午前十時ころに余市駅前十字街に到着、すこし歩くと重厚な石の門が姿を現します。そう、ニッカウヰスキー余市蒸留所です。「ウィキペディア」を参考にして、紹介しましょう。1934(昭和9)年、寿屋(現サントリー)を退社した竹鶴政孝(マッサン)は、かねてからウイスキーづくりの適地としていた北海道での工場建設を実現しようとしていました。彼が目指したのはスコッチ・ウイスキーであり、ハイランドの蒸溜所と同じように力強くしっかりとした味わいのモルト(麦芽)原酒をつくることでした。北海道には原料や燃料となる大麦、石炭、ピート(泥炭)、酵母の入手が容易で、寒冷地の気候に加えて良質な水や樽に必要な木材も豊富にあるため、ウイスキーづくりに必要な条件が揃っていたのですね。そして蒸留所をつくるために選んだのがここ余市です。余市は三方を山に囲まれて北には日本海があり、適度な湿度を持ちながらも澄んだ空気や余市川の良質な水があるなどの諸条件を満たしていました。また果汁の原料となるリンゴの産地であることも工場建設の決め手になりました。ウイスキーが熟成するには長い年月を必要とするため、まずはリンゴジュースをつくってウイスキーづくりを支えようと考えたのですね。こうして「大日本果汁株式会社」を設立しました。"日本果汁"、ニッカの誕生です。1935(昭和10)年の冬、ウイスキーを蒸溜するためのポットスチル(単式蒸溜器)が届き、翌年から製造を始めました。そして1940(昭和15)年に第1号「ニッカウヰスキー」が発売されることになりました。おしまい。
それでは見学を始めましょう。正門を入ると、幅の広い直線の道が彼方へと続き、その両側に石造りの重厚な建物群が連なっています。フォトジェニックな光景に眼を奪われました。そして何といっても、あの悪魔の機械、
自動車が我が物顔に走っていません。そう、道は人間のもの、断じて車のものではありません。
![函館・札幌編(31):余市(15.9)_c0051620_8324025.jpg](https://pds.exblog.jp/pds/1/201810/07/20/c0051620_8324025.jpg)
すぐ右手にあるのが、乾燥棟(キルン塔)です。屋根に特徴がありますが、これは仏塔に似ているので「パゴダ屋根」と呼ばれるそうです。ここでは、ピート(草炭)で大麦をいぶしながら乾燥させ、発芽を止めて、大麦麦芽(モルト)がつくる作業が行なわれています。この作業は、ウイスキーにピート香(スモーキー・フレーバー)を染み込ませるためにも大切なプロセスだそうです。なお大麦を効率よく乾燥させるために、この「パゴダ塔」を考案したチャールズ・ドイグについての逸話が、「バランタイン」のHPに掲載されている「
稲富博士のスコッチノート」で紹介されています。彼も、マッサンと同じく、"Unsung hero"(隠れた貢献者)のひとりです。