明日から、なんと人並みに9連休っっっ♪
そのうち二日は有休っっ 有休って・・・いいですね~有休ですよ。働かなくても一日分の給料が出るシステム♪
そんなん当たり前やんか・・・と、地道に長年お仕事されているカイシャインの方には当たり前のシステムなのかもしれませんが、個人事業主や、その他もろもろの、有休なんていう有り難いものは「ない」人も、この世には大勢いるのです。
その「当たり前」に感謝ですがな。。。
いつ以来だろう・・・と考えてみたところ、8年か9年ぶり?
一年前もまったく関係なくまるまるシゴトだったしなぁ・・・(まぁ、その前はプータローでしたんで、一年中がゴールデン・ウィークでしたけどね^^)
世間でいうところのゴールデンウィークを、まんま享受させていただけるなんていう身分に昇格できる日がくるなんて、夢にも思っておりませんでしたわ。人生、やっぱりわからないものですね。
ところで、その「当たり前ですがな」なんですけどね、
今日、シゴトの出先で休憩に入った「ミスド」のトイレで、プラスチックのプレートで、「出るときにドアは手で閉めてください」ってのが、扉に貼ってあって、すっごくびっくりしたんですよ。
出るときにドアを“手で”閉める・・・・って、そんなん、当たり前やがな・・・と、思ったのですが、なぜにこのような「プレート」が目に付くところにあるのか???
よく、「綺麗に使っていただいてありがとうございます」などの、綺麗に使わせるために先手を打ったプレートは目にしますが(あれもあんまりあちこちで見慣れてくると、お仕着せっぽい「ありがとう」に見えてくるからフシギ)、「ドアを手で閉める」などという、あまりにも当たり前過ぎる、そんなことまでわざわざこうして貼り紙ならぬ貼りプレートにしなきゃならんほどのことかいな・・・? と。
でも、そのトイレを出る時、納得しました。
私の向かい側のもうひとつのトイレの扉から出てきた小学生くらいの女の子が、思い切り「ドアを開け放したまま」出ていったのでした。
そのトイレの扉は、「バネで閉る」タイプの扉ではなく、使った人間が「開けたものは閉めよう」という意志がなければ、閉らないタイプの扉だったのでございます。
・・・黙って、その向かい側のトイレのドアを閉めてきたのは、言うまでもありません。
そこの店は、トイレの扉の向こうがダイレクトにフロアに繋がっているため、ああいうふうに「トイレのドア開けっ放し」なんかにされると、トイレ近くの席に座るお客さんには、その匂いやら何やら、ひっじょうに不愉快な思いをさせてしまうわけです。
でも、コーヒーショップなんかでも、トイレの近くに座ってみたら「なんかくさいな」と察知すると、中のトイレの扉が中途半端に開いている、ってこと、けっこうあるんですよね^^。
あたしは、実はそういうのも自分がとても不快になるため、閉めにいったりするんですよ^^。
私たちは、「自動的に開いたり閉ったり」という生活に慣れすぎていて、それが「当たり前」になっているため、こういう小さい子供でも、「ドアは閉める」という場面に外で遭遇する機会が減っているのかもしれない・・・・・・・とかなんとか、思ったりもしたのですが、「書いてあることをやらない人」っていうのは、別に子供だから大人だからじゃなくて、たとえばその手のファストフード系なんかで、「もえるごみ」「もえないごみ」を分別するダストボックスになっているお店で、リーマンくんが、自分が食べ散らかしたその盆の上のものを、そのまま「もえるごみ」の側に、だーーーーーーっと、捨てていく姿を見たときに、ものすごくうすら寂しさを感じるのは、いうまでもございません。
ひとりふたり、じゃないんですよね。
けっこうな確率で、「分けずにそのまま捨てていく」人って、けっこういるんだよなぁ。
文盲か? と、時々思いますよ。おまいは、ひらがな読めないのか? と。
日常生活の中で、なにもきばって「精神性を高めよう」とかなんとかせんでも、「せめて最低限」できることは、山ほどあるのだなぁ、と思いますよね、こういう時。
でも、時々、自分の食べたものやこぼして汚したものなんかを、そのままにしていく傍若無人さんがいるおかげで、それを綺麗にする「陰徳積みのチャ~~~ンス」なんて機会をいただいているのも事実でして。
綺麗にできない、汚くする人がいるから、それを綺麗にする機会に出会っている。
ドアを閉めない人がいるから、ドアを閉める。
今日はそんなことを思いました。
そのうち二日は有休っっ 有休って・・・いいですね~有休ですよ。働かなくても一日分の給料が出るシステム♪
そんなん当たり前やんか・・・と、地道に長年お仕事されているカイシャインの方には当たり前のシステムなのかもしれませんが、個人事業主や、その他もろもろの、有休なんていう有り難いものは「ない」人も、この世には大勢いるのです。
その「当たり前」に感謝ですがな。。。
いつ以来だろう・・・と考えてみたところ、8年か9年ぶり?
