言葉の花綵152 : 散歩の変人

言葉の花綵152

 金持ちどもが戦争をするとき、死んでいくのは貧乏人なのだ。(『悪魔と神』 ジャン・ポール・サルトル)

 戦争とは、たえまなく血が流れ出ることだ。そのながれた血が、むなしく 地についこまれてしまふことだ。…瓦を作るように型にはめて、人間を戦力としておくりだすことだ。…十九の子供も 五十の父親も 一つの命令に服従して、左をむき 右をむき 一つの標的にひき金をひく。敵の父親や 敵の子供については 考へる必要は毛頭ない。それは、敵なのだから。(『戦争』 金子光晴)

 たった一つのローソクなどと考えてはなりません。すべての人が自分のローソクに火を灯せば、真っ暗な夜を明るい昼に変えることができるのです。(オグ・マンディーノ)

 戦争は決して地震や津波のような天変地異ではない。(石川啄木)

 人間の特性である「考える」という作業を、軍隊生活では必要としない。(枡田幸三)

 いまの戦争が、単に少数階級を利するだけで、一般国民の平和をかきみだし、幸福を損傷し、進歩を阻害する。きわめて悲惨な事実である…。しかも事がここにいたったのは、野心ある政治家がこれを唱え、功を急ぐ軍人がこれを喜び、ずるがしこい投機師がこれに賛成し、そのうえ多くの新聞記者がこれに付和雷同し、競争で無邪気な一般国民を扇動教唆したためではないのか。(幸徳秋水 『平民新聞』 1904.3.27)

 放っておけば富む者はさらに富み、貧困者はますます貧困になるのは自然なことで、それを是正するために国が機能するという精神が、この国にはないということだ。(高村薫)

 異国の者にも同国の者にも、分けへだてなく、正しい裁きを下し、正義の道を踏み外さぬ者たちの国は栄え、その国の民も花開くごとくさきわうものじゃ。国土には若者を育てる「平和」の気が満ち、遥かにみはるかすゼウスも、この国には、苦難に満ちた戦争を起こさせようとは決してなさらぬ。(ヘシオドス 『仕事と日』)

 一度戦争が起これば問題はもはや正邪曲直善悪の争いではなく、徹頭徹尾、力の争い、強弱の争いであって、八紘一宇とか東洋永遠の平和とか、聖戦だとかいってみても、それはことごとく空虚な偽善である。(斎藤隆夫)

 平和より戦争をえらぶほど無分別な人間がどこにおりましょうや。平和の時には子が父の葬いをする。しかし戦いとなれば、父が子を葬らねばならぬのじゃ。(ヘロドトス 『歴史』)
by sabasaba13 | 2017-01-20 06:25 | 言葉の花綵 | Comments(0)
<< 虐殺行脚 千葉編(1):茂原へ... 虐殺行脚 神奈川編(9):結語... >>