そして「GIFT SHOP」によって、
ご当地Tシャツを二枚購入しました。一枚は国連マーク入りのもの、もう一枚は"LOVE NUCLEAR WEAPONS ?"という言葉と、ガスマスクをつけてキスをするカップルが描かれたものです。
パレ・デ・ナシオンから退出し、市電に乗ってコルナヴァン駅へ。
Aさんとは19:30にホテルのロビーで落ち合い一緒に夕食を食べましょうと約束。われわれは少しジュネーヴの町を散策することにしました。モン・ブラン通りを歩いていると、ケバブ屋がけっこうありましたが、さすがに夕食はケバブというわけにはいきません。銅像のようなパフォーマーも見かけました。
レマン湖に出て、勢いよく水を噴き出している高さ140mの大噴水(Jet d'Eau)を撮影。シャモニーへ方面への道路標識もありましたが、いつか行ってみたいものですね。モン・ブラン橋を渡れば旧市街ですが、これは明日のお楽しみとしてホテルの部屋に戻りました。
そうそう申し遅れましたが、部屋にあった椅子はル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレ、シャルロット・ペリアンが共同で設計した「スリング・チェア (Sling Chair)」でした。窓からはノートルダム聖堂がよく見えます。
ベッドで一寝入りして午後七時半にロビーへ。Aさんと落ち合ってホテル近くのイタリア料理店に行き、サラダとパスタをいただきました。
明日は一緒にモントルー近辺を徘徊するということで話しがまとまり、天気が良いことを祈念してワインで乾杯。部屋に戻ると、聖堂がきれいにライトアップされていました。
本日の二枚です。
付記。最近読み終えた『秘密のファイル CIAの対日工作』(上下)(春名幹男 共同通信社)の中にあった下記の一文にびっくらこきました。
(※笹川良一は)国連に多額の金を寄付、個人としては最大の貢献をした。世界保健機関(WHO)への寄付額も多く、天然痘撲滅事業に貢献したとして、国連欧州本部に笹川の銅像が立っている。
笹川はこうした貢献を評価されて、1982年、国連平和賞を受賞した。(上p.288)
同書によると、戦争責任は東条英機らに負わせ、その裏で、児玉誉士夫、笹川良一らA級戦犯容疑者を釈放して、情報活動に利用するというアメリカ情報当局の裏工作の痕跡が、児玉ファイルに残されているそうです。(上p.257~8) 植民地占領政権(アメリカ合州国)の手先、変節漢、現実主義者、ファシスト、植民地主義者、笹川良一については
以前に詳しく書いたことがあるので、よろしければご照覧ください。ま、「金は匂わない」ということですかね。パレ・デ・ナシオンに屹立する氏の銅像、ぜひ見てみたかったなあ。