散歩の変人

琵琶湖疏水船編(12):天授庵・永観堂(18.11)

 そして南禅寺の塔頭、天授庵へ行って紅葉狩り。
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 風が出てきたのか、はらはらと舞い散るも紅葉がきれいでした。


 まだ時間があるので永観堂へ行きましょう。途中にある馴染の喫茶店「サンタムール」で珈琲と卵サンドをいただき、永観堂へ。
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 さすがは紅葉の名所、多くの観光客でごった返していました。そろそろ集合時刻ですので駆け足で紅葉狩り。
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 そして急いて集合場所、南禅寺のトイレ前へ。少し遅刻してしまいました、添乗員さん、ごめんなさい。バスに乗り込んで三井寺に到着、ここで下車して乗下船場まで徒歩で移動。こちらにあるホールで紹介VTRを視聴し、ガイドさんによるレクチャーを受けます。なおガイドさんのお名前は、吉川と書いてトム・クルーズと読むそうです。ツルッ、滑りましたよ。そして救命具をつけベンチコートを着て、さあ琵琶湖疏水船に乗船です。
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# by sabasaba13 | 2025-03-07 08:28 | 京都 | Comments(0)

琵琶湖疏水船編(11):国際交流会館(18.11)

 さて昨日食べ残した天むすを持ってきたのでどこかで食べましょう。先ほどガイドさんから、近くにある国際交流会館は誰でも利用できるという話を聞きました。よろしい、行ってみましょう。館内に入ると、空いているし、トイレもきれいだし、持ち込んだ食べ物も食べられるし、喫煙所もあるし、もう最高。オーバーツーリズムの京都では、小休止の超穴場です。
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 なおガイドさん曰く、植治の庭があるとのこと、受付で訊ねると、植治ゆかりの職人の手になるものでした。ガラス越しに鑑賞。無風で暖かいので外のテーブルで天むすをいただきました。
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 国際交流会館のとなりには、1891(明治24)年以来現役で稼働している蹴上水力発電所があります。残念ながら生い茂った樹木でよく見えないのですが。
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 こうした中小の水力発電所は再生エネルギーとしてもっと注目されるべきだと思います。『週刊金曜日』(№1374 22.4.22)から引用します。

歯科医師・武田恵世氏に聞く もうけのための省エネではエネルギー問題は解決しない

 私が再エネを検討する際は、①化石燃料の消費量を削減できるか、②自然環境に優しいか、③人間生活に悪影響はないか、④利益は得られるか、⑤将来性はあるか、⑥成功例はあるか、といった六つの視点から考えます。
 これにのっとると、まずは地熱発電が良いと思います。地中を深く掘ると安定した熱が得られることはわかっています。蒸留水を循環させる形でやれば、発電量も安定します。
 あとは中小水力発電です。ダムを建設するような必要はないと思います。明治時代にできた水力発電所で、京都の蹴上発電所は、まだ動いています。
 もちろん発電機は変えていますが、基本的構造はが明治から変わらないんです。電気は需要によって発電量を変えないといけないんですが、水力はそれが簡単にできます。
 そもそも、高度経済成長で人口が増え、電気の需要は増えました。しかし現在、日本の人口は減り、電力消費量も減っています。電気の需要は減り続けるのです。そこに風力発電やメガソーラー、原発等の再稼働を続け、「いったい誰がそんなに電気を使うのか」と、疑問を抱かざるを得ません。(p.27)

# by sabasaba13 | 2025-03-06 08:59 | 京都 | Comments(0)

バーセル・アドラー/ユバル・アブラハーム監督のスピーチ

 2025年のアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を受賞した『ノー・アザー・ランド 故郷は他にない』バーセル・アドラー監督とユバル・アブラハーム監督のスピーチが「映画.com」に掲載されていたので、ぜひ紹介します。

