☆石神井公園 三宝池 殿塚 姫塚より地味でした^^;
07/30 blogram レバニラ1位、神田明神1位、なか卯1位、永井荷風1位、
ホッピー1位、吉野家2位、餃子の王将2位、力道山3位、牛丼4位、クロダイ5位、
かき揚げ14位、高倉健13位、台湾ラーメン18位、に入って来ました(^o^)/
山田うどん はソロソロだと思います(笑)
こんにちは 昨晩はここのところの暑さで夕方から体調が悪くなり早めに寝て
なんとか回復しました。今日も暑いですが曇っていると意外と過ごし易いので
湿度を計ると木陰で60%を切ってました。さて、昨日の続きの殿塚です。
☆石神井公園・照姫伝説が残る石神井城♪
☆石神井公園 三宝池 悲運の照姫が眠る? 姫塚
石神井城
石神井城の築城年代は定かではないが、石神井川流域の開発領主として勢力を伸ばした
豊島氏が、鎌倉時代後期に居城の一つとして築城したとされる。
室町時代後期、上杉禅秀の乱で足利持氏側に立った豊島氏は最盛期を迎えるが、やがて
室町時代後期、上杉禅秀の乱で足利持氏側に立った豊島氏は最盛期を迎えるが、やがて
新興勢力の扇谷上杉氏側の太田氏と対立を深め、長尾景春の乱において太田道灌に攻められ没落した。この戦いにおいて、豊島氏は当主の泰経とその弟泰明はそれぞれ石神井城と平塚城に拠り太田道灌と対峙したが、攻められた平塚城の後詰戦(江古田・沼袋原の戦い)で惨敗を喫し、泰明は戦死、泰経は石神井城に落ちた・・・太田道灌に攻め立てられた豊嶋泰経は、
重代の家宝の鞍を白馬につけて、三宝寺池に入水し、その後を追って息女の照姫も城に蓄え
られた金銀財宝とともに入水した、というもの。
池の底にはキラキラ光る財宝が見えるが、決してそれを取る事はできないそうです。
付近にはふたりを祀った殿塚・姫塚が残ります。
池の底にはキラキラ光る財宝が見えるが、決してそれを取る事はできないそうです。
付近にはふたりを祀った殿塚・姫塚が残ります。
姫塚から15メータぐらい横の歩道脇に殿塚はありました・・・
姫塚に比べて少し地味な場所
ちなみに豊嶋泰経ですが実際は石神井城が落城した際、脱出して
その後、平塚城で再挙するが、道灌に攻められて落城。泰経は足立郡へ逃れる。
泰経は丸子(東京都町田市)に陣を敷くが、27日に道灌が迫ると陣を捨てて小机城(神奈川県横浜市)へ逃げ込んだ。
道灌はこれを包囲し落城。泰経は行方知れずとなり、豊島本宗家は歴史上から姿を消した。
道灌はこれを包囲し落城。泰経は行方知れずとなり、豊島本宗家は歴史上から姿を消した。
が史実のようです。