のあり方に関心を持つようになった。台湾で学生運動に参加し、文章を通してふるさとの人々に"民主"が台湾でどのように行われているか伝えたいと書いたブログが話題だ。大陸の両親からは毎日のように、お怒りの電話がかかってくるが、自分の意思は曲げず、著作は大陸でも刊行される人気ぶりだ。運動に参加する中で、「台湾人」「中国人」という言葉が叫ばれ、傷つきながらも台湾で出会った"民主主義"を彼女なりに貫こうともがいていく。
 ひまわり運動を経て、立法院補欠選挙に出馬した為廷は過去のスキャンダルで撤退を表明。大学自治会選に出馬した博芸は国籍を理由に不当な扱いを受け、正当な選挙すら出来ず「おままごと」のような選挙で敗北する。彼らの理想は実現するものだと信じていたが、しだいに失望の谷底へと落ちてゆく。そして私は期待していた未来をなにも描けないまま、彼らを記録したテープだけが手元に残った。私はなにを期待したのか、私はなにを描きたかったのか、そして私たちはともに進み続けることはできるのだろうか-
 これは台湾という息吹の中で、ともに未来を描き、迷い、空っぽになり、ともに理想求めもがく、私たちの青春の物語なのかもしれない。

 前半は、ひまわり運動をリアルタイムで描きます。2014年春、与党・国民党が中国との「サービス貿易協定」を立法院(国会)の内政委員会で審議終了・本会議送付を強行したことをきっかけに起きた学生・市民運動です。3月18日、説明責任を果たしていないと抗議した学生たちが立法院本会議場に突入して、議場を占拠。周辺をとりまく学生や市民のデモ隊と力を合わせながら、激しく、かつ平和的に抗議を続けます。そして「両岸(中台)協議監督法令制定前にサービス貿易協定審議についての政党間協議を招集しない」との王金平立法院長の調停を引き出して、4月10日に議場を退去、運動は収束しました。なお「ひまわり運動」という用語は、デモ参加者たちがひまわりを「希望」のシンボルとして使っていたことに端を発し、運動中に、台湾の花屋が立法院の建物の外にいる学生たちに1000本のひまわりを寄贈したことで広まったそうです。

 政治に積極的に関わり、より良い社会を築こうとする学生たちの映像に心が震えました。ビラを配り、演説をし、警察官と小競り合い、議場に突入するエネルギッシュな姿を、カメラは余すところなくとらえます。なかでも一番印象的だったのが、リーダーである陳為廷の屈託のない子どものような笑顔。何度も見惚れ、つられて口角が緩んでしまうような素敵な笑顔でした。
 なおこの占拠は無鉄砲で場当たり的なものではなく、緻密な戦略に支えられていたことが、プログラム所収の「台湾、民主化の歩み」を読んでわかりました。

 国会が学生に占拠されることは前代未聞の出来事であり、占拠直後から多くの台湾世論の支持を集め、支持者の座り込みで立法院周辺の街頭は埋まった。これらの座り込みは警察による学生の強制排除の阻止になると共に、議場内外の連絡と補給のハブとしての機能を持ち、学生の孤立化を防いだ。一方、議場内の学生たちは法学、医学から情報、歴史、美術に至るまで、それぞれの専門を生かした役割分担に基づき組織的に活動し、行為の事由を台湾内外に発信した。ひまわり運動の組織力については、支援する側はもちろん、批判的な既存メディアも認めていた。議場内には翻訳部も設けられ、占拠1週間後には英語、ロシア語をはじめ10か国語に対応し、議場内から全世界に向けての情報発信、取材対応を行っていたのも、特筆すべき特徴である。

 しかし映画は別の側面も伝えています。作戦を練るために果てしなく続く、しかもトップダウンで決定をするためにリーダー以外は参加できない透明性のない会議の連続に辟易して、陳為廷は「政府以下だ…」と吐き捨てるようにつぶやきます。

 そして後半は一転して暗い雰囲気となります。あらすじにもあるように、ひまわり運動を経て、立法院補欠選挙に出馬した陳為廷は過去のスキャンダルで撤退を表明します。映画では詳しく描いていませんが、複雑な家庭事情が関係しているように感じました。前半で、彼の母に何か言及した警官に対して、彼が凄まじい怒りを爆発させる場面がありました。
 また大学自治会選に出馬した蔡博芸は国籍を理由に不当な扱いを受け、正当な選挙すら出来ずに敗北します。中国政府が加える不断の圧力に反発する台湾人。そのため、中国人を十把ひとからげにして憎悪し侮蔑する状況がよくわかりました。学生運動も、そうした謂れのない差別意識から無縁ではなかったのですね。