一年前もまったく関係なくまるまるシゴトだったしなぁ・・・(まぁ、その前はプータローでしたんで、一年中がゴールデン・ウィークでしたけどね^^)
世間でいうところのゴールデンウィークを、まんま享受させていただけるなんていう身分に昇格できる日がくるなんて、夢にも思っておりませんでしたわ。人生、やっぱりわからないものですね。
ところで、その「当たり前ですがな」なんですけどね、
今日、シゴトの出先で休憩に入った「ミスド」のトイレで、プラスチックのプレートで、「出るときにドアは手で閉めてください」ってのが、扉に貼ってあって、すっごくびっくりしたんですよ。
出るときにドアを“手で”閉める・・・・って、そんなん、当たり前やがな・・・と、思ったのですが、なぜにこのような「プレート」が目に付くところにあるのか???
よく、「綺麗に使っていただいてありがとうございます」などの、綺麗に使わせるために先手を打ったプレートは目にしますが(あれもあんまりあちこちで見慣れてくると、お仕着せっぽい「ありがとう」に見えてくるからフシギ)、「ドアを手で閉める」などという、あまりにも当たり前過ぎる、そんなことまでわざわざこうして貼り紙ならぬ貼りプレートにしなきゃならんほどのことかいな・・・? と。
でも、そのトイレを出る時、納得しました。
私の向かい側のもうひとつのトイレの扉から出てきた小学生くらいの女の子が、思い切り「ドアを開け放したまま」出ていったのでした。
そのトイレの扉は、「バネで閉る」タイプの扉ではなく、使った人間が「開けたものは閉めよう」という意志がなければ、閉らないタイプの扉だったのでございます。
・・・黙って、その向かい側のトイレのドアを閉めてきたのは、言うまでもありません。
そこの店は、トイレの扉の向こうがダイレクトにフロアに繋がっているため、ああいうふうに「トイレのドア開けっ放し」なんかにされると、トイレ近くの席に座るお客さんには、その匂いやら何やら、ひっじょうに不愉快な思いをさせてしまうわけです。
でも、コーヒーショップなんかでも、トイレの近くに座ってみたら「なんかくさいな」と察知すると、中のトイレの扉が中途半端に開いている、ってこと、けっこうあるんですよね^^。
あたしは、実はそういうのも自分がとても不快になるため、閉めにいったりするんですよ^^。
私たちは、「自動的に開いたり閉ったり」という生活に慣れすぎていて、それが「当たり前」になっているため、こういう小さい子供でも、「ドアは閉める」という場面に外で遭遇する機会が減っているのかもしれない・・・・・・・とかなんとか、思ったりもしたのですが、「書いてあることをやらない人」っていうのは、別に子供だから大人だからじゃなくて、たとえばその手のファストフード系なんかで、「もえるごみ」「もえないごみ」を分別するダストボックスになっているお店で、リーマンくんが、自分が食べ散らかしたその盆の上のものを、そのまま「もえるごみ」の側に、だーーーーーーっと、捨てていく姿を見たときに、ものすごくうすら寂しさを感じるのは、いうまでもございません。
ひとりふたり、じゃないんですよね。
けっこうな確率で、「分けずにそのまま捨てていく」人って、けっこういるんだよなぁ。
文盲か? と、時々思いますよ。おまいは、ひらがな読めないのか? と。
日常生活の中で、なにもきばって「精神性を高めよう」とかなんとかせんでも、「せめて最低限」できることは、山ほどあるのだなぁ、と思いますよね、こういう時。
でも、時々、自分の食べたものやこぼして汚したものなんかを、そのままにしていく傍若無人さんがいるおかげで、それを綺麗にする「陰徳積みのチャ~~~ンス」なんて機会をいただいているのも事実でして。
綺麗にできない、汚くする人がいるから、それを綺麗にする機会に出会っている。
ドアを閉めない人がいるから、ドアを閉める。
今日はそんなことを思いました。
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カテゴリ : 私の体験(石系 & スピ系)
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