カテゴリ
以前の記事
2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 09月 2004年 08月 2004年 07月 2004年 06月 フォロー中のブログ
見てから読む?映画の原作 Ampegスクロールベー... 痛勤音楽 u-sukeのネタ帳 海驢blog しげログ 嘆息熱気球(アーカイブ) Mistery blog ぷぃんく俗物館 アタクシ国の奴隷観察記録 じてんしゃロケット (笑ёдё)ノ新米ナスの... プロジェクト娘々 私の斜め右後ろ 詩作のスキモノ web-tonbori堂ブログ 族長の初夏 東京ハムスター日記 旧・兎の物置 直撃を受けているのか!?... GROOVY DIARY 怪獣ブログ (旧)頭痛にケロヨン えろぶろ at Exci... 髪切虫電脳西中島南方支店 POP-ID通信。 おぼろ駕籠 リンク
最新のトラックバック
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2004年 08月 29日
チェーンソーを振り回し、若者どもを切り刻む、人間の顔を剥ぎ取った生皮をマスクにした怪人レザーフェイス! トビー・フーパーの1974年のホラー映画「悪魔のいけにえ」は史上最も恐ろしいホラーと呼ばれ、権威ある博物館にオリジナルフィルムが保管されているほど芸術的価値が認められている作品だ。 「悪魔のいけにえ」の現代は「テキサスチェーンソーマッサーカー」、ジイジリと照りつける真夏の南部、テキサスの田舎町で起こった悪夢のような出来事の物語である。 墓が暴かれ、死体を盗み出すという事件が続出する田舎町に親族の墓の様子を見るために都会からドライブがてらやってきた若者達。 彼らはその死体泥棒の犯人である狂った精肉業を営む一家の長男、おそらくは知的障害者である、人間の生皮をかぶった大男に次々と殺される。 頭を牛殺し用のハンマーで砕かれ、捌いた肉を吊るすフックに背中を引っ掛けられ、チェーンソーで切り刻まれる。 彼らは人間の死体の肉を牛の肉と偽って売りさばいていた一家である。 最後に生き残ったマリリン・バーンス演じる女は狂気の一家の晩餐に招待される。 父親と二人の息子、ミイラ化した祖父による一家の晩餐に同席させられたマリリンは指先を切られ滴る血を、ミイラ爺にチューチュー吸われ、さらに頭をハンマーで砕かれそうになる。 必死の思いで一家から逃げ出し、朝の道路で通りがかりのトラックに助けを求める。 追いかけてきたレザーフェイスはチェーンソーを唸らせながら朝日を浴びて、ダンスを踊る。 この「悪魔のいけにえ」の他のホラーと違うところはやたらとリアルなドキュメンタリーのタッチで撮影されていることだ。 ドラマ的な演技によるものではなく、生々しさ。 同じ筋立てでも、このドキュメントタッチがなければ、「悪魔のいけにえ」は後々まで名前を残す名作ホラーとはならなかったであろう。 自分はこの映画を始めてみたとき、恐怖よりも強烈な嫌悪感を感じた。 それは腐った肉や死体を見せ付けられたときのような感情だ。 フィルム全体から腐臭が漂っている。 「腐った映画だ」 比喩的な意味ではなく文字通りの意味でそう思った。 この映画は怖くは無いが腐っている、2度と見ることは無いだろう。 しかし、数年後、俺は再びこの映画のビデオをレンタルして見る。 なんだか心に引っかかっているのだ。 妙にじくじくとした痛みを伴う心に負った傷をこの映画から負わされた。 その傷を癒すためにももう1度この映画を観る必要があると思ったのだ。 そして2度目を観たとき、以前見たときには感じなかった「これは傑作だ!」という感情に包まれた。 なにがどう素晴らしかったのかは説明できない。 ただ、このフィルムから感じる粗い映像から伝わる、禍禍しいパワーが俺の心を包み、最初見た時に負ったトラウマは癒された。 俺は傑作ホラー映画を観ると心が癒されるのだ。 ほとんど間を置かず、3度目のレンタルをして見たとき、また以前とは違う感情に包まれる。 「悪魔のいけにえ」は最高に悪趣味jなブラックジョーク映画、これは全部ギャグだったのだ。 