気象庁によると日本の歴代最高気温は、2013年8月12日に高知県江川崎で観測された41.0度らしい。いつも30度台でヒイヒイ言っている側からすると、40度以上だなんて信じられない話だ。しかし、世界は広い。50度を突破するような場所も存在するのである。
先日、アメリカにある「デスバレー」に行ってきた。昼間のデスバレーの気温は40度台が基本で、50度すら余裕で突破してしまう “死の谷” だ。そのデスバレーのド真ん中で、私(あひるねこ)は命の危険を感じる事態に出くわした。今回は、あの悪夢のような出来事についてお伝えしようと思う。
・ラスベガスからデスバレーへ
まず日本からロサンゼルスへと飛び、今度はラスベガスへ。そこからレンタカーを借りてデスバレー国立公園を目指した我々。メンバーは私と、英語が堪能なMさん、海外経験豊富なTさんの3名だ。アメリカに行くこと自体が初めてだった私にとって、この上なく頼りになるお二人である。
シボレーのワゴンに乗り込み、デスバレー近くにある街・パーランプへと向かう。ちなみに、ここパーランプで入ったデニーズは妙に風情があってよかったな。パーランプからデスバレーまでも相当距離があり、アメリカのスケールの大きさを感じざるを得ない。
・死の谷・デスバレー
荒涼とした風景が続くデスバレーは、とにかく気温が尋常ではなく高い。湿気はないものの、呼吸すると鼻が熱いくらいで、体の水分がどんどん奪われていくのだ。持参した温度計が普通に50度を超えてしまった時は、思わず「マジかよ」と呟いてしまった。この極限の地で、事件は起きたのである。
・ある異変
デスバレーは基本的に車で園内の名所を巡る。しかし、「ケトルジャンクション」という場所を目指す際に我々が通った道は、非常に狭くありえないくらいガッタガタであった。しかも、地図上は合っているはずなのに目的地までが異様に長い。何もない荒れた道を、ただひたすら走り続ける。
ついウトウトしていると、何か変な音と共に、運転していたMさんの「ああ~」という声が耳に入り目が覚めた。何かマズい事態が発生したようだ。車を止め、太陽がぎらつく車外へ出ると、そこには絶望的な光景が広がっていた。タイヤが……ズタズタにパンクしていたのだ……!
・絶体絶命
走行不能なまでのタイヤの惨状を見て呆然とする我々。原因は不明である。だが、問題はそこではない。早くこのタイヤを何とかしないと、大変なことになってしまうのではないか? ここで、我々が置かれた状況を整理しよう。
デスバレー内は電波が入りづらいのだが、ここでもスマホは一切繋がらず、カーラジオすら入らない。よって外部との連絡は不可能。おまけに、長い走行中も他の車との遭遇はゼロだ。そもそも人があまりいないが、ここは極端に交通量の少ない道らしい。これでは助けを求めることも難しいだろう。周囲は無音。なんの音も聞こえない。
車にスペアタイヤが積まれていなかったらアウトだ。しかし車内にその姿はなかった……。繰り返すが、外は気温50度である。もしかしてこれ、完全に終わったのでは? 今ある水がなくなったら即アウト。食料はない。本当に死んでもおかしくない状況だ。徐々に徐々に、不安が広がる。
・タイヤとの格闘
しかし、ここで車の床下にタイヤを発見! よかった……。だが、このタイヤがどこまでも厄介だった。まずタイヤを車体から取り外せない。外し方がわからない。どうなってんだよこれ! 殺す気か!!
車体に小さな開け口があり、その奥のわずかな隙間に工具を差し込み操作することで封印が解けるという謎仕様。車はまったく詳しくないのだが、なぜこんなダンジョンの謎解きのような仕組みになっているのか。ややこしい英語の説明書を読みながら悪戦苦闘し、外せた時には歓声が上がったほどだ。
実はこの時の我々は、もしかしたら交換がうまくいかないかもしれないという不安と戦っていた。ダメだった場合は、歩いて人がいる場所まで行かねばなるまい。灼熱の酷暑の中、その可能性すらも考えていた。パニックになる人がいてもおかしくない、あれこそ極限状態と言ってもいいだろう。
・生還
その後、なんとかタイヤの交換に成功。一気に緊張が解け、「助かった……!」という思いが体を駆け巡った。実際、デスバレーで屋外にずっといるのは難しい。ガソリンが切れたら車内で過ごすのはまず不可能だ。もしもスペアタイヤがなかったら……と考えるとゾッとする。
これからデスバレーに行く、という人がどれだけいるかはわからないが、行く場合は車に積めるだけの水、最低限の食料、そしてスペアタイヤがあるかを必ず確認した方がいいだろう。デスバレーを甘く見てはいけない。油断していると、命を落としかねない “死の谷” なのだから。