『ちむどんどん』黒島結菜は存在自体が物語になる 羽原大介脚本は“再発見”が醍醐味に
“朝ドラ”ことNHK連続テレビ小説『ちむどんどん』、第2週「別れの沖縄そば」では暢子(稲垣来泉)が故郷・沖縄を離れ、単身、東京に行くことに……と思わせて、結局、家族5人で幸せになろうと団結を強める。そしてそのまま7年が過ぎた。
1971年、いよいよ暢子の本役である黒島結菜になって、ドラマも本番。黒島の「ちむどんどんする!」の言い方が、リズムや声のトーンなどの配分が絶妙でほんとうに心が浮き立つ。彼女がいればドラマは自然に暢子の物語になるだろうと期待できる。
いい意味で黒島結菜は存在自体が“物語”になるのである。シークワーサーをかじっただけでしゅわしゅわした感じが広がる。少女暢子は成長した暢子に至るまでの進行役である。おいしいものに目がない設定と、やがて料理人になる萌芽。沖縄やんばる地区で育ち、その自然の美しさを知っている設定。シークワーサーを食べるとパワーがみなぎり、速く走り、丈夫な設定。亡くなった父・賢三(大森南朋)に、生きる指針になる言葉をたくさんかけられている。4兄妹のなかで、最も自分らしくのびのび振る舞っていて、父の死も、貧困も、すべてを乗り越えていけるバイタリティがあって心配ない存在……等々、“比嘉暢子”とはこういう子ですよということを紹介する役割を稲垣来泉が立派にやり遂げた。
物語性を感じたのは、少女暢子より、東京から来た青柳和彦(田中奏生)であった。民俗学者の父・史彦(戸次重幸)に連いて沖縄に来た当初は、自然しかない沖縄がいやで東京を恋しがっていたが、暢子との触れ合いを通してじょじょにやんばるの価値に気づいていく。
第8話、運動会で、暢子の兄・賢秀(浅川大治)がぼろぼろの運動靴を脱いで、偉大なるマラソンランナー・アベベのように裸足になって走ることを高らかに宣言したとき、同じく靴を脱ぎ、靴下になり、そこから靴下も脱ぎ裸足になったところに和彦のドラマがあった。沖縄に来たとき、靴下に靴か、素足にサンダルかが、ヤマトンチュ(本土の人)とウチナーンチュ(沖縄の人)との違いを示していた。その靴下を脱ぐことが、賢秀が裸足になって走ること以上に大きい物語になっていた。
さらに和彦は、第10話で暢子の手をとるという大きな物語を見せる。手をつないで帰ろうと暢子に触れられたときは恥ずかしさが手伝って手を離して駆け出してしまう。それが、いよいよ暢子の東京への旅立ちの日、家族と別れてバスに乗り、後部座席からいつまでも家族を見つめる彼女の手をしっかり握り「大丈夫、俺がついている」と言う。和彦が誰かを支えることを自覚し、少しだけ大人になった証のようなシーンであった。
バスの窓から見える、手を握り合いながら離れていく比嘉家を見つめる暢子と和彦の姿は引きで映り、ちょっと映画のようだなと感じた。また、和彦が暢子の手を離して駆け出す道は、暢子が兄妹と嬉しい時も哀しい時も駆けた道であり、和彦がその道を駆けることにも意味を感じる