私たちが生きている世界には、
身近なことから人類全体に関わることまで、
さまざまな問題が溢れています。
意外に知られていない現状や真相を、
本学が誇る教員たちが興味深い視点から
解き明かします。
私の専門分野は労働経済学で、人的資本※1の蓄積などを研究テーマに掲げています。近年はこれに関連するテーマとして家族に関する研究にも取り組んでいます。2021年に発表した論文「Living Environments and Child Development: Comparing Two Groups of Out-of-Home Children」は、生まれた家庭以外の環境で暮らす韓国人の子どもを対象に、伝統的な孤児院タイプの大規模施設と、より家庭的で小規模なグループホーム※2という生活環境による発達の差異を調査・分析した結果をまとめたものです。本調査では、グループホームで暮らす子どもの方が孤児院タイプの施設で暮らす子どもに比べて、利他的(他人を優先して考える)で感情が安定しており、未来的志向(将来について考える)を持つ傾向があるとの結果を得ました。少人数でより親密な「家族」に近い関係性を構築できる生活環境が、子どもの発達に良い影響を及ぼすことを示唆していると言えるでしょう。
日本では2008年に改正された児童福祉法において、グループホームを、生まれた家庭で親と一緒に暮らすことができない子どもの養育を担う場所として定めています。数人の子どもを家庭的な環境で養育するもので、韓国でもほぼ同時期に同様の取り組みがスタートしました。一方で西洋文化圏、特にアメリカでは養子縁組が一般的です。子どもの発達を考慮すると養子縁組の方が望ましいように思えますが、血縁関係を重視するアジア圏では、他人の子どもを自分の家族の一員として迎え入れるという考え方は定着しにくいでしょう。グループホームは養子縁組の代わりとなり得る家庭的な生活環境を提供するもので、アジア圏に適した仕組みだと言えます。
研究の次なるステップとして、生まれた家庭外で暮らす子どもだけでなく、家庭内で実の親と暮らす子どもを対象に含めた同様の調査も日本国内で実施する予定です。生活環境の差異によって生じる発達面の影響に加え、より良い発達のために必要なファクターを解き明かしたいと考えます。研究範囲を拡張させながら、社会に還元できる研究成果の獲得をめざしていきます。
孤児院タイプの大規模施設(▲)とグループホーム(●)の入所児童数
※1 人的資本…教育や訓練により労働者個人に蓄積される知識や能力を資本とみなす概念。
※2 グループホーム…日本では改正児童福祉法で小規模住居型児童養育事業として定められており、ファミリーホームと呼ばれる。
家庭で暮らせない子ども5~6人を預かって養育する。
ところで、子どもは発達過程において利他性や未来的志向をどのように獲得するのでしょうか。私たちの研究チームでは次のように考察しました。赤ん坊は生まれてしばらくの間、周囲に注意を払わず、欲求のままに生きています。しかし、成長するにつれて自分の体を認識するようになり、やがて自分以外の家族や仲間などの存在に気付き、思考の範囲が広がっていきます。そこから他者を気遣って欲求を抑えたり、前向きな考えを持ったりするようになり、自分の将来について考え始めるのです。
このように、子どもが利他的に行動し、未来的志向をもって成長するために必要なのが、情緒的に安定した生活環境と彼らの目標を後押しする養育者の働きかけです。その意味でグループホームは適切な規模であり、周囲の大人と家族のような関係性を築きながら他者を思いやる心や前向きな考え方を身に付けられる場所だと言えます。グループホームを巣立った後も、子どもたちの多くは養育者や一緒に育った仲間との強い結びつきを長く維持したいと考えます。彼らは養育者を「パパ」「ママ」と呼び、家族的な集まりに積極的に顔を見せるのです。
一方で孤児院タイプの施設は規模が大きく、子どもたちは養育者を「先生」と呼びます。家族のような関係性は構築されにくく、施設を出てからも養育者や仲間と積極的に交流しようとする子どもはほとんどいません。双方を比較すると、グループホームの方が養育者や共に育った仲間と家族的な関係性を築きやすいという点で、良い生活環境だと言えるでしょう。