バーセル・アドラー監督
 アカデミーの皆さん、この賞をありがとうございます。このドキュメンタリーを支えてくださった皆さんにとって、そして私たち4人にとって、大きな名誉です。
 約2か月前、私は父になりました。私の娘が、私が今生きているような人生を送らなくても済むことを願っています。常に自己監視を感じ、家が破壊され、森に追いやられる―そんな日々を、私のコミュニティであるマサーフェル・ヤッタの人々は、イスラエルの占領下で毎日耐え続けています。
 どの土地よりも、この地こそが、私たちが何十年にもわたって経験し、今もなお耐え続けている厳しい現実を映し出しています。私たちは世界に訴えます。この不正義を止めるために、パレスチナ人の民族浄化を止めるために、真剣な行動を取ってください。

ユバル・アブラハーム監督
 私たちはこの映画を、パレスチナ人とイスラエル人がともにつくりました。なぜなら、私たちは一緒になることで、より強い声を持つことができるからです。私たちは理解しあっています。ガザの恐ろしい破壊、そしてその人々の苦しみは、終わらなければならない。10月7日の犯罪によって残忍に囚われたイスラエル人の人質たちは、解放されなければならない。
 私がバーセルを見るとき、私は兄弟を見る。しかし、私たちは平等ではありません。私は自由で、市民法の下で生きています。しかし、バーセルは軍法のもとで生き、彼の人生を破壊するシステムの中にいて、自分の運命をコントロールすることができません。違う道はあります。民族的優位性のない政治的解決策があり、双方の人々の国家的権利が尊重される道があるのです。
 そして、今ここで言わなければなりません。この国の外交政策が、この解決への道を阻んでいます。なぜでしょう? 私たちが深く結びついていることが、なぜ見えないのでしょうか? 私の人々が本当に安全になるのは、バーセルたちが本当に自由で安全になったときだけなのです。別の道があります。人々が生きるために、まだ間に合います。ほかに道はないのです。

 この映画が描いたパレスチナ問題の本質とは何か。岡真理氏の言を借りれば、下記の通りです。『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』(岡真理 大和書房)から引用します。

 ユダヤ国家の建国は、レイシズムに基づく植民地主義的な侵略であるということ、そして、パレスチナ人を民族浄化することによって、ユダヤ人によるユダヤ人のためのユダヤ人至上主義国家がパレスチナに創られたということです。その暴力は建国以来、現在に至るまでずっと継続しています。(p.69)

 バーセル・アドラー監督は全体として抑制した表現ながらも、「占領」「不正義」「民族浄化」という言葉を使って現状を批判し、世界に対して行動を起こすよう促しています。
 ユバル・アブラハーム監督も、「民族的優位性のない政治的解決策」(=アパルトヘイトの廃絶)や「双方の人々の国家的権利」(=パレスチナ国家の独立)という表現で、イスラエルの政策を批判しています。また彼は、莫大な軍事援助を行なってイスラエルを支えるアメリカ外交の批判にまで及んでいます。
 舞台はアメリカ、そして世界の耳目を集めるアカデミー賞授賞式で、こうした批判やアピールを行なった二人の勇気と胆力に心から敬意を表します。あらゆる機会を利用し、あらゆる手段を尽くして、この問題に世界の関心を集め、一刻でも早い解決につなげたいという真摯な思いを見せてもらいました。次は、その思いに私たちがどう応えるかです。
 なおアカデミー賞を政治的に利用すべきではないという考えの方もおられるかと思います。しかし政治を"価値の分配"ととらえるならば、価値を手にするために人為を尽くすのは当然だと考えます。儀保昇氏の言を支持します。

 政治的でないことが世の中にあるなら教えてほしい。全部政治的です。つまり、モノを言わないことが政治的なんですよ、十分に。

# by sabasaba13 | 2025-03-05 08:11 | 映画 | Comments(0)

『ノー・アザー・ランド』

 ガザでのジェノサイド、そしてヨルダン川西岸でのアパルトヘイト、イスラエル政府・軍・入植者によって行われている数々の戦争犯罪や国際法違反、そして非人道的な行為をどうしたらやめさせられるのか。己の微力さを恥入るとともに、せめてその歴史や経緯、そして現状について、できるだけ知り、関心を持ち続けたいと思います。そのヨルダン川西岸におけるイスラエルの蛮行と、イスラエル人青年の協力を得ながらそれを記録し続けた/続けるパレスチナ人青年を取り上げた映画『ノー・アザー・ランド』が上映されています。これはぜひとも観たい映画でした。公式サイトから紹介文を転記します。

