広島、長崎原爆投下。
毎年この時期になると、各メディアや最近ではblogでもこの話題を取り上げている。
過去の悲劇を喧伝し、コレを繰り返さないよう世界に向けて発信することは大切なことだろう。
しかし、毎年この時期に思う。
なぜ「東京大空襲」をこのように取り上げない。
同じ10万人が「2時間半」掛けて焼き殺されて「瞬間」ではないために話題性が無いからか。
通常兵器での攻撃に話題性が無いからか。
終戦に繋がらない政治的話題性の無さからか。
およそ2時間半に渡る「明らかに民間人」を狙った殺戮になぜ、日本人は毎年声を大にして叫ばないのか。
この時期にいつも違和感を覚える。
以下空襲の有様の抜粋。
警視庁の調査での被害数は以下の通り。
死亡:8万3793人
負傷者:4万918人
被災者:100万8005人
被災家屋:26万8358戸
1945年3月10日の大空襲は、日本の中小企業が軍需産業の生産拠点となっていると理由付けして、町工場も混ざる木造建築ばかりの下町の市街地、
生活する市民そのものを焼き払う低高度夜間焼夷弾攻撃である。
1945年3月9日夜、アメリカ軍編隊が首都圏上空に飛来。22時30分(日本時間)、ラジオ放送を中断して警戒警報が発令された。同編隊は房総半島沖に退去して行ったため、
警戒報は解除される。ここで軍民双方に大きな油断が生じた。
その隙を突いて、9日から10日に日付が変わった直後(午前0時7分)に爆撃が開始された。
火災の煙は高度15000mの成層圏にまで達し、秒速25m以上、台風並みの暴風が吹き荒れた。
東京大空襲でB-29は日本の貧弱な防空能力を見越し、多くの爆弾投下機から殆どの機銃と弾薬を降ろして通常の約2倍、6tの高性能焼夷弾を搭載していた。
有名なのはゼリー状のガソリンを長さ約50cmの筒状の容器に詰めたナパーム弾である。この形は日本家屋の瓦屋根を打ち貫いて家の中に入り中身を散布するためで、
縦にまっすぐ落ちるよう空中で体勢を制御するために吹流しのようなものを付けた。そしてこれらをまとめて一つの束にし、
「束ねる」という意味を込めて「クラスター焼夷弾」と呼んだ投下後空中で散弾のように分散するものである。この空襲での爆弾の制御投下弾量は38万1300発、
1783tにのぼった。午前2時37分、アメリカ軍機は退去し、空襲警報は解除される。
この東京大空襲を始めるに当たって、アメリカ軍は大規模な実験を行った。
日本家屋を模した家を並べて燃やし、どうすればこの家に大きな被害を与えられるか を模索した。
家が燃えるところを兵士達は石の箱状の建物の中から、のぞき穴で見守った。この家は室内まで精巧に作ってあり、
特にこだわったのは畳で、日系人の多いハワイからわざわざ取り寄せたという。これらの実験によってクラスター焼夷弾も開発され、
本物の日本家屋に大きな被害を与えていった。
コレは戦争ではない。殺戮以外のなにものでもない。
ヒトラーもレーニンもポルポトも始皇帝も何百万も殺しているが、アメリカも累計では負けていない。
アメリカは殺戮年表を作り広く全国の学校に配布しその殺戮数の多さを国民に知らしめるべきである。
広島と何も変わらない。

東京大空襲を指揮したカーチス・E・ルメイ少将

炭素の山

背負った子供が母の背中を守ったが・・・・

出典wikipedia
東京大空襲
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