 最後の場面では、監督である傅楡がカメラを自らに向けて自問します。自分は、陳為廷をヒーローとして神格化して、考えることも行動することも彼に任せきりにしたのではないか、と。彼の人間としての弱さや欠点に目を閉ざしていたのではないか、と。
 プログラムに掲載されていた彼女のメッセージです。

 私は台湾人です。この小さな島の市民として、多くの台湾人と同じように、自分の国をより多くの人に見てもらいたいと願っています。しかし、大国の脅威に対する憂慮から、台湾人は中国人に対して私自身の許容範囲を超えたレベルの敵対意識を持ってしまっています。私がずっとドキュメンタリーの題材として関心を持って求めてきたのは、敵対せざるを得ない両極の人たちに最大公約数が存在するのか、つまり相手を理解することを試み、更に進んで協力関係が生まれる可能性があるのかということです。
 この作品の撮影を通じて、私は幸いにも蔡博芸と陳為廷の二人と深くつき合う機会を得ることができ、この二人がお互いの国家と民主について理解を深めていく過程を通じて、台湾海峡両岸の市民間における相互理解の可能性と、どのようにしても協力することが難しい政治の現実とに気づくことができました。しかし、更に重要なことは、彼らが単なる「中国人」や「台湾人」「大陸生まれ」「学生運動リーダー」ではなく、自由な意志を持つと同時に極めて弱く、血の通った一個人であることに気づいた点です。一見すると私たちと異なっていて敵対勢力のようにも見える人たちについて、観客の皆さんがこの作品のような視点から理解を深めたいと思うようになって頂ければ幸いです。

 「ひまわり運動」という民主化運動を平面的に称揚するだけではなく、運動の影の面にも目を向けた、奥行きと深みのある素晴らしい映画でした。お薦めです。

 とはいえ、さまざまな欠点を有しながらも、民主化を求めて闘った台湾の学生や市民の姿には圧倒されました。プログラム所収の「台湾、民主化の歩み」によると、2014年には反原発デモによって完成間近の第四原発を封印させるなど、市民が政治に声をあげる力強い「公民運動」が、台湾には息づいているようです。
 台湾の「ひまわり運動」といい、韓国のキャンドル革命を含む民主化運動といい、香港の雨傘運動といい、東アジアにおいて活発な、学生や市民の民主化を求める闘いにあらためて敬意を表します。また日本でも、こうした運動が徐々に勃興していることに希望を抱きます。
 ただまだ力量が不足していることは、残念ながら認めざるを得ません。香港の状況は分かりませんが、台湾や韓国でコロナ・ウイルス禍をある程度抑え込めているのは、こうした運動の賜物ではないでしょうか。政府が市民の生命・健康・生活を蔑ろにすれば、こうした激しい運動に直面する、あるいは政権交代に追いこまれる。つまり、台湾や韓国の政府は市民を怖れている。一方、コロナ・ウイルス禍に対して、目も当てられないほど無策・無能な日本の政府。結局、日本政府の皆々様方は、どんなに無策・無能であっても、日本の市民は闘わず、選挙にも行かず、「鬼滅の刃」に現を抜かし、「嵐」の解散に涙を流し、スマートフォンのゲームとSNSで憂世を忘れ、菅内閣を支持してくれると知悉しているのではないでしょうか。一言でいえば、市民を怖れておらず、舐めている。
 どうしたら、私たちの存在をして政府に怖れさせることができるのか。そのヒントとして、さきほど読み終えたガブリエル・ガルシア=マルケスの講演集『ぼくはスピーチをするために来たのではありません』(新潮社)から引用します。

 新しい世紀はすでに出来上がったものとして訪れてくるのではなく、われわれが自分のあるべき姿としてイメージするものに合わせてあなた方が作り出すようにと待ち受けています。そして、あなた方がそのように思い描けばその通りの、平和で、われわれ自身のものである世界になることでしょう。(p.155)

 民衆の知恵が新しい道を切り開くとしても、家の戸口に腰を下ろして知恵の訪れを待つのではなく、通りの真中に出ていかなくてはなりません。(p.162)

by sabasaba13 | 2020-11-20 06:17 | 映画 | Comments(0)
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