前 回、 引き続き 金属研磨剤 ピカールを 商品購入を致しました。 真鍮 素材磨き品、約一
年間程度で、 真鍮 本来の輝き クモリ、ボケが 発生致します。
其れの 防止剤として、 約一年間サイクルで 金属研磨すると、 真鍮本来の輝き 等が 再現
去れます~。 又、 金属タワシ併用して 研磨すると、 更に 効果的で有ります。
其れが 面倒でイヤと言う人は、 オプション 金メッキ、フッ素加工を して下さい。 但 し、 有る
程度の 高額金額 等と 成ります~。
( 金属研磨 前、 金属研磨 後、 比較表写真 別途参照。)
【 川 越 の 名 号 とは 】
建暦元年、流罪勅免の使いが 越後国府に来ると 伝え聞いた親鸞聖人は、草庵を後にして国府
へ向かいました。
しかし途中雪に見舞われ、柿崎につく頃には、すっかり日も暮れてしまいました。
そこで聖人は、この地の扇屋の門を叩き、一夜の宿を請う事にしました。
しかし扇屋夫婦は邪険に断り「軒下なら勝手にするがいい。」と言って戸を閉めてしまいました。
そこで聖人は 厚く礼をのべられ、念仏を唱えながら 夜の明けるのを、お待ちに成りました。
流石に無情の夫婦も、戸の隙間より漏れてくる 念仏の声を聞いて、尊さが身にしみて自らの非礼
を詫び、聖人を家の中へお招きになりました。
ここで聖人は 御仏の教えをお説きに成ると、夫婦は忽ち 念仏の行者と成りました。
非常にお喜びになった聖人は扇屋に「南無不可思議光如来」の九字の名号を与え、
翌朝「柿崎にしぶしぶ宿をとりけるに、主の心熟柿(うれし)成りけり」と地名の柿崎を折り
込んだ 歌を詠まれました。
それに対し 扇屋の主人も「かけ通る法師に 宿を貸しければ書き(柿)呉れたりや九字の名号」
と返しました。 扇屋の妻は聖人の発ったあと、名残を惜しみ聖人の お跡を慕って行きました。
そして、既に川を渡られた聖人に、お形見をお願いしますと、聖人は向こう岸からこちらに向か
って、空中に六字の名号を書かれました。
すると 扇屋の妻の手元の紙に「南無阿弥陀仏」の六字が浮かび上がったのです。 扇屋の妻は
歓喜して これを押し頂き、川越しに聖人とお別れ 致しました。
【 其佛本願力 聞名欲往生、 南 无 阿 彌 陀 佛、 皆悉到彼國 自到不退轄 】 六道輪廻転生、
此の偉大 み 佛 様、 お 縁に 深 く 感謝を申し上げ、 手を合わせて 南无阿彌陀佛 合 掌。