俺は爆笑したい気持ちにかられた。 「悪魔のいけにえ」は見るたびに印象の変る作品である。 次に観たときは、はたしてどんな感情に包まれるのだろう。 冒頭の暗闇の中、カメラのフラッシュの音と光と共に浮かび上がる腐乱死体。 じりじりと太陽に熱せられたアスファルトの道路に横たわるアルマジロの死体。 そしておどろおどろしいテーマ音楽と共に現れるタイトルバックの太陽のプロミネンス。 映像のひとつひとつが、実に「センスのいい腐敗」に包まれている。 映像を見ているだけで気味が悪く、同時に気持ちいい。 また「悪魔のいけにえ」は田舎町、寂れた町からただよう「魔」というものを見事に活写している。 田舎はのどかで素朴、という一般的なイメージとは相反する、なにか「魔」が潜んでいるのは事実である。 俺は都会人ではないけれど、極端に寂れた田舎町は好きではない。 そこにはなにか観てはいけない「魔」が潜んでいるように思えてならない。 トビー・フーパーがこの映画の着想を得たのはアメリカ犯罪史にのこるふたつの事件、「テキサス、ライフル乱射無差別殺人」と「エド・ゲインによる殺人、および死体によって家具、装飾品を作ったという猟奇事件」といったものからであるというのは、よく聞くが、それに加えてフーパーは、こうも言っている。 「クリスマス・イブだった。僕は1人でデパートに行った。店内は家族連れで大変な混雑だった。 買い物客の幸せそうな顔を見ているうちに僕はだんだんムカついてきて、あたりを見回すと日曜大工売り場の壁にかかったチェーンソーが目に入った。 これを使って群集をかきわけたら面白いな、と思った」 フーパー、まったく最高である。 この等身大の身近なムカつきから着想を得て、あの悪夢的傑作ホラーを作ってしまうとは、まったく天才である。 さらに「悪魔のいけにえ」は猛暑の中、一切の着替えを禁じられて撮影されていた。 この映画、登場人物はみな汚い服を着ている。 血や泥にまみれた衣服、そうした衣装の汚れの位置が変るなどしてはおかしいので、フーパーは出演者に洗濯を禁じ、1ヶ月以上洗濯していない服を毎日10時間以上着せられつづけた。 本物の肉や骨を小道具として使っているため、猛暑の中での撮影はみるみる小道具を腐らせ、現場は恐ろしいほどの腐臭に包まれていた。 腐敗を抑えるために、晩餐のシーンのソーセージにはホルマリンを注射したが、それでも腐敗を抑えられなかった。 出演者もスタッフもみなキレそうになりながら撮影していた。 あの映画の、一触即発でブチ切れそうな、あるいはブチ切れた異常なテンションは、そんな現場の空気を反映していたのであろう。 腐臭につつまれた映画であると同時に、この映画はどこか障害を負った映画、という印象も受ける。 不謹慎な言い方かもしれないが、「悪魔のいけにえ」は、正常ではない精神障害の映画というイメージがある。 他の映画からは感じられない独特の、心や体の不自由さを感じる作品なのだ。 そしてトビー・フーパー自身も、どこか障害を受けた人間であるように見えたという話もある。 ある雑誌のインタビュアーがフーパーを取材したとき、フーパーには私設秘書のような若い女性が常に同行し、フーパーの身の回りをかいがいしく世話していたという話だ。 自分ひとりではうまく歩けない様子のフーパーを支えていたらしい。 今ではどうかわからないが、この取材当時、フーパーはなんらかの障害を負っていたと考えられる。 「悪魔のいけにえ」の恐怖はまさにマジックのようなものだった。 恐怖というより、異様な雰囲気、このどろどろぐちゃぐちゃとした手触りの映画は他には無い。 フーパー自身も、この劇場デビュー映画を、それ以降越えることが出来なかった。 「スペースバンパイア」、「ポルターガイスト」など、傑作を作るものの、「悪魔のいけにえ」のような異常さを感じさせる映画は2度と作れなかった。 最悪の条件の撮影と低予算が全て幸いし、奇跡のようなおぞましい映画を作ったのだとしか思えない。 こういう映画は作ろうと思って作れるものではない。 狂おうと思って、狂わなければ出来ない作品である。
by pulog
| 2004-08-29 14:37
| ホラー
|
ファン申請 |
||