この本に出てくる女性(娘)達は、一見するととてもよい家族に恵まれて、本人も優秀である、というようなとても理想的な女性像に見えます。
しかし、彼女たちの母親は、自分の人生を生きず、娘の人生を生きています。
しかし、それを「あなたの為を思って」「あなたの幸せが私の幸せなの」という言葉がすべてを隠蔽してしまう・・、そんな恐怖を感じました。そして、そういう母親が理想的な母親なのだという<今の>常識まで立ちふさがって、墓守娘の言葉にできないような苦しみを感じました。
私の家庭は、父がギャンブル依存症、母がその共依存という風に、分かりやすい機能不全があり、母には「だからあなただけが私の希望なのよ」という風に<母親の不幸→娘への期待>という図式が明確なので、母親自身が幸せを自分で獲得したら、娘に依存しないことがすぐに分かるのです。
しかし墓守娘の母親は一見すると不幸でない、むしろ幸せそうであるところが、この問題を余計にみえにくく、そしてややこしく、さらに墓守娘に罪悪感を持たせやすいのだと私は感じました。
私のようなACから見ると、墓守娘は家族愛に包まれ、自己実現すら簡単に達成できる(優秀な)恵まれた女性であり、羨望さえ抱きかねない存在なのに、母親が娘に依存して苦しめているという構図に変わりがないことに驚きを隠せませんでした。
この本が2008年4月初版で今現在(2010年4月)でもう12刷であることが、このような家族が少なくないことを物語っているようです。