 パレスチナとイスラエル―立場を越えて手を取り合う。ふたりの若きジャーナリストに、世界中が声援と喝采!! イスラエル軍による破壊行為と占領が今まさに進行している、ヨルダン川西岸のパレスチナ人居住地区<マサーフェル・ヤッタ>。本作は、この現状をカメラに収め世界に発信することで占領を終結させ故郷の村を守ろうとするパレスチナ人青年バーセル・アドラーと、彼に協力しようとその地にやってきたイスラエル人青年ユヴァル・アブラハームの2人による決死の活動を、2023年10月までの4年間に渡り記録したドキュメンタリーだ。
 監督は、彼ら自身を含むパレスチナ人2人・イスラエル人2人による若き映像作家兼活動家の4人。「イスラエル人とパレスチナ人が、抑圧する側とされる側ではなく、本当の平等の中で生きる道を問いかけたい」という彼らの強い意志のもと危険を顧みず製作された。
 スマートフォンや手持ちカメラを使用した、そこで暮らす当事者だからこそ捉えることのできた至近距離からの緊迫の映像で、住民たちが家や小学校、ライフラインを目の前で破壊され強制的に追放されていく、あまりに不条理なパレスチナの現実をあぶりだしていく。しかし、本作が映し出すのはその惨状だけではない。バーセルとユヴァルという同じ年齢の青年2人が、共に過ごし対話を重ねることで、政治的背景や立場を越えて"命がけの友情"が生まれる奇跡的な瞬間だ。彼らの姿は、「どうしたら人は分かり合えるのか?」という問いへの一筋の希望を、私たちに与えてくれるに違いない。
 今年2月のベルリン国際映画祭では最も大きな盛り上がりを見せた1作となり、上映後に観客席から割れんばかりの拍手が沸き起こるとともに、パレスチナへの連帯を示す声が瞬く間に重なっていき大合唱へと発展した。
 見事に最優秀ドキュメンタリー賞&観客賞をW受賞し、バーセルとユヴァルが揃って登壇した受賞スピーチは同映画祭のハイライトとして大きな話題を集めるも、イスラエル擁護の姿勢を示すベルリン市長などからの激しい非難にさらされた。今なお世界中で大きな論争が続いているが、監督たちは精力的に活動を続けている。

STORYストーリー
 ヨルダン川西岸地区のマサーフェル・ヤッタで生まれ育ったパレスチナ人の青年バーセルは、イスラエル軍の占領が進み、村人たちの家々が壊されていく故郷の様子を幼い頃からカメラに記録し、世界に発信していた。そんな彼のもとにイスラエル人ジャーナリスト、ユヴァルが訪れる。非人道的で暴力的な自国政府の行いに心を痛めていた彼は、バーセルの活動に協力しようと、危険を冒してこの村にやってきたのだった。
 同じ想いで行動を共にし、少しずつ互いの境遇や気持ちを語り合ううちに、同じ年齢である2人の間には思いがけず友情が芽生えていく。しかしその間にも、軍の破壊行為は過激さを増し、彼らがカメラに収める映像にも、徐々に痛ましい犠牲者の姿が増えていくのだった―。

