自転車の上が永遠と思えた日 - モリノスノザジ

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自転車の上が永遠と思えた日

 ローマ字の綴り方を覚えたのは、たしか小学4年生のことだった。英語の授業――と思いきや、現在の学習指導要領では、国語の授業に習うことになっているらしい。そういえば、あの頃の小学4年生の時間割には英語がなかったような気もする。英語の時間に習ったなんてことはそもそもありえないのだ。

 ともあれ、私はそうやってローマ字を習得した。そして、今では英語を読んだり話したりするためにローマ字を活用して――は、いない。そもそも日常で英語を使わないということもあるけれど、ふつうの日本人がローマ字を必要とする場面はやっぱり、英語よりも日本語を使う場面なのだろう。ローマ字の読み書きに関する知識を活用するのはもっぱら、こうやってキーボードを打つときだけだ。

 

 黎明期のインターネットの思い出というものが、私にはない。ダイヤルアップ回線でインターネットに接続したとか、インターネットを使うために夜までパソコンの前で待機したとか、そんな思いでもない。パソコンもインターネットも、気がついたらぬるりと生活のなかに溶け込んでいた。

 

 小学生のころに与えられた中古のノートパソコンは、インターネットに接続することができなかった。今思えば、接続することは可能だったんだと思う。インターネットの害悪を慮ってのことなのだろう、親は私にパソコンを与えても、ネットに接続する方法については教えなかった。

 それで私が熱中していたのが、オフラインでも遊べるタイピングゲームだ。簡単なアルファベットのタイプから始まって、だんだん文字数が増えてゆく。たのしかった。覚えたばかりのローマ字を、人差し指一本で入力してゆく。不器用に―――そんな時期が私にもあったのかもしれない。でもそれはとても短かったように思う。そうやって私の指はタイピングを覚えていった。

 

 やがてインターネットにつながったパソコンを使わせてもらえるようになると、インターネットはどんどん身近なものになっていった。好きなゲームのファンが集う掲示板があって、中学生の頃は毎日そこに通っていたように思う。たいして動きもない掲示板を毎日訪問した。キリ番を踏んだ人だけがつくってもらえる特別なアイコンがあって、それがまぶしかった。あのころは、WEBサイトを持っている中学生もめずらしくなかった。私も高校を卒業するまでの何年か、ホームページを運営していたことがある。20歳を超えてスマートフォンを持つようになってからの生活は言わずもがなで、インターネットはますます生活に欠かせないものとなった。

 

 スマホネイティブ世代はPCが使えない―――なんてことを聞いたことがあるけれど、私はスマートフォンを持ってからもPCを捨てていない。タイピングはますます上手になり、私はその指で、たとえばこんな日曜日をブログに残す。

 

 パンクしてしばらく乗れずにいた自転車を、その日友人が修理してくれた。例年になく暑い日が続く北海道の7月、日差しを避けて16時ころの自転車置き場に向かう。太陽は隣のアパートの向こう側に傾いていて、たっぷりした影が駐輪場を包んでいた。

 彼が、私の自転車の後輪からチューブを抜き取って、新しいチューブに入れ替えてゆく。「放置自転車から盗んできた」という、古いような新しいチューブだ。後輪からひととおりのパーツが外されて、ひととおりのパーツがまたもとに戻されてゆく。その作業が終わるまでの間、私は手持無沙汰になってしまった。それで、風が通る自転車置き場のコンクリートに座って、自転車が直されてゆくのをだらだらと見ていた。こういうときに煙草が吸えたりしたらいいのにな、と思った。

 

 修理が終わった後、自転車に乗って、アパートの前の駐車場をぐるぐると走った。はじめのうちはギアの切り替えが不安定なこともあったけれど、走りながらくるくると切り替えていくうちに、だんだんなめらかになってゆく。競泳用のプールほどの広さの駐車場をゆっくり回っている私の横で、友人は、パンクした部分を探すために用意したバケツの水やら、スパナやらを片付けている。久々に自転車に乗れることと、日陰で乗る自転車が涼しいこととで私は少しうれしくなって、しばらくの間駐車場をゆっくりと走りまわった。

 理由はわからないけれどそのとき、自転車に乗って旋回するその時間が永遠に続くような感じがした。永遠に続くような気がしたのは本当で、同時に、これは他の多くの日と同じように、あっという間に忘れてしまう一日のひとつに過ぎないのだとも感じていた。

 

