ChatGPTなど生成AIの登場で、それまでインターネット検索におけるほとんど唯一の巨人だったGoogleが大ショックを受けたと言われています。何かを調べようと思った際、生成AIに聞いてもネット検索と同じような結果が得られるようになったからです。
それでここほんの1〜2年の間に、Googleのインターフェイスが大きく変わりました。具体的には、検索をかけるとトップにGoogle自身のAIによる「概要」が現れ、その下にも強調スニペットによる代表的な検索結果が続き、さらにたいがいはナレッジパネルと呼ばれる説明やWikipediaのページが並んで、その下にようやく以前のような一般的な(?)検索結果が示されるようになったのです。
なんといいますか、こうしてGoogleが生成AIに寄り添っていった結果、ネット検索の質が変わってしまったような気がしています。世界中のウェブサイトを網羅的に眺めて必要な情報が載っているサイトをピックアップしてくるのではなく、そうした情報をいったんAIが吸収して編集したのちに生成された情報を押しつけられているような感じがするのです。
個人的には現段階の生成AIはまだまだ「ハルシネーション(幻覚・幻影)」が多分に含まれているような印象を持っているので、Google検索の結果が以前より信用できなくなった感じで。もちろん以前からGoogleでの検索結果だけをそのまま飲み込まないように、ほかの検索結果やネット以外の情報からも裏を取るようにという作法は守ってきたつもりですが……。
最近読んだ『アテンション・エコノミーのジレンマ』によると、Googleによる検索でユーザーは「3回に2回は検索結果として表示された外部のウェブサイトに飛んでおらず、Googleだけで完結している」そうで、こうした行動を指す「ゼロクリックリサーチ」という言葉まであるのだとか。さらにこの本によれば、最近はそのGoogleで検索をすることさえ主流でなくなりつつあり、X(旧Twitter)などSNSのハッシュタグで検索するという方が増えているのだそうです。
アテンション・エコノミーのジレンマ 〈関心〉を奪い合う世界に未来はあるか
なんだかとても危ない方向に行きつつあるような気がしてなりません。ただでさえSNSには「エコーチェンバー(自分と同じような考えや価値観に依拠した情報ばかりが行き交う閉じた環境)」や「フィルターバブル(SNSのアルゴリズムで自分の好む情報ばかりが集まってくる環境)」、あるいはフェイク情報といった問題点が指摘されているというのに、そのSNSだけで世の中を理解しようとする人が増えていったとしたら……。
ほとんどのSNSから降りてしまった私ですが、それでもごく最近までYouTubeやGoogleニュースなどを毎日利用していました。ちょっとした時間があればついついそれらを開いて情報を摂取していたのです。YouTubeやGoogleニュースは厳密にはSNSに分類されないかもしれません。でもそこに表れる動画やニュースは、まさにアルゴリズムで私向けに調整されたコンテンツなんですよね。
私はここ4〜5年ほど、アテンション・エコノミー(注意経済・関心経済)についていろいろと書籍を読み、考えて、スマホやSNSへの依存を克服してきたつもりでいましたが、上掲の『アテンション・エコノミーのジレンマ』を読んで、それがまだまだ生ぬるい対応だったことを痛感しました。そうしたアテンションを仕掛けてくる「あちらさん」は私などより何枚も何枚もうわてなのです。
アテンション・エコノミーにこれ以上絡め取られないためにはどうすればよいのか、と考えて、とりあえず通勤時間などの暇つぶしにYouTube動画を見たり、ニュースサイトを眺めたりすることをやめ、そのかわりに「軽め」の本を読むことにしました(「重め」の本は通勤の細切れ時間では読みにくいですから)。私は電子書籍が苦手なのですが、ここは利便性を考えてスマホのKindleで……って、このKindle本もAmazonでリコメンドされたものを購入したんじゃないですか、私。ことほどさように、現代人にとってアテンション・エコノミーから逃れるのは難しいのです。