円谷幸吉に関して、もう一冊紹介したい本があります。それは芸術新潮の2000年12月号、創刊五十周年記念の特集、『世紀の遺書』。1968 (昭和43)年1月9日、彼は自衛隊体育学校宿舎の自室にて、カミソリで頚動脈を切って自殺しました。享年27歳。その哀切きわまりない血染めの遺書を撮影して掲載したものです。
父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、
裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、
立派な人になってください。
父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。
ご馳走になった食べ物の列記と、マントラのように繰り返される「美味しうございました」という言葉に、彼の生に対する執着を感じます。その華奢で神経質そうな文字も印象的でした。それにしても、"疲れ切ってしまって走れ"なくなった長距離ランナーに、「もう走らなくてもいいよ」と言ってあげる人はいなかったのですね。その一言で救われたかもしれないのに。
なお体育学校校長など、自衛隊の関係者への遺書も掲載されています。
校長先生、済みません。
高長課長、何もなし得ませんでした。
宮下教官、御厄介お掛け通しで済みません。
企画室長、お約束守れず相済みません。
メキシコオリンピックの御成功を祈り上げます。
一九六八.一.
親族に対しては「申し訳ありません」、自衛隊関係者に対しては「済みません」、普通は逆だと思うのですが。じゃりっとした異物感を感じます。東京オリンピックで銅メダルを獲得しながらも、「何もなし得ませんでした」と自虐的な言葉を遺書に書き残した彼。その思いは奈辺にあったのでしょう。婚約を破棄させ、円谷が信頼するコーチを左遷してまで、金メダル獲得をなさせようとする自衛隊という冷厳な組織へのひそやかな抗議…と見るのは深読みしすぎでしょうか。
そしてある意味、遺書よりも強烈な印象を受けたのが、彼が書いた扁額「忍耐」という書です。 書家の石川九楊氏が、次のようなコメントを語られています。
それにしても、扁額の「忍耐」という書は痛々しい。一生懸命書いていますが、テンやハネなどたどたどしくて、初めて筆を持った人の書という感じです。周囲がまつり上げて、一筆書かせたんでしょう。スポーツ選手が国家の名誉を負わされていた時代の重圧が、ひしひしと感じられます。(p.19)
彼の人生を思い起こしながらこの扁額を見つめると、紙の白地が、切ないまでに弱々しく痛々しい彼の書を取り囲み、圧迫し、押し潰そうとしているように見えてきます。組織の栄誉と利権のために彼を追い詰めた自衛隊の重圧、そしてその背後に大きく拡がる多くの日本人の過重な期待を象徴しているかのようです。それにしても、日本人が世界的に活躍すると自分も偉くなった気になって祭り上げ、旬が過ぎたり下手を打ったりすると祭り下げ祭り棄てるmentality、何とかならぬものでしょうか。四の五の言う前に自分でやれよ、と言いたいですね。
なお本書は、他にも秀吉に
利休、赤穂義士、藤村操、乃木希典と静子、芥川龍之介、日航機事故犠牲者、本居宣長、永井荷風、
森鴎外、
太宰治、
北一輝、松井須磨子、平塚らいてう、宇野千代、
武満徹、
田村隆一、黒澤明、手塚治虫、
正岡子規、
寺山修司、澁澤龍彦、
竹久夢二などの遺書がおさめられています。メメント・モリ。