 なお鑑賞後に購入したプログラムに掲載されていた四人の監督による声明も紹介します。

監督声明
バーセル・アドラー/ハムダーン・バラール/ユヴァル・アブラハーム/ラヘル・ショール
 私たちはパレスチナ人とイスラエル人の、映画作家であり活動家でもある4人組です。本作を共同制作した理由は、マサーフェル・ヤッタで今まさに進行しているパレスチナ人の強制追放を阻止し、現代にもはびこるアパルトヘイトの現実に、壁の両方から、不平等を映し出すことによって抵抗したいからです。私たちを取り巻く現実は日に日に恐ろしく、暴力的になり、マサーフェル・ヤッタの人々は、弱く小さな存在へと追いやられています。私たちができることは、叫び声をあげることだけです。本作の核心にあるものは、イスラエル人とパレスチナ人が、この地で、抑圧する側とされる側ではなく、本当の平等の中で生きる道を問いかけることです。
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 先日、山ノ神とともにシネ・リーブル池袋に行って本作を観てきました。

 この映画を観る上で、大前提となることを確認しておきましょう。これを認識しなければ、この映画のメッセージを理解することはできません。『中学生から知りたいパレスチナのこと』(岡真理・小山哲・藤原辰史 ミシマ社)から引用します。

ヨーロッパ問題としてのパレスチナ問題 -ガザのジェノサイドと近代五百年の植民地主義 岡真理

 まず、今、ガザで起きていることは、入植者植民地主義によって建国され、ユダヤ人至上主義体制を維持するためにアパルトヘイトを敷いている国家に対して、民族浄化され、アパルトヘイトの体制下で抑圧される先住民が、解放を求めて抵抗している脱植民地化の闘いであること(したがって、10月7日のハマスによる攻撃は、歴史的には、ヴェトナム戦争におけるテト攻勢と類比されるべきものです)。そして、イスラエルがガザのパレスチナ人に対して行使している暴力は、…日本も含め、世界の植民地主義国家がその植民地支配の過程において、自由や独立を求める被植民者の抵抗に対して歴史的に行使してきた殲滅の暴力であるということ。
 また、ガザに対するジェノサイドと並行して、ヨルダン川西岸地区に対しても今、第二次インティファーダ(2000年9月から2005年2月までつづいた、イスラエルの占領に抗する被占領下の住民による一斉蜂起。戦闘員・民間人あわせて3000人以上が殺された)の時期を上回る規模の攻撃が起きています。これも、イスラエル国家とそのナショナル・イデオロギーであるシオニズムそのものの企図-ヨルダン川から地中海にいたる全土をシオニストが占有し、そこにいるパレスチナ人を民族浄化する-が実践されているのだということ。(p.30~1)

 そうです。民族浄化(ethnic cleansing)、つまりヨルダン川西岸およびガザに住むパレスチナ人を殲滅あるいは移住させ、その両地をイスラエル国家が占有しようとしているのです。"other land"へ出て行け、ということですね。そのために熾烈で非人道的な攻撃を加え、あるいは土地を奪い家や生活インフラを破壊して「生存不可能」な状態にしてします。それに対してパレスチナ人は"no other land"、故郷は他にない、と抵抗を続けています。
 このイスラエル軍とユダヤ人入植者による蛮行をテーマとしたのが本作です。軍事訓練場建設を口実に、イスラエル軍兵士とユダヤ人入植者がマサーフェル・ヤッタという村にやってきて、村人を追い出し、ブルドーザーで家々を容赦なく破壊する。再建できないように大工道具を奪う。村人が、子どもたちのために自力で建てた小学校を破砕する。わが目を疑ったのは、ミキサー車を出動させて、コンクリートで井戸を埋めてしまう場面です。そこまでするのか、「死ね」ということか… 突然家を壊された住民は洞窟に避難するしかありません。
 しかしバーセル・アドラーは、この理不尽な脅迫と破壊に対して、ひるまずに敢然と立ち向かいます…カメラという武器をもって。『週刊金曜日』(№1509 25.2.21)掲載のインタビューで彼はこう言っています。

 占領の暴力に対して、カメラはパレスチナ人が持てる唯一の武器です。(p.20~1)