養育者を「家族(パパ)(ママ)」と呼ぶ割合(男女比)
養育者を「家族(パパ)(ママ)」と呼ぶ割合(年齢比)
私がアメリカで過ごした大学院時代、そして教員として学生と接してきた10年余りを振り返ると、アメリカ人学生と比べて日本人や韓国人の学生は画一的な印象があります。アメリカ人学生は独自の夢を抱き、目標達成のために積極的に思考・行動する傾向があり、自分自身の人生を歩んでいるとも言えるでしょう。一方で日本人や韓国人の学生は、「周囲と同じ」であろうとしているように見えます。ユニークな人ではなく、スタンダードな人として生きたいと考えがちなのではないでしょうか。私は彼らが夢を持ち、その夢をかなえるために熱意をもって活動し、濃密な時間を過ごしてほしいと願っています。そうすればほかの誰とも違う、自分だけの人生になるはずです。
私のゼミナールでは学生自身が自分の目標に向かって計画を立て、やりたいことに何でも挑戦できる環境を整えています。「すべての活動を英語で行う」というルールのほかに、制約は一切ありません。ディスカッションやディベート、プレゼンテーションなど、学生たちが思い思いの活動に取り組めるように、後押ししています。
ある時は、学生の提案により、韓国映画「パラサイト」を鑑賞した後、社会の不平等など、本作品が訴えかけるさまざまな問題・テーマについて考察し、監督は観客に何を伝えたかったのか、皆で話し合いました。その後、別の学生から今度はハリウッド映画を見ようと提案があり、再びディスカッションも行いました。国・文化圏が異なる2本の作品を鑑賞したことで、議論は白熱して日本国内の不平等や性差別といったテーマにも及び、より深く有意義な時間を過ごせたのです。学生の意思に応じて議論や考察の対象を拡大していくことで、彼らの視野は着実に広がっていくでしょう。知的好奇心の赴くままに何にでも前向きに取り組み、各自の夢の実現に一歩ずつ近づいてほしいと願っています。
私は以前、子どもの未来志向度を調査したことがあります。本調査は2つの質問で構成されています。1つは「手本にしたいと思う人物がいるか」で、その回答から具体的な将来像を思い描いているかどうかがわかります。もう1つは、「今日200円もらうのと1週間待って300円もらうのと、どちらを選択するか」という質問から、粘り強さや忍耐強さを測るものです。そして、2つの質問に対する回答を関連づけて未来志向度を評価するのです。ゆくゆくは大学生を対象とした調査も実施してみたいと考えています。子どもとはまた違う彼らの回答や世代的な特徴・傾向に、大変興味があります。
人類の歴史において、人々の欲望が経済成長の強力な原動力になってきた一方で、多くの問題を引き起こす要因にもなっています。このジレンマを解決するには、経済成長と持続可能性のバランスをとる、すなわち人々の欲望のコントロールが欠かせません。私は、そこにこそ教育が果たすべき重大な役割があると考えます。人は他者との関わりの中で生きています。教育を通して「他者に敬意を払い、他者から敬意を払われる人であれ」と伝え、他者と共に生きる道筋を示していけば、社会への配慮をもって問題を解決に導く人材を育てられるのではないでしょうか。
環境問題について言えば、今すぐにでも解決策を講じなければ、将来はさらに危機的な状況に陥ることになります。教育には、深刻な現状を伝え、自分たちが暮らす地球のために今、具体的な行動を起こすべきだと教える義務があります。物事のとらえ方や態度、振る舞いは教育によって醸成されるものです。諸問題を自分ごととしてとらえ、環境への配慮をもって行動できる人材の育成に努めれば、教育はSDGs達成にさらに貢献できるでしょう。
一方で、研究には人類の知識を深め、知識の領域を広げるという役割があります。研究を光に例えると、まだ光の当たっていない暗い世界に光の種を見つけ、その種を育てて光の当たるエリアを広げていく存在だと言えます。また、既に光が当たっているエリアにも、ところどころに小さな暗闇が潜んでいるかもしれません。その暗闇に光をともせば、明るさはさらに増すでしょう。私たちは未開拓のエリアを切りひらき、研究者としての使命を果たさねばなりません。今後とも人的資本の蓄積、人材教育といったテーマをより広く深く追究し、その研究成果を社会に還元できるように努力し続けます。