このプリンが口に合わない人類はおそらくこの地球上に存在しないと思います。
各国の言葉で書かれた「ありがとう」には、老若男女に、時代や関係性、これまでの行いを超えた先にある伝えたい愛にも似た「ありがとう」を添えてくれます。
誰からもらっても「ありがとう」と言われるでしょう。
「ありがとう」と言われなくても、食べた人は「ありがとう」と逆に感じてしまうでしょう。
それだけの味のクオリティがこのプリンにはあります。
全ての料理人が何かしら自分の仕事に誇りや情熱があると思いますが、それでも尚このプリンを口にしたなら彼らはこのプリンの作り手への尊敬の念を述べることでしょう。それがどんなに有名なパティシエであってもです。人だけが作れる確かな仕事を感じます。
これがホテルブランドの箱だったならば「高級品を買ってきたぜ」と威張り散らせるでしょうが、肝心の「ありがとう」はどこか置いてきぼりになったかもしれません。
言葉を尽くし、行動で示し、それでも尚これまでの行動が問われます。
しかし、人は失敗もします。
いつも前向きで感謝を素直に言葉に、態度に示せるとは限りません。
相手がきちんと受け取れる体調か、関係性かにも左右されます。
でもこのプリンは違います。
誰しも手元に届けてくれたことに感謝するでしょう。
受け手の気持ちを動かしてしまうレベルです。
人はよく言います。
「何をするかではなく、誰とするか」とか、
「何を貰うかではなく、誰から貰うか」とか。
意味ありげで重みのある綺麗な言葉達もこのプリンは微塵もなく洗い流します。
誰が贈るかではなく、「このプリンを贈るか」否か。
食材に手を抜かず、単純な食材と繰り返される調理工程に対しても全力で向き合う、職人の熱い姿をプリンから感じます。
このプリンを食べるまで「元一流ホテルのシェフパティシエ監修」がなんぼのもんじゃい!とどこかで思ってましたが、
「一流ホテル」が一流たりえる仕事の結晶がこのプリンでしょう。
歴史を作ってきた偉大なパティシエ達、このプリンの製作陣、コンセプト考えた方、
妥協なく作り上げた価格とそれを聞いてなお尊敬のため息をつかざる終えないその仕事に
感謝申し上げます。
私が払った4200円で、監修者や作り手、配送業の方まで全てに潤いが行き渡り、
この美味しいプリンが永続的に供給されることを切に願ってやみません。