 また先述の監督声明で、四人はこう言っていました。

 私たちができることは、叫び声をあげることだけです。

 イスラエル兵と入植者の非法かつ非人間的な行為を記録し、"叫び"として世界に発信し、助けをもとめる。
 イスラエル軍がやってくると、バーセルはカメラを持って、その蛮行を記録するために飛び出していきます。「撮るな」「逮捕するぞ」とくってかかる兵士、それを至近距離で撮影するバーセル。スマートフォンとハンディカメラで撮っているので、手振れも激しいのですがかえって迫真の画像として迫ってきます。まるで自分がその場にいて、兵士に脅かされているような気持ちになります。
 あるシーンでは、武器を持った入植者に抗議した従兄弟のザッカリーヤ・アドラー突然撃たれてしまいます。プログラムに載っていたバーセルの話によると、その日は検問が閉められていたので救急車を呼べず、タオルで止血をしながら友人の車でクリニックに運んだそうです。警察に訴えるために、体をひきずったザッカリーヤと共に署へと行くと、警察は「どうせお前が(入植者に)石を投げたんだろう」と言いがかりをつけられ、バーセルが取り調べを受け、最後には1000シェケル(約44000円)払えば解放してくれると言われ、払わざるをえなかったそうです。
 絶望的な状況に項垂れ落ち込むバーセル、彼に寄り添うように励まし、話しを聞き、撮影に協力するユダヤ人のユヴァル・アブラハーム。この映画における、ほんの僅かな、でも確固とした救いであり希望です。

 イスラエル兵と入植者によるアパルトヘイト、それに押し潰されながらも抗うパレスチナの人びと、ヨルダン川西岸とガザで今起きていることをリアルに伝え感じさせ考えさせてくれる必見の映画です。微力な私ですが、決してこのことを忘れず関心を持ち続けたいと思います。
 そして監督のもう一つのメッセージが、こうした事態に無関心で、手を拱き、傍観している世界への憤怒です。人権は、正義は、なぜここにはないのか、責任は感じないのか、と。その一員として深く恥じ入るとともに、「自由」だの「民主主義」だの「法治」だの、偉そうなことをぬかしている各国の首脳への怒りを共有したいと思います。
 最後に。土地を奪い家や学校を壊し井戸を埋める、そうした非人間的な行為を、なぜイスラエル兵や入植者たちは平然とできるのでしょうか。『ガザに地下鉄が走る日』(岡真理 みすず書房)の中で、人間性という言葉が意味するものとは何ですかと問われたムハンマド・マンスール医師は、「他者の痛みを知る力です」と答えます。なぜ彼らは人間性を喪失してしまったのか? 命令への無批判な服従なのか、同調圧力なのか、差別意識なのか、憎悪なのか。自分が人間性を喪失しないためにも考え続けていきたいと思います。

 追記です。本作は2024年ベルリン国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞と観客賞を受賞しましたが、その時のスピーチがプログラムに載っていたのでぜひ紹介します。

バーセル・アドラー
 これは私たちの最初の映画で、何年も前からコミュニティーと家族が残忍な占領によって消されていく、私たちの村を撮影した記録です。受賞は嬉しく思いますが、ガザで何万人もの人々がイスラエル軍により虐殺されているこの状況で、私はこれを祝うことができません。私の故郷マサーフェル・ヤッタもブルドーザーで破壊され続けています。ドイツの皆さん、ここベルリンにいる皆さんにお願いです。国連の協定を守り、イスラエルへの武器提供を止めてください。

ユヴァル・アブラハーム
 いま皆さんの目の前に立っている私たちは同じ年齢で、私はイスラエル人、彼はパレスチナ人です。そして2日後に国に帰ったら、そこでの私たちは平等ではなくなります。私は民法の下で、バーセルは軍法の下で暮らしています。私たちの家は30分しか離れていません。私には投票権がありますが、バーセルにはありません。私にはどこへでも行ける自由がありますが、バーセルは他の何百万ものパレスチナ人と同様、占領下のヨルダン川西岸地区に閉じ込められています。私たちの間にあるこのアパルトヘイトの状況、この不平等は終わらせなければなりません。私たちが問うのは、占領を終わらせ、政治的解決を達成するためにどう変わっていくべきかということです。今は答えがないかもしれませんが、人々のために立ち上がることがそのひとつだと思います。ここにいる皆さんにはそのその力があります。政治家や影響力のある方々がたくさんいます。停戦を呼びかける必要があります。占領を終結させ、政治的解決に向かうために声を上げなければなりません。(p.5)