 「SNSで個人が自由に情報発信できる時代になって、ライフログ的な意味合いのある作品が生まれてきている」と言われたのはブログのことではなく、アニメーション作品の話だ。昨年オンラインで開催された新千歳空港国際アニメーション映画祭に、「12月」というタイトルのついた短編アニメーション作品がノミネートされた。原題は「Half of Apple」。子ども部屋で勉強をしていた姉妹が半分ずつのリンゴをかじる、そんな何気ない日常の一場面をアニメーションの手法で切り取った作品である。


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 審査員のひとりが、この作品にふれて話したのが先ほどのコメントで、それはたしか映画祭の閉会式のなかでのことだったと思うのだけれど、残念ながら閉会式に関してはアーカイブを見ることができない。日常の一部を切り取るようなこうした作品は、短編作品ならではだ。長編作品でずっとこんなことをやる意味はないから。だけど、短編アニメーションとして切り取ることで、ライフログ的な意味合いができてきて、SNSなどで個人が自由に情報発信できる時代に育ってきた若い世代が、そういう作品をつくるようになってきている。……そんな話だったと思う。

 

 これはアニメーション作品の話、とさっき書いたけれど、多分アニメーション作品に限らず、いろいろなところで同じようなことが起こっていると思う。小説やイラストを誰でも投稿できるサイトができたり、Twitterで短歌を詠むことから始めた歌人が生まれたり。有名人でもなんでもない私が、駐車場で自転車に乗ったことをブログで書いたり。などなど。そうやって生まれた取るに足らない日常がいくつもひしめいている。今のインターネットはそういう場所だと思う。

 

 でも、ふつうの人がふつうの日々を切り取るということに、いったいどんな意味があるんだろう?私には、最近それがよくわからない。オリンピックで活躍するスポーツ選手、内なる葛藤を乗り越えてやっと幸せを手にするドラマの主人公、とてもたくさんの人に本が読まれている人気作家。そういう人たちに比べて、私の人生は、私の日常はとてもふつうでみすぼらしいものに思えて、こんな日々を切り取ることにいったいどんな意味があるのだろう、と思ってしまう。

 ドラマティックな出来事が起こらない人生でも、何気ない日常がかけがえのないものなのだ―――そういうふうに考えていたこともあったけれど、最近は本当にそうなのか疑問を抱き始めている。それは、意味があるのは挫折や葛藤や、その先の成功のある人生だけである―――ということを言いたいわけではない。意味のある人生とか、意味のない人生とか、そんな区別が本当にあるのだろうか?

 

 今の私には、どんな日も、どんな人生も特別ではないように感じられる。ただ、それが限りなく個別であるというだけだ。私は私ひとり分の空間を占めて世界に存在していて、誰も私と重なり合って存在することはできない。私は私がこれまでに経験してきた事柄でつくられていて、誰も私と同じ人間は存在しない。イケメンも、お金持ちも、どんなドラマティックな人生を送ってきた人も、ひとりがちょうどひとり分存在しているというそれ以上に存在することはできない。それ以下に存在することも、できない。ただきっかりひとり分として、すべての人が個人として存在している。

 誰かが特別だとか特別でないとかいうのは、ただそれだけのことのように思える。私は私でひとつしかない、今日は今日で一日しかない、繰り返さないし、取り戻せないし、替えられないものであるというそれだけしかないように思える。それを「誰もがかけがえのない人間だ/どの一日もかえがえのない一日だ」と言うのかどうかは、わからない。だってそれは、あまりにも当たり前のことだから。

 

 作品名を忘れたけど、何かの作品で、葬式の場面をみた。葬式の後親戚同士が会話をしていて、しかしその会話からは、たったいま火葬されたその人が「生きていた」感じが全然しないのであった。生前のその人がどんなキャリアを重ねてどんな役職に就いて亡くなったのか、そんなことばかりを話していて、その人が生きていたっていうのは、そういうことなんだろうかと感じた。履歴書に書かれるような人生のあらすじではなくて、渋柿が好きだったとか、車に乗ると気まずくていつも犬の話ばかりしていたとか、そういうのが、誰かが生きてるってことなんじゃないのかと思った。

 

 だとしたら、私がブログに綴る平凡で何も起こらない日常もまた、同じように「生きてる」ってことの証なんだろうか?夏の日に、修理した自転車を乗り回すようなことが。わからない。わからないけれど多分、ひとつしかない。あの夏の夕方の時間も、そのことを書いたこの記事も。

 そして、なんだかよくわからないまま、毎日は進む。今日は、この記事を書いて過ごした。書きながらおかきを4つ食べた。

 

 

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」