☆燕は再び飛んだ
私は元々新潟方面、佐渡、粟島へ磯釣で遠征しているのですが
磯釣ブログを通じて新潟・燕の方たちと知り合いになりまして何となく
燕の話題が新聞やニュースなどに出ていると何となく気になります(^^ゞ
2008年1月17日(木)日経新聞に「燕は再び飛んだ 技術磨き危機克服」のタイトルで
紹介されていました。
洋食器の輸出が激減する中でその研磨を生業とする企業も新たな需要掘り起こしで
あるメーカーはアルミホイル、テニスラケット、ステンレス魔法瓶等の研磨へシフトしたがその後、
ブラザ合意以降の円高で生産拠点が次々に東南アジアへシフト、大きなシェアを持っていた魔法瓶も
90年代撤退して次はチタン製のカメラボティーと新分野を開拓。
そして2001年 にはその高い研磨き技術に目をつけたメーカーから「鏡のようにイメージに研磨
できないか」との依頼が舞い込みました。そうです!! iPodです。
世界的な大ヒットとアップル社から「要求をすべて満たしてくれる世界ナンパーワン企業」と
絶賛されました。
それ以外にもゴルフクラブのヘッドを手がける企業、カーブミラー(円形のやつです)を手がける企業と
燕のものづくり企業は柔軟な対応で危機を何度も乗り切っています。
燕のものづくりのルーツは江戸初期に農家か農閉期の副産業として和釘作りは始めた頃にさかのぼる
ようです。その後、明治になり欧米から入ってきた洋釘に押されて和釘の生産は激減、燕の職人さん達は
キセル、矢立、銅器等の製作へ転業したがまた時代はキセルは紙巻タバコに矢立は万年筆に銅器は
アルミ製品に取ってかわられ再び苦境に失業者は県外に出稼ぎ・・・苦境を救ったのは洋食器でした。
第一次世界大戦で生産が落ち込んだ欧州から注文が増加、第二次世界大戦後は米国向けにも輸出が
本格的に始まり燕の洋食器は戦後の復興を支えた代表的な輸出となりました。
今でもノーベル賞の授賞式の晩餐会では燕のあるメーカーの洋食器が使われているようです。
※その洋食器はとてもデザインが斬新で柄の部分に魚のデザインがあったりします。
※その洋食器はとてもデザインが斬新で柄の部分に魚のデザインがあったりします。
最近はマネーゲーム的な思惑で物の値上がりなどがありますがやはり日本ものづくりが基本であり
高い技術に磨きをかけて苦境をのりきって行きたいものですね(^o^)/