悪の華
Les Fleurs du mal (1861)
Charles Baudelaire/萩原 學(訳)
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憂鬱と理想
SPLEEN ET IDÉAL
17. 美女
XVII
LA BEAUTÉ
藝術詩群
ボードレール『悪の華』韻文訳――017「美(1861年版)」完全解読(上) - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート
うーむ、なるほど?しかし… と、取り敢えず言いたいことは自分のブログに追記しておきました。この金星神はおそらく、メソポタミアの地母神イナンナまで遡るので、ほじくるとまだ幾らでも出てきそうな。
2025/02/25 17:21
吾こそは「美」よ、定命の者等よ!石の夢のように
そして吾が胸には、皆それぞれ次々傷つく、
創られしは愛をもて詩人を奮い立たすべく。
して永遠であり、また無言である、画材のように。
Je suis belle, ô mortels ! comme un rêve de pierre,
Et mon sein, où chacun s’est meurtri tour à tour,
Est fait pour inspirer au poëte un amour
Éternel et muet ainsi que la matière*1.
青空に君臨、スフィンクスのように理解されない
白鳥の純白に雪の心臓を嵌める
線をずらすような動きを惡む
決して泣かない、決して笑わない。
Je trône dans l’azur comme un sphinx incompris ;
J’unis un cœur de neige à la blancheur*2 des cygnes ;
Je hais le mouvement qui déplace les lignes,*3
Et jamais je ne pleure et jamais je ne ris.
わが崇高なる偉容を前にして、詩人達よ、
誇り高き遺跡から借り受けたように見て、
敬虔にも研鑽に明け暮れるがよい
Les poëtes, devant mes grandes attitudes,
Que j’ai l’air d’emprunter aux plus fiers monuments,
Consumeront leurs jours en d’austères études ;
従順なる恋人たち魅了せるは之をもて、
あらゆるものをより美しくする、純粋なる鏡よ。
わが眼、永遠の光放てる大いなる両眼よ!
Car j’ai, pour fasciner ces dociles amants,
De purs miroirs qui font toutes choses plus belles :
Mes yeux, mes larges yeux aux clartés éternelles !
訳注
1820年に発見され、ルーヴル美術館で1821年に公開された白大理石の『ミロのヴィーナス』との関係が指摘されている。当時は大いに話題を呼んだというが、ボードレール(1821 - 1867)が生まれた頃の話であるから、その騒ぎは人伝に知った事であろう。
ただ、この彫像に「鏡」のイメージはないので、著名の肖像画および「ホルスの目」を、参考までに。
さて、ローマ時代にはウェヌス(英語読みでヴィーナス)と呼ばれた女神は概ね、ギリシア神話のアプロディーテーを引き継いでは居るものの、制作年代からすると「ミロ島のアプロディーテー」と呼ばれるべきであったろう。
同じルーブル美術館に展示されている『アルルのヴィーナス』は、ルイ14世の治世に発掘され、欠けていた腕2本を彫刻家が付加し、ヴェルサイユ宮殿を飾ったという。
しかし、この左手に手鏡があったとは、平岡公彦氏の指摘があるまで気がつかなかった。この像は両腕を欠いていたため、彫刻家が想像で補った。そのとき、彫像の視線に合わせて有るべき位置に有るべき物を持たせたのだろうか。実際、手鏡というものは、想像を絶するほど古くからあったらしいし。
尤も、左手の手鏡は現存しない上、右手が持つ林檎の出来栄えを見る限り、必ずしも信用を置けそうにはない。何しろ右手にあるのは、ツルツルスベスベの玉にしか見えないが、これは林檎である。トロイ戦争の原因になった「不和の林檎」である。
なのに、そのツルツル具合ときたら、ゴムボールにしか見えないキャベツを切り刻むが如く。
いや、これは寓意だよ、表象だよ、というのは判る。判った上で、敢えて叫ばずに居られない。この玉っころのどこが林檎なんだ?おまいらオッパイ描くのでも、こんなツルツルにはしないだろう!これが林檎だってんなら、明日からゴムボールを千切りにして喰いやがれ!
さて、ウェヌス(ヴィーナス)を登場させたオペラということで、ワーグナー『タンホイザー』を。パリ初演は失敗したらしいが、これも元ネタの一つなんだろう。
Marianne Schech(マリアンネ シェヒ)というドイツのソプラノは、恥ずかしながら訳者はこれまで全く意識していなかったのだけど、かのコンヴィチュニー指揮する『さまよえるオランダ人』でゼンタ役を歌っている素晴らしい歌い手。
恐るべきワーグナーソプラノにしてワーグナーメゾMarianne Schechとして紹介されているホームページでは、勢い余って比較対象のエリーザベト・シュヴァルツコップを「知名度ほどの実力がない」と貶してしまうほど、自然によく伸びた歌唱を聴かせる。フィッシャー=ディースカウと並び、歌詞の意味を考えて歌う事を始めたシュヴァルツコップとは全く違うスタイル、つまり直感型の天才であったのか。こういう人は往々にして、自分がやっている事の説明が下手くそなので、何をやっているのか中々理解されない事が多く、この人もそんなタイプであったのだろうか。1951年録音ではエリーザベト役、60年録音ではウェヌス役を歌っている。なお、ファンタン=ラトゥール描く『タンホイザー』があったので追加。歳が離れているので、ボードレールと関わりないと思い込んでいたら、詩人はこの画家を1864年のサロンへ向けて、マネと共に推薦していた。完全に自分の見落としだった。
- *1 matière:「材料」寄りの「物」と考えていたけれど、美術特有の「マチエール」なのかもしれない。
- *2 blancheur:
- 「白鳥の純白」という色があるのかと思ったが、色見本にはない。snow, snowhite, deepskyblue が色見本にあるので、deepskyblue を背景に、snow を文字にしてみる。
- *3 le mouvement qui déplace les lignes:
- 「線」とは、contrappostoが成すS字線を言うのかもしれない。コントラポストは、contrapporreコントラッポッレ(「対置する」)に由来するイタリア語で、片脚を踏み出す姿勢を指す。
立像に動きを見せる所作として、紀元前5世紀頃の古代ギリシャに出現し、ローマ時代に受け継がれて発展したものの、中世ヨーロッパでは忘れ去られ、14世紀のルネサンス期に漸く再発見された。日本では運慶(1150 - 1224)建仁3(1203)年の東大寺金剛力士両像に同様の表現が認められるところ、上記の通り当時の西欧では廃れていたので、独自の表現という事になる。
今日盛んな所謂「ジョジョ立ち」も、この一種である筈なのに、肝腎の下半身が省略されがちなのは残念至極。 尤も更に最近は「性的な誇張」として、所謂「ツイフェミ」の糾弾対象となっているとか。世の中には色々な人があるものだ。