 そしてこのスピーチに対するドイツの政治家の反応についても紹介されていました。

イスラエル・パレスチナをめぐるドイツのジレンマ 熊谷徹 在独ジャーナリスト

 ドイツの政治家たちは、アドラー、アブラハー両監督たちの言葉に距離を置いた。授賞式に出席していた、ベルリン市当局(州政府に相当)のカイ・ヴェーグナー市長は、「我々ベルリン市は、完全にイスラエル側に立っている。ガザ市民が悲惨な状況に追い込まれている責任はハマスにある。ハマスは人質を解放すれば、戦争を終結させられる。映画祭の主催者は、、イスラエルの立場について誤解を与えるような発言を防ぐための対策を取ってほしい」と述べた。
 ドイツ連邦政府で反ユダヤ主義を担当するフェリックス・クライン氏は、「授賞式での一部の芸術家たちの発言、特に彼らが10月7日のハマスによるユダヤ人に対するテロに言及しなかったっことは受け入れ難い」と批判した。(p.20~1)

 なぜドイツ政府は、イスラエルへの批判を過剰に厳しく非難するのか。そしてそもそも10月7日にハマスが行った行為は「テロ」と呼べるのか。またあらためて述べたいと思います。

 追記です。祝 アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞受賞

# by sabasaba13 | 2025-03-04 08:03 | 映画 | Comments(0)

琵琶湖疏水船編(10):南禅寺・無鄰菴(18.11)

 金地院の前を通り過ぎ、南禅寺に到着。
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 ここで待機していたガイドさんから周辺の観光案内を伺いました。解説は熱いけれどもくどく、長時間立ちっぱなしで話を聞かされるのは苦痛でした。再考を要しますね。ただ二時間の自由時間をくれたのは嬉しいかぎりです。I want free ! はい、解散。まずは南禅寺の境内を散策して紅葉を愛でました。
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 些末な話ですが、ガイドさんから三門の敷居がとりはずせることを教えていただきました。
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 なお水路閣を流れるのは琵琶湖疏水です。
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 そして無鄰菴へ。公式サイトから引用します。

 無鄰菴は、明治27年(1894)~29(1896)年に造営された明治・大正時代の政治家山縣有朋の別荘です。
 庭園と母屋・洋館・茶室の3つの建物によって構成されており、庭園は施主山縣有朋の指示に基づいて、七代目小川治兵衛により作庭された近代日本庭園の傑作。
 それまでの池を海に、岩を島に見立てる象徴主義的な庭園から、里山の風景や小川そのもののような躍動的な流れをもつ自然主義的な新しい庭園観により造営されました。
 南禅寺界隈別荘群の中で唯一通年公開されている庭園で、昭和26年(1951年)に国の名勝に指定されています。
 洋館の2階には、伊藤博文らと山縣有朋が日露開戦前の外交方針について話し合った「無鄰菴会議」に使われた部屋があり、当日の様子を今に伝えます。

 紅葉は綺麗だし、天気は良いし、風もないので川面(これも琵琶湖疏水から引いたもの)が鏡のように風景を映すし、観光客も少ないし、文句なし。行く秋の風情を満喫しました。
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 外へ出ると、KBS京都のクルーが何やらセッティングをしていたので、近々ここからテレビ放映があるのかな。
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 すぐ近くにあるのが「瓢亭」、ここの朝粥定食は美味しいですよ。特にゆで卵は逸品です。「アルバイトさん募集」という貼り紙がありましたが、アルバイトに「さん」をつけるのがいかにも京都っぽいですね。でも何故「お座敷係さん」としないのだろう、微妙なヒエラルキーがあるのかな。
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# by sabasaba13 | 2025-03-03 08:26 | 京都 | Comments(0)